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   <title>心理カウンセラーのコラム。</title>
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   <updated>2012-01-30T15:00:05Z</updated>
   <subtitle>カウンセリングサービスで活躍する、心理カウンセラーからのコラム。
心がホッとしたり、ハッとインスピレーションをもらえたり、じわっと胸が熱くなったり、カウンセラーの“経験”、”感じ方”、”視点”をぜひ味わってください。</subtitle>
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   <title>結婚１０周年の記念旅行</title>
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   <published>2012-01-30T15:00:00Z</published>
   <updated>2012-01-30T15:00:05Z</updated>
   
   <summary>今年で結婚して１０周年となりました。 それまでにも付き合ってたころから日本各地と...</summary>
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      <name>編集者</name>
      
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.counselingservice.jp/column/">
      <![CDATA[今年で結婚して１０周年となりました。
それまでにも付き合ってたころから日本各地と旅行をしていた僕たちですが、唯一行けていなかった場所が北海道でした。
そのため、記念旅行の場所はすぐに決まりました。が、この際北海道行くなら、色々な所に行きたい、さらに「ある列車」にどうしても乗りたいとどんどん案が出てきました。
その結果、どのくらい休みを取るのかということがかなり重要になったわけです。
しかも「ある列車」は非常に人気が高いのにもかかわらず毎日運行してなくて、そのために発売してもすぐに売り切れるというマニア垂涎の列車、
もし乗るなら「取れた切符にあわせて旅行のスケジュールをくむべし」といわれているぐらいです。
その列車とは大阪～札幌を丸々１日かけて運行している
「トワイライトエクスプレス」
頑張って予約には成功しました。
でも言われていた通り、希望日に取ることが難しかったので、7泊8日の予定が、予定よりも1日間長い、８泊９日になりました。
そして、色々行きたいとプランを練った結果、北海道１周に決まり、北海道でワゴンのレンタカーを借り、車内をフルフラットにして６泊を寝袋にくるまって寝て、
１泊は札幌のホテルに泊まり、１泊は列車の中で過ごすという、なんでもありの旅行です。
その結果、北海道での走行距離は約３２００キロぐらいになりました
大雑把ですが、北海道の一番北の端の稚内から沖縄の那覇までの直線距離が約２５００キロぐらいです。
車内で洗濯物を干し、食べ物を買いこみ、寝袋に包まって寝ていると、レンタカーに愛着もわき、札幌で車を返却するときは涙が出そうになりました。
それで、どのようなルートをたどったか細かく説明するとかなり長くなるので地名だけ書き出すと、
１日目　神戸空港～新千歳空港～函館～旭川
２日目　旭川～稚内
３日目　稚内～礼文島～稚内～網走
４日目　網走～知床半島～根室
５日目　根室～阿寒湖・摩周湖・屈斜路湖～釧路
６日目　釧路～帯広～えりも～小樽
７日目　小樽～白老～札幌
８日目　札幌駅からトワイライトエクスプレスに乗車
９日目　大阪着～神戸の自宅へ

あらためて書き出してみると本当に色々な所に行き、何日かは予定しているプランをこなすために夜中でも運転をしたことも。
行った場所のすべてが思い出として残っていますが、特に４日目に行った網走での出来事が１番の印象に残る出来事でした。
網走といえば、「網走監獄」といって以前に使っていた刑務所を博物館として保存をし観光に利用している、すごく有名な所があります。
僕達も当然のように、プランに組み込んでいたので網走に移動するときにナビに目的地としてインプットしました。
でも僕はここで重大な間違いを犯してしまったのです。
目的地の正式名称は「網走監獄」といいますが、僕の頭の中では「網走刑務所」とかってに思い込み、ナビには「網走刑務所」とインプットしてしまいました。
で、当然ですが、ナビはインプットされた網走刑務所に向かって誘導します。
そして辿りついた場所が本当の刑務所。しかし思い込みとは怖いものです。
僕の中ではここが目的地である「網走監獄」と映っています。
でも、着いたときから「何かが違う！」と違和感はあったけど、まさか間違ってはいないと思いこみ進んでいくと、
「人権に配慮をするために写真撮影はご遠慮ください」との看板が、僕はこれを
「ここまで、リアルに再現してるなんてすごい！！」と勝手に解釈。
しかもたまたま本当の刑務官がいたときには、「従業員にここまでコスプレさせるなんてやるな」とまたまた大きな勘違い。
でも、歩くにつれて、違和感がどんどん増していたときに、僕達の横を黒塗りの高級車が通過しました。しかも何か鋭い視線が窓の中から！！
それで、「とりあえず車に戻ってガイドブック見なおそ！」と思い、初めて間違っていたことに気づきました。
おそらく、周りからは不審者に見られていたかもしれません。
あらためて思います。
「思い込みは危険だ！！」

その様なこともありながら８泊９日の旅行をしましたが、実は旅行前に１つ不安な要素があったんです。それは、よく考えると９日間もずっと一緒にいることなど今まで１度もないということです。
普段はお互いに働いているので、厳密にいうとずっと一緒というわけではありません。
正直悩みました。僕は普段でも必ず一人の時間が欲しいタイプなので、その時間がないことに不安を感じたわけです。
こんなときの僕の思考パターンはこうなっています。。
一人の時間が取れない→イライラする→些細なことで腹がたつ→けんか勃発→旅行台無し。
しかし実際には少しの言い合いはありましたが、順調に旅は進んでいます。
妻が寝ている時に、僕が車外に出て、夜風にあたりながらぼーっとするだけで僕の欲求は満たされ、僕の取り越し苦労に終わりました。
なぜ、このときに僕がこのような思考パターンにはまったのかというと、
「勝手な思い込みとどうなるかわからない恐れ」
からといえます。心というのは、何か不安や恐れを感じる時は今までのやり方をしようとします。
その結果、良い、悪いではなく、慣れていることを優先してしまうので、今回も無意識的に今までの経験から悪くなってしまうという考えがパターンとして出てきたのだと解釈しています。

そして、今回の北海道旅行で人として考えさせられることも沢山ありました。
その中でも大げさかもしれませんが、僕の人生を左右するくらいに深い言葉を聴くことができました。
それは世界遺産である知床半島でガイドさんが
「ここは熊や沢山の動物の住処です。人間が熊や沢山の動物の住処に入らしていただく気持ちを忘れないでください。ここでは人間が主役ではなく熊や動物や自然が主役なんです」
と言われていました。
昨年は東北で地震や津波という自然の驚異をまのあたりにし、原発からは放射能という人間では制御しきれない出来事が沢山ありました。
街中に住んでいると、便利な生活をしているので、自然の中で暮らしているということを意識しなくなることが多々あります。
時には人間が一番偉いと錯覚してしまうこともあります。
でも、人間も自然の中の一部であって、決して人間だけで生活しているのではないということをあらためて自然の中に入ることで肝に銘じました。
笑いあり、ハプニングあり、感動あり、心に刻むことあり、と二人にとって記念となる大イベントは無事成功に終わりました。



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   <title>親バカ</title>
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   <published>2012-01-23T15:00:00Z</published>
   <updated>2012-01-23T15:00:05Z</updated>
   
   <summary>高校生の頃から、17年間、私の家では犬を飼っていました。 その犬が亡くなった後、...</summary>
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      <name>編集者</name>
      
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         <category term="あんどうまり" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      <![CDATA[高校生の頃から、17年間、私の家では犬を飼っていました。
その犬が亡くなった後、動物を飼うことは一生ないだろう、ましてや、アレルギー体質の私が、猫を飼うことなどあり得ないと思っていました。
しかし、その後、知人に、「都合で飼えなくなったので、飼い主が見つかるまで、しばらく預かってほしい」と頼まれた猫を、引き取ることになったのです。
　
最初は、「１日２回の餌とトイレの掃除。犬のように散歩もしなくていいし、かまわなくていいし、猫を飼うのは楽だ。」と、“生き物なので世話をする”という感覚でした。
猫を飼い始めて半年たった頃、遊びに来ていた友人に、「面白いね。猫って、飼い主の後を、ついて回るんだね。」と言われて初めて、いつも後ろに猫がいることに気づいたのです。
その時から、世話をしている生き物から、私と共に暮らす猫として、私の中で“感情”が動き始めました。

その後、徐々に猫を飼うことにも慣れてきて、可愛く思い始めました。
しかし、あまり猫可愛がりをしないようにしていました。
それは何故かと言うと、私が、人の子どもに対する親や祖父母の“親バカ”ぶりを恥ずかしいことのように思っていたためです。
何故、親というものは、子どものためになりふりかまわず、疲れもいとわず、子どもに対して接することが出来るのだろうと、なんとも不可解に思っていました。
また、自分の飼っているペットに、高品質な餌、ファッション、遊具、ホテル、美容室、過剰といっていいほどの商品とサービスを、親心をくすぐられるかのように旺盛に消費する飼い主たちの行動が、私には異様に思えたのです。

猫を飼い始めて１年が経ったある日、猫を膝の上に乗せて抱いていると、突然涙があふれてきました。
“ただ、愛おしいなぁ”と思えたのです。
私が猫に感じるように、きっと世の中の親も同じ様に、どんな子どもであれ、存在そのものが愛おしいと思うのだろう。
そして、「ああ、私もかつて、私が猫を抱いているように、私も親に抱かれていたのだ」と気づいたのです。
親バカの“バカ”を、度を越して甘やかすこととだけ思い込み、“夢中になること、好きであることを隠さないこと”という意味もあることに気づくと、なんだか「親バカ万歳！」という気分になってきて、今では立派な“飼い主バカ”になってしまいました。

今は大人になってしまった私たちには、遠い記憶かもしれませんが、私たちは、かつて親に“愛おしい”と思われ、私たちも親のことを“大好きだ”と思った時間が、一瞬でもあったのかもしれません。
そして、親たちはそれぞれの“形”で、不器用ながら愛情を表現してくれていたのかもしれませんね。



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   <title>迷いながら進む強さ</title>
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   <published>2012-01-16T15:00:00Z</published>
   <updated>2012-01-16T15:00:06Z</updated>
   
   <summary>2012年が始まりましたね。みなさんは、この一年をどんな年にしたいと思っています...</summary>
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      <name>編集者</name>
      
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         <category term="嶽きよみ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.counselingservice.jp/column/">
      <![CDATA[2012年が始まりましたね。みなさんは、この一年をどんな年にしたいと思っていますか？ 
もしも3ヵ月後にその目標を忘れていたとしても、一度 しっかり設定するというだけでも 効果はあるようなので、まだ作っていない人は是非 どこかに書いておくといいですよ。 

*** *** *** 

私は最近、『へうげもの』というアニメがなかなかお気に入りで よく見ています。 
タイトルは、「ひょうげもの」と読むんですが、この「ひょう」というのは 「ひょうきん」のひょうで、「おどける」というような意味だそうです。 

戦国武将であり、茶の湯マニアでもある古田織部という人が主人公です。 
彼は、織田の家臣である、「武人」である自分と、千利休の弟子であり、茶の湯にめちゃくちゃハマっている「数寄者（すきしゃ、と読みます。道楽者 みたいな感じのニュアンスかな。）」としての自分との間でいつも揺れ動いています。 

もし、この時代の「武士」が、今で言う 「会社員」 なのだとしたら…、もしかしたら多くの人は、社会人としてどこかに所属したとたん、そういう「趣味」のようなものは どんどん自分の中の過去の物として卒業してしまうことが多いのかもしれません。

「いいかげんオトナになりなさいよ。」 とか、「そんなの 何の役に立つの。」 などなど、周りの “まっとうな”声にほだされて。

でも、この織部さんは、自分の「欲」を抑圧せずに葛藤し続けます。

本来、趣味人としての彼は、 「おもしろい」と感じることや「感動する」ということが、生きる指針なのですが、武士としての彼には、常識や上下関係によって自由にならないことや納得できないこともたくさんあるからです。

でも その葛藤って、自分だけにしかできない生き方を模索している途中だからこそなんだよなぁ、と、思うんです。

周りから見ると、さっさと自分の目標を見つけて、まっしぐらに進む姿が かっこよく見えるのは確かですよね。
でも、このアニメを見ていて、迷ったり葛藤したりできることもまた、実はとても強いことなんだと思うようになりました。 
 
どちらもあきらめないで 両方を自分の中で戦わせるからこそオリジナリティが生まれて、自分らしさというものが生まれるのではないでしょうか。 

例えば、織部さんの場合は武士ですから戦国時代に出世しようと思ったら、武の才に長けていることが必須です。
でも彼は、「武力」ではなく、むしろ、茶の湯への「貪欲」があったおかげで、難しい交渉をあっさり成功させたり、一目おかれたりして、官職にまで出世しちゃうんですね。 

つまり、彼はどっちの世界でもトップではないけれど、両方の世界に通じていることで、彼にしか通れない彼ならではの「道」が出来ていくわけです。 

このあたりは、今の時代のわたし達も大いに参考に出来るところなんじゃないでしょうか。
つまり、自分らしさ、というものは「迷い」そのものと言っても過言ではないのではないかと。


そして私が面白いなぁと思うのは、そんな彼を突き動かすのが、清廉潔白なヒーローのような精神ではなく、人間的な「欲」 っていうところです。 

「欲」というと、なんとなく、悪いこととというか、後ろめたいようなことを連想してしまいがちかもしれませんが、その「欲」こそが、それぞれの個性を引き出してくれていることも少なくないんじゃないでしょうか。
 
タイトルの「へうげもの」 というニュアンスにしてもそうですが、「好き」 が全身からにじみ出ている人というのは、どこか憎めないかわいらしさを感じますよね。
「したい！」「見たい！」「ほしい！」・・・など、ＷＡＮＴ がはっきり見えるほど、「笑」 にも繋がっていくのかもしれません。 

私自身も、2012年は、今やらなくてはいけないことのほかの、自分自身の「欲」を あきらめないでいたいなぁと思います。 
そして、そこに迷いや葛藤があればあるほど、自分にしか通れない道を創っている途中なんだ、ということを怖れたくないと思います。


大いに迷い、そして、力強い一年になりますように。

そして、あなたの「好き」が 誰かのためになり、あなたの「欲」が 誰かを助けることになる、そんな輪がどんどん広がる年になるといいですね。


ありがとう。



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   <title>島のおじちゃん</title>
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   <published>2012-01-09T15:00:00Z</published>
   <updated>2012-01-09T15:00:05Z</updated>
   
   <summary>前回のコラムとはうって変わって、「好きな場所」で「好きなこと」をしている日々。 ...</summary>
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      <name>編集者</name>
      
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         <category term="五十嵐かおる" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.counselingservice.jp/column/">
      <![CDATA[前回のコラムとはうって変わって、「好きな場所」で「好きなこと」をしている日々。
うまく言えませんが、毎日が自分で納得できているような感覚です。

目に映るひとつひとつが、きゅっとするほど愛おしくて、ここでの出来事やご縁が熟する時間もいらないほどすぐに「大切な思い出」になっていくのを実感しながら過ごしています。

だいぶ前のことになりますが、
気持ちよく晴た真っ青な空と、それよりずっと深く透明な青い海にかかる長い橋をドライブをしていた日のこと。

橋のたもとの道端に、派手な赤い文字で「ドラゴンフルーツ　完全無農薬」の看板が目に飛び込んできました。
(笑っちゃうくらいの真っピンク色の皮に可愛らしい角のようなとげが生えた、両手を丸合わせたくらいの果物。ウリ科でスイカを柔らかくしたようなみずみずしい果肉に食べられる小さい種がいっぱい入っていて、そのツブツブ食感が私は好きなんです。)
吸い込まれるように車をとめて、無人の直売所らしきその看板へ向かいました。

青空市場というにも簡素すぎるくらいの、骨組みとごゴザを乗せただけの屋根でできた小さな小屋、傾いた机の上にピンク色のカタマリがどっさり。なんと4個くらい入って一袋100円。市場の半額以下の値段。セールに目のない私はテンション上がります。

すご～い！！
これはいいものを発見したと、お財布を開くと小銭は100円玉が2つだけ。
・・・お釣りもなさそうだしな～。（それでも十分な量だと思うのだけど）

そこへ、通りすがった地元の人らしいおじちゃんがやってきました。
ここの年配の男性は作業服を着ても、キャップとお洒落なサングラスでなんだかカッコいいんです。

「めずらしいんか～。内地(本州とかのこと)はそんなのないだろ～」
「そうなんですか？わたし大好きなんですよ～」
「こっちの人は食べんからいっぱい持ってきな～」

おもむろにたくさんあるポケットのひとつに手を突っ込んで、じゃらじゃらと小銭をとりだし10円玉を5個と50円玉を1個、手のひらにひろげて私に差し出してくれたんです。

のんきな私は、ここの農園の人かしら？と思って
「いいんですか？ありがとうございます～！」遠慮なく大喜びして受けりました。
「いっぱい食べ～」

おじちゃんは日に焼けた小さな顔から白い歯をキラっとのぞかせて笑顔で車に戻って行きました。

どうやらこの売店とはまったく関係のない人だったみたいで。

一瞬迷ったけど、ありがたく頂くことにしてもう一袋ご購入。
お店にお金を置く場所がなかったので、机の隅にそっと。

こういうことってあるんだ～・・・

その前は砂浜に写真を撮りに行ったつもりが、売店のおじちゃんと常連の女の子たちに話しかけられてそのまま飲み始って日が暮れたこともありました。

ここでは「社交辞令」とかうわべだけのものは存在しません。
みんな心から近づいて、相手も同じように受け入れてくれる。

人どうしの距離感が近いような気がします。

ほんと、この島はあたたかい。

その後、数日わたしの主食はドラゴンフルーツになったことも付け加えておきます(笑)

＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

新年明けましておめでとうございます。
あなたにとってよい1年でありますように。

＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊



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   <title>一病息災</title>
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   <published>2012-01-02T15:00:00Z</published>
   <updated>2012-01-02T15:00:06Z</updated>
   
   <summary>新年おめでとうございます。 今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。 ２０１２年...</summary>
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         <category term="中山けんたろう" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.counselingservice.jp/column/">
      <![CDATA[新年おめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

２０１２年最初のコラムとなります。
皆さんは、このお正月をどのように過ごされているでしょうか。

初詣に行かれた方もたくさんいらっしゃるのではと思います。
一年の最初に何かの願い事をする・・・素晴らしいことだと思います。
商売繁盛、家内安全、無病息災、学業成就、恋愛成就、などなど、おそらく願い事をする人の数だけ様々な願い事があると思います。
それらがこの一年を通して無事に達成されるとよいですね。


さて、「一病息災」という言葉をお聞きになった方もいらっしゃると思います。
「無」病息災ではなくて、「一」病息災です。
全く病気がないよりも、一つくらい病気があった方が自分の健康に気をつけるようになり、結局元気に暮らして行けますよというような意味です。

今回は、病気とのつきあい方について書かせていただこうと思います。


生まれてから死ぬまでに、何の病気にもかからないという方はほぼいらっしゃらないのではないでしょうか。
生きて行く以上、病気とは何らかの付き合いが必要と言えそうです。

私事なのですが、もう２０年来、B型慢性肝炎を患っています。
元々はいわゆる母子感染で、生まれた時から感染をしていました。
それが分かったのが学生時代。きっかけは献血でした。
当時は今程肝炎についての情報がなく、あまり気にも留めていませんでした。
その後、なるべく若いうちに治療をしておいた方がよいという情報もあり、インターフェロンの治療を試みたのですがうまくいかず、結局、肝炎が慢性化することとなりました。


「心と体はつながっている」とはよく言われることですが、私は結構そのように思っています。

最初に就職した会社では、今にして思えば、入社して４年目くらいからは毎日いらいらして、結構いろいろなことに対して怒っていたように思います。
自分が思うような業務につけないことへのいらだちからだったと思います。

そうこうしているうちに５年目に入る頃には、なんだか体がだるくなってきて、朝起きるのがきつくなってきました。
なんとか怒りのパワー（？）で会社に行っていたものの、あまりにしんどくなって病院に行ったところ、肝臓の数値が異常に高いとのことで「即入院」ということになりました。
５月は入院し、退院後は毎日点滴に通院していたのですが、仕事の方は相変わらずで、毎日いらいらして、毎日怒っていました。

結局その年の１０月頃に、肝臓の数値が再び異常に高くなり、再度入院をすることになりました。
２回目の入院となり、自分なりには結構へこんでいたと思います。
周りの方からも、「ゆっくり何も考えない方がいいよ」とか、「あまり気にしないようにね」とかアドバイスをいただいたと思います。
聞き入れる余裕はあまりなかったと思いますが、少しは反省するところがあったんでしょうか。
できる範囲で怒らないように気をつけるようになりました。
結局、２年後の８月にその会社を退職することになるのですが、点滴はしていたものの、その間入院することはありませんでした。


非常に単純なのですが、私の場合、大きなストレスを感じたり、怒ったりする状態が続くと、肝臓が悪くなるようなのです。
実際、２つ目の会社でも同じように肝臓の数値が異常になり、点滴をしながら仕事に行っていた時期がありました。

たまたま・・・とまでは言い切れないような、切っても切れない関係が、心と感情の間にはあるように自分では思っています。


ここ５?６年程は、幸い肝臓の数値は安定しています。
心理学を学びながら自分自身を癒して来れたことが大きく関係しているように思えてなりません。
多くの素敵で頼りがいのなる仲間ができたこともあるでしょう。

また実は、３年程前に、大好きだったお酒をやめました。この３年程の間、一滴も飲んでいません。
きっかけは、義理のお父さんに食道がんが見つかって、食道の全摘出手術をすることになったことです。
お義父さんももともとお酒好きで、ちょっとアル中気味だったのですが、ガンの手術を機に、健康と願掛けのため一緒に禁酒をしましょうということになったのでした。

手術は見事に成功し、お義父さんは健康を取り戻しました。
禁酒のお蔭で、私はますます健康を維持できるようになりました。
それまでは、お酒を飲んだ翌日は、なんとなくしんどくてだるさを感じていたんですが。そういうこともなくなりました。

お義父さんはというと・・・、残念ながらというかなんというか、また元気にお酒を飲むようになりました。
三度の飯よりもお酒が好きな方ですし、心の隙間を埋めるのにお酒は欠かせない存在のようです。

私はお酒を飲まなくなって幸せ、お義父さんはまたお酒が飲めるようになって幸せ、ということになった訳ですね。
飲酒については正反対の結果となりましたが、二人とも幸せになれたのは面白いなぁと思います。


また私の肝炎の話に戻りますが、３５歳くらいまでなら治る可能性はあるようです。
しかし、私はもう今年で４３歳。
ほぼ治る見込みはありません。
一生慢性肝炎とつきあっていくことになります。
今後もうまく病気とつきあっていければと思っています。

病気は何かのメッセージを私たちに知らせてくれるという考え方もあります。
今さら行っても仕方がないことですが、私の場合、最初の入院の時に自分の感情と向き合って、それまでの考え方や生き方を考え直していれば、また違った人生が用意されていたでしょう。
病気は私たちに何かの気付きを促してくれているのかもしれません。

今年一年、病気をせずに元気に過ごせるのがなによりです。
しかし、もし、何かの病気にかかったとき、体を休めて病気を治すと共に、せっかくの機会ですので、心にいろいろ問いかけてみてはいかがでしょうか。
今までの生き方、今の気持ち、今までにやり残していること、これからやりたいこと、などなど。
もしかしたら、その病気のお蔭で、人生が大きく変わるきっかけになるかも知れませんね。



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   <title>ある日の出来事</title>
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   <published>2011-12-26T15:00:00Z</published>
   <updated>2011-12-26T15:00:06Z</updated>
   
   <summary>娘が学校からの帰り道に電話をくれました。 「冷蔵庫のドレッシングが残りわずかだっ...</summary>
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   </author>
         <category term="うえの道子" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.counselingservice.jp/column/">
      <![CDATA[娘が学校からの帰り道に電話をくれました。

「冷蔵庫のドレッシングが残りわずかだったけど、
もし買ってないようだったら帰りに買っていくよ」という内容。
「さっき買ってきたから、大丈夫、あるよ＾＾」と私が答えたら
「わかった」と言う返事のあと、
「もう今日は疲れたよ。午前中で帰るつもりが、結局夕方までずっと
ゼミの調べ物で細かい字を読んでいたから」とずいぶん疲労した様子。

目を酷使すると神経も疲れるので、
身体的に疲れた心地よさとは違う疲れ方をしたのでしょう。
電話の向こうで「あ、バスが来てる」とダッシュしたものの
「え～目の前でドア閉まったし！信じられない！」と娘。
行ってしまったバスに落胆する娘に
「まあ、ゆっくり帰っておいで」と私は電話を切りました。

しばらくして娘が帰ってきました。

娘が、聞いてくれる？！と言わんばかりに話すことには、
昨日夜更かししたせいで今日は朝から眠い上に、
予定外の夕方まで根を詰めた1日だったらしい。
おまけに朝学校へ行く時に慌てていたせいか、どこかでお気に入りの白い手袋を片っぽなくしてしまったそう。

私「え～！どんな手袋？」
娘「白くてかわいい手袋。お母さんも見ればわかるよ」
私「そうなんだ・・」
そして、さきほどの電話での実況中継よろしく、
乗ろうとしたバスが目の前で発車してしまったので、
しばらく待って次に来たバスに乗ったとのこと。

ところが、座席についたところ、
なんと足元に見覚えのある手袋が落ちているではないか！

そうです。娘は朝バスの中で気づかぬ間に手袋を片方落としたのだが、その手袋は他の誰かに拾われることはなく、ずっとそのままその場所でほぼ1日中バスに揺られながら娘を待っていたのです＾＾

そしてひとつ前のバスに乗りそこねたからこそ、手袋がまた戻ってくることになったと、ひょんなところでつじつまがあったのです。

話す娘の顔は笑顔でした。

弱り目にたたり目の話だと思って聞いていた私ですが、
娘の話は「思わぬ偶然のうれしい話」だったのです。

ほんとうに、私たちの身の周りで起こるすべてのできごと、
何が幸いするかわかりませんね。

こんな偶然、あなたにもありませんか？



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   <title>クリスマスに祈る思い</title>
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   <published>2011-12-20T03:30:00Z</published>
   <updated>2011-12-20T03:30:04Z</updated>
   
   <summary>　はじめにお断りさせていただきたいのですが、今回のコラムに書かせていただいたのは...</summary>
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      <name>編集者</name>
      
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.counselingservice.jp/column/">
      <![CDATA[　はじめにお断りさせていただきたいのですが、今回のコラムに書かせていただいたのは、僕が個人的に感じたことであって、宗教についての善し悪し等について書いたものではありません。
　その点について、ご理解いただきお読みいただければと思います。

　もうすぐクリスマスですね。
　この季節になると、僕は必ず思い出す歌があります。
　それは、随分昔の歌なんですが、「Very Merry Christmas」（ミュージシャン：原みどり）という歌です。

　部分的に取り出すと歌の持っている本質が損なわれてしまうと思いますし、僕の個人的な解釈が入ってしまうので、歌の主旨と違ってしまうかもしれないのですが、あえて書かせていただきますと、その歌詞の中に、クリスマスといっても、誰が神様のために祝ってるのだろう、みたいに僕が感じるフレーズが出てきます。
　この感覚は、僕がずっと昔から感じていたものだったので、特に印象に残っている歌だったんですね。

　以前、何度かこのコラムで書かせていただいたことがありますが、僕は昔は、神様というものを信じていませんでした。
　僕は、日本ではとてもオーソドックスな仏教の家に生まれて、
けれども、周囲に様々な宗教がらみのトラブルを抱えて育ったために、
いつしか、神や仏、また、それを信じる人達が語る「愛」というものに不信感を持つようになっていきました。
　今も、特定の宗教を信仰していない、という意味では神様を信じていないということになるのかもしれません。

　そんな僕は、愛というものが本当にあるらしい、と感じるようになったのは、カウンセリングに出会ったからでした。
　
　愛がないという思いは、世の中にない、というよりも、自分の中には愛というものが存在していない、という感覚なんだと思います。

　以前の僕は自分が大嫌いで、そんな自分に愛というものがそなわっていると思っていなかったのだと思います。
　ところが、自分がカウンセリングを受けて行く中で、自分自身の心と向き合っていくと、愛という感覚が出て来てしまったのです。
　
　恨んでいたつもりだった親への愛。
　遠くに感じていた奥さんへの愛。
　そして、周りの人達への愛。

　自分が愛し、また、周りの人からも愛されていると気づいていったのです。

　そうなってくると、愛というものの存在を信じないわけにはいかなくなりました。
　なかったと思っていた自分の心の中に発見してしまったのです。

　今、カウンセラーとして、たくさんの方とお話させていただく中で、たくさんの様々な愛に触れさせていただいています。

　カウンセリングを通じて、自分自身の心と向き合っていく過程で、多くの方が自分の中にある愛、そして、周りにある愛を感じていかれます。

　こうした出会いがあればあるほど、僕は愛というものを感じないではいられません。


　そして、合わせて、実は、ずっと信じていなかったと思っていた、神様や仏様のような存在についても、心のどこかでは、信じていたのだということにも気がつきました。

　特定の、というわけではなくて、ただそこにいる、でも、何か守ってくれているような存在。

　こうした愛の感覚や、神様がいるような感覚というのは、僕たちは生まれながらにして、自然に持っているものなのかもしれないと思います。

　そう思えるようになって、「祈り」というのも自然にできるようになりました。
　

　ただ、大切な人や、愛する人を思い、願う気持ちで祈ること。

　そういう祈りは大切なことのように感じるようになりました。

　
　クリスマス。
　
　僕たちが、クリスマスにお祝いをするのは、もしかしたら、単なるイベントとしてとらえているだけなのかもしれません。

　けれど、どんな理由からであれ、この日には、誰もが何らかの形で、何かに祈りを捧げているように思うのです。

　そこには祈っている人の思いがあります。
　
　一人でそっと祈ること。
　恋人と一緒に祈ること。
　子どもとともに、家族で祈ること。
　
　どこかでひっそりと。
　レストランで、二人で。
　家族でにぎやかに。
　
　たくさんの、そして、様々な形があるでしょう。
　でも、すべての人に、この日はやってきます。

　それが辛いと感じる時も
　それが幸せと感じる時も

　いろいろな形で、僕たちは、何かしらの祈りを捧げたくなり、そして、表面的にはできないときにも、心の奥底では何かに祈り、何かを願っているように思うのです。　


　初めに紹介した曲。
　僕の中で、昔と今とでは、この曲を聴いて感じる思いが変わりました。

　曲全体を聞いていると、この曲を作られた原みどりさんは、その歌の中に、神様とか祈りとかをちりばめているように僕は感じます。
　僕の個人的な解釈ですが、神様を否定している歌ではなく、むしろ、神様の存在を感じながら、この日に自然に自分の周りにある愛や祈りについて歌っている曲のように感じるのです。

　今でも毎年、この歌を聴いてしまうは、僕の心にあるこうした感覚を思い出させてくれる歌だからなのかもしれません。


　この歌には、こんなフレーズがでてきます。

「真っ白な妖精　舞い降りてくる　すべての汚れを優しく包みこんで」

　今年のクリスマス。
　僕も祈ります。
　
　僕自身に、そして、僕の家族に。
　僕の周りにいる人たちに。
　日本中に、そして世界中に、真っ白な妖精が舞い降りて、すべての辛い思いや汚れを洗い流し、そして、優しく包み込んでくれるように。

　Very Merry Christmas



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   <title>「生きること」について。</title>
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   <published>2011-12-12T15:00:00Z</published>
   <updated>2011-12-12T15:00:08Z</updated>
   
   <summary>こんにちは、建部かずのぶです。 このコラムをお読みくださっている皆さまは、今どの...</summary>
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      <name>編集者</name>
      
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         <category term="建部かずのぶ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.counselingservice.jp/column/">
      <![CDATA[こんにちは、建部かずのぶです。

このコラムをお読みくださっている皆さまは、今どのようにお過ごしでしょうか？
毎日楽しいことがいっぱい！という方もいらっしゃるかもしれませんし、しんどいことがいっぱいで、もうどうしたらいいか全然わからない、という方もいらっしゃるかもしれません。
ですが、「生きている」ということで言えば、もちろん全員が共通していることですよね。
そんなの当たり前だよっ、という声も聞こえてきそうですが、これが至極当たり前なので、私を含めてあえて意識していないなぁと思ったりもするのです。

ただ、特に今年は東日本大震災や原発事故といった、生命に関わる出来事が続けて起こったこと。
私の身近でも、この「生きること」について気になる事が、たびたび起き、
「これも何かの学びなのかなぁ？」と思い、今回のコラムはこのテーマについて書かせていただきます。


私は小さい頃から、生きていることに意味はない。と思っているような子供でした。
そして、「なんで自分は、この世に生まれてきたのだろう？」と、何かにつけてこのことばかり考えていたように感じます。
まあ今では、生まれてきた意味も絶対にある！と思えるようになってきましたが、ずいぶん長い間この気持ちと一緒に過ごしてきたように思います。

ところが、そんな私に大きな転機がきました。
それは、ちょうど１５年ほど前の事。特に今の時期になると、はっきり思い出す出来事があります。

当時の大切な恋人が、あっという間に逝ってしまったのです。

彼女とは神戸の震災ボランティアで知り合ったのですが、人一倍気を遣う、とても優しすぎる女性でした。
彼女のご家族や周りの人びととの関係は、良好であったようですが、元々、彼女自身がとても繊細な人だったこと。
そして一番の理解者だった母親を亡くしていたこともあり、いつもどこかで孤独を感じ、人知れず苦しんでいたようでした。

私には不釣り合いと思えるぐらいにキレイな人でしたし、震災という非常時に恋愛なんてとんでもない！なんて思っていた私ですが、彼女から突然告白されて、そのまま半信半疑で付きあい始めたのでした。

私たちは息がぴったりだったみたいで、毎晩のように長電話をし、何でも話せるような関係になっていきました。
やがて関係が進み、先方の親父さんのご意向もあって、翌夏にはそろそろ結婚も・・・という話も出るようになっていったのです。
親父さんも一緒に、新居のマンション探しをしたり、白無垢を着るんだ～なんて話が出てくる中で、何だか調子のよくない彼女。
夏先に１回検診を受けて、彼女の信頼していた医師の見解も、特に問題がないと思う。とのことです。

でも、やっぱり優れないしと、１月ほど経ってもう１度検診を受けた後に親父さんがこっそりと私に告げました。
末期ガンで余命１か月と言われた・・・と。

それから、彼女のご家族と同居しながらの看病が始まりました。
看病と言っても、彼女には病状を知らせないというご家族の方針でしたので、結婚指輪を買ったり、転院先の病院のそばにマンョンを借り、これからの２人の新居だよ、なんて彼女に伝えたりしていました。

私も、彼女が死ぬなんて考えもつかなかったので、「絶対死なせてたまるか！」と、だんだん腹水で膨らむ彼女のお腹を、それこそ全霊を込めてさすっていました。
私にできることはたったそれだけのことでしたが、私がさすると少し楽になるという彼女の言葉を励みにしていたのです。

彼女の親父さんは、「君に出会ってからとても幸せそうだった」と言ってくれました。
彼女も、私との出会いをとても喜んでくれたようです。
ついに意識がなくなってしまった中で、ふと意識を取り戻し、私に感謝の言葉を伝えてくれました。
その言葉は、私に大きな大きな愛を送ってくれたように感じています。
悲しみを押し殺して、一生懸命彼女のためにと踏ん張る中で、ホッと一息付けるような気持ちになれたのでした。

最後まで看取る！と言い張る私に、親父さんは、あんたには将来があるからと、帰された数日後。彼女が亡くなったと知らされました。
なかなか実感ができない中、彷徨うな気持ちでおりました。
道を歩いていても、仕事中でも、音楽を聴いていても、不意に泣き出したり、ドーンと沈んだ気持ちになったり・・・。

誰にも伝わらない気持ちを抱えながら、この先自分はどうなって、どこに向かえば良いのだろう？。
それ以降、私の中では、１つのルールができました。
それは、「とにかく生きる」ということです。そうでないと、あれだけ幸せに思いを馳せていた彼女に失礼だと。

実は、その後に出会った女性とも結婚という話になった先に、これ以上きつい事がないであろうと思っていた、彼女の死以上に精神的にきつい状況になってしまったのです。
また、そのことで過呼吸になったりもしました。
行き場のない状況の中で、いろいろ彷徨いつつ、フラフラになりながら、このカウンセリングという世界に出会い、お世話になるうちに今の幸せを見つけることができました。

当時は、もうパートナーシップなんてコリゴリなんて思っていた私が、今の奥さまと出会って結婚し、しかもカウンセラーにまでなりました。

全く想像もしていなかった未来が私に待っていた。
当時の私に今の私が教える機会があっても、絶対信じないだろうなぁと思ってしまうぐらいなのです。


カウンセラーとして様々な方と出会う中で、笑顔になっていく人が増えたように思うことが多くなりました。
それぞれのペースもありますが、ご縁があった方の雰囲気がいい感じに変わっていくのを見つけると、それだけでとてもうれしくなってしまいますね。

私は小さい頃から、生きる意味って何だろう？と思っているような子供でした。
ですが、今は違います。あえて生きる意味を求める必要はないのでは？と思っています。

後戻りはできない、一度きりの人生の意味を見出すよりも、後悔することなく毎日を楽しく生きていたいのです。
理想は、過去を自分なりに消化し、未来への希望を抱きながら、今を大切に過ごすことなのですが、現実はこんな簡単にいかないこともあると思います。

「痛い！」と思うとき、それは癒しや訂正を求めるサインです。
その痛みに気づき、時には信頼できる誰かと一緒にじっくりと見つめながら癒していくと、その痛みは知恵や思いやり、学びやパワーに形を変え、人生の道しるべにまでなってくれるのです。

乗り越えられない問題はやってきません。
ですので、今抱えている問題は、持てるだけの知恵を全部使って更なる成長を促そうとしているキッカケとも言えるのです。
あとは、一歩前進するために問題と向き合う勇気と意欲だけですね。

どん底から立ち直り、今は全然違う気分で毎日を過ごしている私が心から伝えたいのは、「自分の可能性を信じて欲しい！」ってことです。

自分の人生を諦めなければ、どんなに辛い状況に置かれたとしても、起死回生のチャンスは何度でもやってきます。
なぜなら、人にはかけがえのない価値がたくさんあり、それはどんなときでもずっと輝き続けているのですから。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。



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   <title>ガールズ（？）トークの結末</title>
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   <id>tag:www.counselingservice.jp,2011:/column//6.2926</id>
   
   <published>2011-12-05T15:00:00Z</published>
   <updated>2011-12-05T15:00:06Z</updated>
   
   <summary>ある日の休日。 昔から、グループでつき合いのある友人たちとメンバーの誕生日を祝う...</summary>
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      <name>編集者</name>
      
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         <category term="宮本恵" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.counselingservice.jp/column/">
      <![CDATA[ある日の休日。
昔から、グループでつき合いのある友人たちとメンバーの誕生日を祝うために集まっていました。
そして、私はあることに気づきました。
それは、グループの中で私にだけがパートナーがいないということでした。
パートナーがいないのは、たった今始まったことではないので、今更と言えば今更な気づきでした。
いやいや、パートナーがいなくても、それなりに楽しく生活はしていたので、今までそんなに気にしたことはありませんでした。
「そのうち、私にもパートナーが出来たらいいなぁ。」といったぐらいに感じていました。
今まで気にならなかったのに、何故、今回は気になったかというと、グループの中で、唯一独身仲間に彼女が出来たというのを聞いたからでした。
今までの私個人の状況と変わらないのにもかかわらず、そのグループの私以外のメンバー全員にパートナーが出来たことで、妙に一人身であることを意識してしまったのでした。
そして、その夜は急に寂しさを覚え、自分のこれからに一抹の不安を感じ始めました。

それから、数日経ってから、そのグループのメンバーとの面識のある別の友人と電話で話す機会がありました。彼女も、独身女性の一人でした。私のこの気持ちを理解してくれるに違いないと思い、以前グループで集まったときに、急に寂しさを感じたこと、これからの自分に一抹の不安を感じたことを打ち明けてみました。
そうすると、少なからず似たような経験もあるし、同じような気持ちになったことがあるというのである。私は、同じ気持ちを分かち合えたことに少し安堵していました。

そして、
「グループの人にパートナーが出来たことで、寂しさを覚え、不安を感じていたら、実際、自分以外の皆が結婚してしまったら、こんな寂しさや不安じゃ治まらないよねー」
なんていう話題になっていました。
更に友人は続けます。

友人：そういう状況になったときに、果たして心から祝ってあげることができるだろうか？
　　　ずっと友人としてつき合ってきたのに、祝ってあげることが出来ないなんて寂しいし、もしそうだとしたら、自分のことを人として器が小さく感じてしまうわー」
 私 ：確かに…、私もその立場に立ったら、祝ってあげたいけれど、心から祝ってあげることが出来るかというと自信がないわ。
　　　…ということは、私たちお互いの結婚を祝ってあげることが出来ないかもしれないね（笑）
友人：そうよ。絶対、嫉妬しまくって、顔が引きつってしまうわ。そんな気持ち隠して、にっこり「おめでとう♪」なんていって、結婚式に参加して地獄の時間を過ごすのよ。

おぉ～だんだん、ダークな話になってきたなぁと感じながら、お互いにお互いの結婚を祝えないのは嫌だから、お互いを祝うことが出来る方法はないだろうかと考えてみました。
人の結婚が、何故、苦しく、地獄のような時間になるのか…。
そして、自分の結婚も決まってもいないのに、私は友人にこんな提案をしてみました。

 私 ：私が結婚するときは、嫉妬してもいいし、寂しーって言ってもいいよ。
　　　私も、○○が結婚するときは、しっかり羨みながら、祝うから。
　　　それだったら、心から祝えそうな気がしない？
友人：えー、そうなん。でも、嫉妬してもいいなら、お祝い出来るかも。」
 私 ：じゃあ、お互いがお互いを祝うことが出来るね。

こうして、久しぶりのガールズ（？）トークは円満（？）に終えることができたのでした。
今回は、結婚と一人身の関係についての話だったけれど、今回の話に限らず、羨ましいとか寂しいとかの自分がネガティブだと感じる要素、お祝いをしたいというポジティブな要素があると、両方が存在しているにもかかわらず、ネガティブな要素をついつい隠そうとか抑えようとしてしまいますよね。けれど、どちらも存在することには変わりないのだから、ネガティブな要素を隠そうとしたり、抑えようとしなくて済むのであれば、その隠そうとしたり、抑えようとしたりしていたエネルギーをポジティブな要素に向けることが出来るのかもしれないなぁと思ったのでした。
そうしたら、友人の中で最後の一人身になったって、友人の結婚式でとびきりの笑顔を見せることが出来るかもしれません（笑）
だからといって、最後の一人身になりたいわけではないです。（念のため）

今度のガールズ（？）トークは、素敵なパートナーシップの築き方について話をしよう（笑）



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   <title>私の中の怖いヤツ</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.counselingservice.jp/column/2011/11/post_728.html" />
   <id>tag:www.counselingservice.jp,2011:/column//6.2923</id>
   
   <published>2011-11-28T15:00:00Z</published>
   <updated>2011-11-28T15:00:06Z</updated>
   
   <summary>三島桃子です。いつもコラムを読んでいただいてありがとうございます！ 私は基本優し...</summary>
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      <name>編集者</name>
      
   </author>
         <category term="三島桃子" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.counselingservice.jp/column/">
      <![CDATA[三島桃子です。いつもコラムを読んでいただいてありがとうございます！

私は基本優しいお母さんだと思うのですが、時々息子（９才）に「コラッ！！！」って怒ることはあります。まあちょっとしたことですよね。朝、パジャマを着替えずにだらだらしているとか、学校から帰ってきてランドセルを投げだしたままにしているとか。

怒ると、この頃息子に言われるんです。「ちょっとのことで怒り方が怖すぎる」って。でも、よそのお母さんだってけっこう怖いと思うんです。よそのお母さんが我が子を叱る姿を見るといつも、「おー迫力あるなー」って思うんですよね。だから私も少しはびしっと叱らないと、って思ってきたんですが…

でも、この頃、ちょっと考え方が変わってきました。

よそのお母さんは、確かに一見厳しく見えます。言葉も荒かったりするんですよ、かわいいママでも。でも、そこんちの子どもはちょっと叱られたぐらいじゃケロッとしているんですよね。そしてお母さんは「ほんと言うこときかんわー」とつぶやいたりしています。

それを見て、私は、きっといつも厳しいから、子どもも慣れているんだ、たくましくなっているんだ、と思っていました。だからうちの子も、たくましくするためにも少々は叱り飛ばさないと、と。

だけど、ふと感じたんです。よそのお母さんと私とでは、怒る時の内面的な雰囲気が違うのではないか？と。

説明が難しいのですが…

よそのお母さんは、ぱっと見は怖いけど、内面的には、単純に目の前のことを叱っている。例えば、ランドセルを投げだしたままにしてはダメ！と。

ところが私がきつくなる時というのは、背後にもっと大きな否定感が潜んでいるのかもしれません。「ランドセルをちゃんと片付けなさい！」の言葉の背後に、「ほら、あんたはいつもこう！何度言ってもダメ！このままじゃ将来どうするの！仕事なんかできないわよ！」みたいな、人格否定とも言っていいようなものがあるとしたら…

ふとそう思った時、怒る自分の背後に、まるで、怖～い閻魔さまがぼわ～んと立ってて、私と一緒に息子を睨みつけている、みたいなイメージが浮かんだのです。

こういうのって、意外に相手に伝わるんです。相手も頭でわかるわけではないのですが、感覚的に伝わります。

これでは怒られる方はたまったもんじゃありません。ちょっとしたことで閻魔さまが出てきて、舌を引っこ抜かんばかりの勢いでプレッシャーをかけられ、人格否定されるんですから。

私はずっとこんな閻魔様を自分の中に持っていて、息子や夫に対して腹を立てた時には、この閻魔様と共に責め立てていたようです。

まだ若かりし十代の頃、ささいなことで母と言い合いになり、私が正論をつきつけた時、母が「あんたは優しくない、お姉ちゃんは優しいのに」と言われたことがありました。姉も母に対してけっこうな文句をよく言っていたんです。しかも私よりも頻繁に。なのに、たまに刃向った私に「お姉ちゃんは優しいのに」って。何だそれは！お母さんはお姉ちゃんの方が可愛いんだ！って傷ついたりしてたんですが。

でも、あの時も、私の背後に閻魔様がいたとしたら。それが母を怖がらせたのだとしたら…。

ああ、何かもう、タメイキ…。

ところで、この閻魔様の正体、わかります？

これは、私自身を責めるもう一人の私なんです。ちょっとしたことで「おまえはダメ！」と決めつけ、簡単には許してくれない怖い存在。自分責め、自己虐待の権化。

ですから、そもそも、私は自分のことをひどく責めてきたわけです。少しのミスで自分の人格を否定し、おまえに未来はないと自分を追い詰めてきたのです。人は、自分を責めた分だけ人を責めます。家族など自分に近い人に対しては特にそうなります。

そもそも、かつてはこの閻魔様、ものすごく巨大だったんだと思います。それが、私の心が癒されるにつれ小型化してきて、以前は怖さのあまり泣くしかなかった息子が、「これだけのことで怖すぎるで」と文句を言えるぐらいになってきたのではないかと。

息子の言葉でハッとした私は、つくづく考え込みました。考え込んだものの、どうしたらいいかはわからず、ただ、何とかしないとな～…と思うばかりだったんですが…。

でも、そうやってハッと気付いたことで、私の中の閻魔様は、自然にまた少し小さくなったようです。というのは、その後何となく気持ちが軽いんです。自分責めというのは無意識にいつもあるものなのですが、その度合いが小さくなればなるほど、日常生活がラクになるんですよね。

そして、なんと夫に不思議な変化が。

今まで、夫のちょっとした一言で私が不機嫌になった時、「ごめん」と言ってくれることなんて絶対なくて、ただむっとした顔をして私のことなんかシャットダウン、って感じだったんですが、この頃そういう場面ですぐに「ごめん」って言ってくれるんです。最初は聞き間違いかと思いました(笑)。

怒った時はすぐに閻魔様が背後に現れる怖い妻だったのが、「ただのいじけた奥さん」になったのかもしれません。閻魔様が出てきたら、コミュニケーションするより逃げたくなりますよね。シャットダウンされていたのも無理はなかったなと今は思います。

私の中の怖いヤツ。いつかゴマ粒ぐらいに小さくなってくれるかな。



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   <title>優しさについて</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.counselingservice.jp/column/2011/11/post_727.html" />
   <id>tag:www.counselingservice.jp,2011:/column//6.2922</id>
   
   <published>2011-11-21T15:00:00Z</published>
   <updated>2011-11-21T15:00:04Z</updated>
   
   <summary>こんにちは、山田耕治です。コラムは２回目の登場です。 前回に引き続き、私に影響を...</summary>
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      <name>編集者</name>
      
   </author>
         <category term="山田耕治" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.counselingservice.jp/column/">
      <![CDATA[こんにちは、山田耕治です。コラムは２回目の登場です。
前回に引き続き、私に影響を与えてくれた人シリーズ［名もなき編２］として、書かせていただきます。

みなさんにもそんな人がいらっしゃるかと思います。名前とか覚えてないけど、なんだか印象に残るすごい発言をしてくれた人が・・・・。
今回のその人は私が高校の時に出会った方です。ある病院の看護婦さんを束ねる総婦長さんでした。

病院の総婦長室。
彼女は机の上にあるメモ紙ケースから一枚、白い紙を取り出します。
そばにあった黒のボールペンを手に取ります。
静かな部屋にボールペンの筆圧の音が響きます。
まず「憂」と漢字を書いてくれました。
次に「憂」という字の左隣に「人」という漢字を書いてくれました。
そしてボールペンを静かに置いて、彼女がこう言うのです。
「憂いのある人のそばに立つ。わかるかしら？優しい人になってね。」
とんがった黒い縁取りの眼鏡、そのレンズの中の奥に強くて優しい女性の瞳があったのです。

優しさって何だろう？って考えたことないですか。

私がそんなことを初めて考えるようになったのは高校に入ったばかりの頃だったと思います。
当時、私は中学の時の失恋を引きずっていました。
通学のバスの中で、別の高校に行くその彼女のことを時々見かけることがありました。
その度に、情けない思いでいたことを思い出します。

中学生ですから、とても一生懸命でかわいい恋でもありました。
夕方はお互いにクラブ活動があるので、朝早く学校に行って話をしていました。
彼女はバス、自分は徒歩通学。できるだけ一緒にいる時間がとりたくて彼女が乗っているバスに遅れないように、がんばって走っていたことも思い出します。
交換日記もしていました。夜な夜な布団の中で隠れて彼女に渡すための日記を書いたりしていました。

でも依存的なところが強い恋愛だったと思います。
もっと話をしたい。こっちを見てほしい。それから嫉妬も強かったと思います。彼女の周りにいる同級生や先輩のことがすごく気になっていました。
すごく自信がなかったんだなあと思うのです。

私としてはその彼女にとても優しい対応をしていたつもりでした。
でも今思うとそれは、嫌われたくないための表面的な優しさであり、優しさの押し売りだったような気がします。
甘えたい気持ちを満たすため、自信を彼女からもらうため、そのために一生懸命、優しくしていた感じです。
それなのに何でくれないの？って感じで、どこか見返りを要求している、どこか傲慢な態度でもあったなと今は思います。

そんなわけですから、うまくいくわけもありません。うまくいかずに時々教室の自分の席でうずくまったりもしていました。
今思い出しても、穴を掘って消えてしまいたくなります。

その恋を失ってしまった自分は自分自身をどこか責めていたと思います。
「優しいとか言ったって、その人に好意を持ってもらいたかっただけじゃないのか」、
「嫌われたくないから、そんな態度をしていただけなんじゃないのか」、
「お前は優しくなんかないんだ」、
そんな声が耳元とで絶えず聞こえている感じです。

自分の優しさ、そして「優しさとは何なんだろう？」と言う疑問の形で、高校に入ってからも、ずっとそんな自分への責めが続いていたように思います。
「じゃあ、一体どうすれば良かったんだろう？」考えても答えはでませんでした。
朝、通学バスが彼女が乗ってくるバス停に止まるたびに、そんなどうにもならない思いが繰り返し出てきては、日常の生活の中に消えて行きました。

今でもとても不思議に思うのですが、その疑問への答えは突然にやってきていたのです。

それは高校の２年の終わりのある日のことです。私はおなかが痛くなり、盲腸ということで、近くの病院に入院することになりました。
そこは看護士だった母が長年勤めていた病院でした。
母は私を産んだ後、家事・育児に専念するために退職していたのですが、同僚や後輩が残っており、その中の一人が総婦長さんでした。

私が無事退院する日にどういうわけか、総婦長さんの部屋に行くことになります。
総婦長さんが「優しさとは何だろう？」と自分の心の中のどこかにずっと抱えていた疑問への答えをそっと私に伝えてくれていたのです。
その時はぴんと来ませんでした。でも、総婦長さんは優しさについて私に伝えてくれるために登場してくれたんだ。今はそう思うのです。

総婦長さんのことを今も時々考えます。

総婦長さんはきっとこれまで、来る日も来る日もたくさんの憂いのある人を目の前にして、その人のそばに立つことを選択し続けたのだと思います。
しんどい時もあったと思います。でもそのしんどさや自分の憂いよりも、憂いのある人のそばに立つことを選択し続けたのだと思います。
目の前にある憂いのある人から目をそむけることなく、しっかりと見て、しっかりと向き合うことを決意して、
「おはようございます。今日はいかがですか？」と明るい笑顔で病室の中に一歩、足を進めたんだと思うのです。
それは愛だと思うのです。そして総婦長さんの姿は私の母の姿とも繋がっていきます。

「優しさは憂いのそばに立つこと。」
そこには強さや厳しさも感じます。
そこにはコミットメントがあったんだと思うのです。
それは「憂いのそばに立つ」という自らの愛を選択することでもあると思うのです。

優しさとは憂いのそばに立つ覚悟、コミットメント。
優しさとは自らの愛を選択するコミットメント。

そして私はもう一つ思うのです。
それは自分自身の憂いです。自分には何の問題もないと思いながら、自分自身の憂いからずっと逃げていた自分がいたんだなということです。
逃げないで自分の憂いのそばに立つ。自分の憂いに気づいて、そんな自分を理解する、そんな自分を愛することから始めてみる。その優しさから始めてみる。
そこを乗り越えることで、今度は誰かのそばにしっかりと立つことができる強い優しさが持てるのじゃないかと思うのです。

中学の引きずった恋愛も、バスでの思いも、そして突然の総婦長さんの言葉も、すべては繋がっていて、今の私をつくってくれている感覚があります。
やっと最近になって、高校のころに思った「優しさとは何だろう？」という疑問に少しは答えることができた感じがします。

「優しい人になってね」と、総婦長さんの声が時々聞こえています。
「優しさ」は私にとってとても特別な大切な言葉です。それは母の声でもあり、私への愛の言葉でもある。
あの時、伝えてくれて、ありがとう、総婦長さん。
「優しさとは憂いのそばに立つこと。」その言葉を胸に、今日も明るい笑顔で、私も一歩、足を進めたいと思います。



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   <title>信頼を体感する</title>
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   <published>2011-11-14T15:00:00Z</published>
   <updated>2011-11-14T15:00:07Z</updated>
   
   <summary>以前、介護のセミナーに出席した時、ちょっと面白い実習があったので、それをご紹介し...</summary>
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      <![CDATA[以前、介護のセミナーに出席した時、ちょっと面白い実習があったので、それをご紹介したいと思います。

セミナーの講師の方は、実際に介護施設を経営し、現場での経験も豊富な方で、興味深いお話をきくことが出来ました。介護サービスを利用する際には、それぞれの利用者に見合ったサービスを提供するために、サービスを受ける人の身体や意識の状態、生活パターン、家族の状況などを把握するのだそうです。これを利用者アセスメントと呼ぶそうですが、このアセスメントの時点で、どれだけ詳しくその人の状況が理解できるかで、サービスの効果も左右されてくるのだそうです。

アセスメントでは、サービスを受ける人やその家族から聴き取ったこと（バーバルアセスメント）だけではなく、表情、姿勢、動作、距離感など、観察した情報（ノンバーバルアセスメント）も重要なものとなります。熟練した介護士さんは、椅子に座っている姿勢を見れば、利き手、利き足、利き身体がわかるのだそうです。

“利き身体”とは、あまり聞きなれない言葉ですが、私たちは、狭い所を通ろうとする時に身体の左右のどちらか側を前に出して身体を回転させたり、仰向けに寝た姿勢から起き上がるときには左右の肩のどちらかを先に浮かせて起き上がりますが、その動かす体側が利き身体なのだそうです。例えば、歩行の介助をする時に、介護する人が利き身体の側に立つと、動きがブロックされて介護される人は非常に動きにくくなりますし、介護する人も動かない人を介助することになるので、大変になります。

また、介護では、介護する側とされる側の“信頼関係”が大事なのだそうです。信頼関係がないと、介護される人の身体に力が入り硬直して動かしにくく、逆に信頼関係があると、介護される人が力を抜き身体を預けてくれるので、自由度が増して動かしやすくなります。

そこで、セミナーでは、“信頼”を体感する実習をやったのですが、私も実際に行なってみて、目からウロコでした。まず、自分一人で立って背中を反らせます。次に、二人一組で背中合わせになって、一方の人がもう一方の人の背中に身体を預けながら、後ろに反ってみます。どちらが、後ろに大きく反ることができたでしょうか？（みなさんも、実際に行って、体感してみてくださいね。）

ほとんどの方は、二人一組でやった時の方が深く反ることができたことでしょう。それが、その人本来の身体の柔軟性なのだそうです。また、初対面の見ず知らずの人より、よく知っている仲のいい人とやった方が、身体を預けやすく反りも深くなります。

カウンセリングの時に、「信頼してみましょう＝人を頼って任せてみましょう」とお話しすることがありますが、“信頼”を身体で表現するとしたら、こんなことかもしれないなと思いました。またそれは、信頼関係が深まるほど、協力し合ってお互いが力を発揮できるパートナーシップを表しているようにも思えました。

私たちは、普段の生活の中で、気づかないうちに身体に力が入っていたり、身体が縮まっている時があります。頭を使って身体や気持を動かしているように思いますが、無意識のうちに気持が身体を動かしていることもあります。私たちの身体は、無意識に心の有り様を、表現しているのかもしれませんね。

頭と気持が一致していれば、何事もスムーズに進みますが、一致していないとストレスや身体の不調に繋がるのだそうです。これから年末に向けて、仕事もプライベートも忙しくなる時期ですが、たまには自分の身体や気持に意識を向けてあげる時間を取って、楽しい時間を過ごしたいものですね。



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   <title>ちいさなリクエストがもたらすモノ</title>
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   <published>2011-11-07T15:00:00Z</published>
   <updated>2011-11-07T15:15:08Z</updated>
   
   <summary>父が今年の初めに脳出血で緊急入院しました。 一時、家族の誰もが覚悟しないとな、と...</summary>
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      <name>編集者</name>
      
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.counselingservice.jp/column/">
      <![CDATA[父が今年の初めに脳出血で緊急入院しました。
一時、家族の誰もが覚悟しないとな、と感じる場面もありましたが、父は一命を取り留め、今は元気にしております。

父が入院中、一番気になった事がありました。
それは、母の事。

毎月、父の様子を見に実家に帰った時に気づいた事がありました。
それは、母の食生活が父と一緒にご飯を食べていた時よりもさらりとした物になっていたのです。
母は、自分の事は横に置き、誰かの為に頑張ってしまうタイプです。
特に、父の為という気持ちがとても強く、いつも
「お父さんは・・・」
「お父さんが・・・」
が、口癖なのです。
毎日、朝と晩は父の食事の介助に病院に向かう毎日です。
自分の睡眠時間や食事の事はあまり気にせず、父の側に居るという毎日です。

家の中に最愛の人であり生き甲斐である父が入院して居ないといことは母にとっての家というものは、どこかぽっかりと穴があいたような感覚を持っているのかもしれないな、と娘視点で母を見る事もありました。

そこで、
『・・・母をサポートする方法ってないかな？』
と考えてみました。
そして、実家に帰省した時に“何を食べたいか”を母にリクエストするという事をしてみたのです。

それまでは、ご飯のリクエストをするのは母に負担かけるかな？と思って母の味をふと食べたいと思った時もリクエストを控えていたのです。

しかし、
「お母さんが作ってくれたきんぴらごぼうが食べたいっ！！」
とリクエストをすると母の顔がパァっと明るくなりスーパーに行くではりませんか。
そして、いそいそと台所に立ち料理をしてくれました。
その時に母と一緒に食べたきんぴらごぼうの味は今でも覚えています。
それは、嬉しさと美味しさが混じった忘れられない味でした。

そして帰省の度、何度かご飯のおかずリクエストをして行く中で、母の中からもからも私に
『あれも食べさせたい！』
『これを食べさせたい！！』
という気持ちが出てきたみたいです。
実家に帰る連絡をする時に母からも
「これ食べたい？」
と伝え作ってくれるようになりました。
私の大好物を作ってくれるので食べるときは満面の笑顔で母と食事をします。

そういうやり取りをして行く中で、普段の母の食生活もさらりとした物でなくなりしっかりとした食事をとるようになったみたいです。


普段の生活の中でちょっとしたリクエストをする事、そしてそのリクエストをしてくれた事を素直に感謝の気持ちと共に受け取る事って大切なんですよね。

相手を想ってこそのリクエスト。
お願いした相手も自分自身にも負担にならない程度のリクエストをする事、受ける事。
それはお願いした相手にとって、自分は役に立っている、必要とされているという嬉しさを感じる事になるかもしれません。
そして、お願いする方は、独りで頑張らず頼るというチャレンジをしてみたり、お願いを受けてくれたときの嬉しさを味わうステキな切っ掛けになるかもしれません。

「お願いします」
「ありがとう」

そのちいさなリクエストから産まれる想いやりの気持ちやそれぞれの想いが循環になり、生き甲斐や、やり甲斐になったりするのかもしれません。



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   <title>こどもの心はピュアなのです</title>
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   <id>tag:www.counselingservice.jp,2011:/column//6.2909</id>
   
   <published>2011-10-31T15:00:00Z</published>
   <updated>2011-10-31T15:00:05Z</updated>
   
   <summary>私には兄と妹がいます。 兄には３人の男の子、妹には３人の女の子の子供がいます。 ...</summary>
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      <name>編集者</name>
      
   </author>
         <category term="吉村ひろえ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.counselingservice.jp/column/">
      <![CDATA[私には兄と妹がいます。
兄には３人の男の子、妹には３人の女の子の子供がいます。
兄は実家の商売を継いで、新聞の販売所をしています。

新聞の販売店というのは休みがほとんど無く、丸一日休めるのはお正月の一月二日だけです。
ふだんも朝がとても早く、午前３時前には朝刊の新聞が販売所に届き、前日に用意された折り込み広告を新聞の間に挟んでから配達します。
そして、午後３時前には夕刊の新聞が届きます。
夕刊の配達が終わると、翌日の折り込み広告の準備をします。
月末、月初めには集金もあるので、さらに忙しくなります。

私と兄の家はすぐ近所で、夕方私が　「ごはんの用意でもしよっかな～」　と台所に立つ頃玄関の方から　「チッチー（犬の名前）、ひろえ～～」　と口々に叫ぶ男児の声が時々聞こえてきます。

兄嫁が忙しいとき、そっとウチの玄関に３兄弟を放ちます。
一番上は小１、保育園の年中さん２人（下は男の子の双子です）がドタバタと入ってきて、チッチと遊ぼうとしますがチッチはこの突然の乱入者たちに若干引き気味です。

今はもう言葉が通じる歳になりましたが、もう少し小さい頃は大変でした。
「ママは今からお仕事なのでちょっと待っててね」
と言っても彼らには通じません。

兄嫁も一緒にやって来てしばらく一緒に遊んで、３兄弟を油断させます。
ママ（兄嫁）も一緒に遊んでいる、と安心し遊びに夢中になったころ兄嫁がそ～～っと仕事へと戻ります。
しばらくすると、一人が気づきます。

「ママは？」　　
「あれ？おかしいな。お仕事かな？」　と、とぼけて見せるも
「マーーマーーーッ！」
火が点いたように泣き出し玄関へとダッシュ！！脱走を試みるもあえなく確保され引き戻されます。

兄嫁が仕事を終えて迎えに来ると遊んでいようが、ごはんを食べていようが、「あっ！ママーーーーッ」と３人がわらわらと兄嫁の周りにまとわりつきます。
「ボクもお仕事手伝うのに」　
一番上の子がそう言うと、下の２人も　「ボクも～」　と口々に真似ます。

『あ～、子供はやはり親を助けたいんだな～』　とそれを見てしみじみ感じます。
そして、『私もそうだったな～』　と思い出しました。

小学校４年生のとき、早朝４時頃に突然母に起こされました。

「ちょっと団地の配達手伝って」
「うん」

団地ならば、順番に棟が並んでいて各住戸にも番号がついているので、新聞を配達する号数さえ書いてある紙があれば小学校４年生でも新聞を配ることができるのです。
そんな数字が並んでる紙を渡されまだ暗い早朝、新聞の重さにハンドルを取られそうになりながらも自転車を漕ぐ少女。
階段を昇ったり降りたりしながら、１時間半程で団地の配達は終了します。
その帰り道、冬の早朝の空はまだ暗く、時々流れ星を見れたりもします。
そんなときは、流れ星が消えないうちに願い事を心の中で呟くのです。

『みんなが元気で幸せに暮らせますように！！』

誰に聞いたか、流れ星が消えないうちに３回願いを唱えないと叶わない、というのを信じていたので超早口です。

これを思い出したとき、自分でも結構びっくりしました。
我ながら、『なんて健気で、ピュアな少女！』　と感動したほどです（笑）

私が配達に借り出されるということは、私よりも先に兄（当時小６）が借り出されているわけですが、寝起きは兄よりも私の方が断然良く、そのことを褒めてもらうと嬉しく、少し得意な気持ちになります。
不思議と　「眠いのに」　とか　「面倒くさい」　とかは一切思わず、ただ当たり前のように　「よし、行こう」　と毎朝配達に出掛けていました。

カウンセリングで親子間のお話を伺ったときに、「お母さんを救いたかったんですね」　とお話させていただくことがあります。
大人になった私たちは、そんなことは普段思い出しもしませんが、子供の頃は当たり前のようになんの疑問もなく　『親の役に立ちたい、助けたい』　と思っていたようです。
正確にいうと、『親の役に立ちたい、助けたいと思っていた』　というよりは、あまりにそれが当たり前すぎて気付かないくらい無意識に願い、行動していたのかもしれません。
自分が認められたいという思いもあったのでしょうが、親のしんどそうな顔ではなく、笑顔が見たかったのだなと思わざるを得ないのです。

人手が足りなくなると、次の人が見つかるまで配達要員に借り出されることがしばしばあったのですが、そんなピュアな気持ちで配達を手伝っていたのは私の場合小学校高学年まででした。

中学生になると　「え～～ダッル～～」　と思いつつも怒られるのでしぶしぶ手伝います。
しかし、そのうちに　「幾らで？」　と金銭を要求しだします。
その要求に　「お金をもらわないと手伝えんのか？！」　と無報酬での労働を強いられます。
反抗期の娘に無理強いをすると、よけい反抗的になります。
無理強いをされなくても、反抗はしていたであろうとは思いますが。


けれど、当時を振り返ると両親も辛かったろうな、と思うのです。
冬の寒い、まだ暗いうちから子供に新聞配達をさせるのは余程人手が足りなかったのでしょう。

甥っ子たちが、ピュアな心で　「ボクもお仕事手伝う」　というのは幾つまでだろう？
甥が金銭を要求し出した時にわたしが立つのは、親の立場か？甥の立場か？
多分、甥の立場です。←無報酬を根に持っていますね＾＾；

因みにウチの子にお手伝いを頼むと　「５００円でいいわ　」　となぜか上から目線で言われます。
どうやってタダで手伝ってもらうかという私と子供で交渉が始まります。
昔は、ピュアだったのに・・・（私も子供も）



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   <title>私のこと大事にしてくれないお母さんなんて大っキライ！</title>
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   <id>tag:www.counselingservice.jp,2011:/column//6.2908</id>
   
   <published>2011-10-24T15:00:00Z</published>
   <updated>2011-10-24T15:00:05Z</updated>
   
   <summary>いきなり、とんでもないタイトルですみません。 驚かせてしまったのではないでしょう...</summary>
   <author>
      <name>編集者</name>
      
   </author>
         <category term="伊藤歌奈子" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.counselingservice.jp/column/">
      <![CDATA[いきなり、とんでもないタイトルですみません。
驚かせてしまったのではないでしょうか？！

実はこの言葉、突然私の心の中にやってきて、思い浮かんだとたん、心がスッキリ軽くなったんです。

心理学では、自分癒しを進めていって、最後に残るのが罪悪感だと言われています。
多くの方の中にある罪悪感を一緒に見つめ、自分の中にある罪悪感についても日々考察を続けてきたんですね。
仕事、と言うよりも、単なる趣味でもあるんですけど。

自分の心をマニアックに見つめて行って、自分の罪悪感に深く入り込んで行って、言葉にできる範囲でわかったのは、

「私は両親の役に立たない悪い子だった」

という罪悪感と、そこからもたらされる「私は役に立つことに失敗してしまったんだから、成功できるわけがない。失敗することが私にはお似合いだ」という自己概念がずっと自分を苦しめている、ということでした。

少し詳しく書かせていただくと、以前のコラムでも書いたのですが、私の実家は、小さな食堂を営んでいました。（今も現役で営業中です♪）
そして、自営業の常だと思うのですが、私が小さい頃は、お金のことやお店のこと（メニューや接客や、新しく購入する機材の事etc…）で、常に二人が喧嘩をしていたり、困っているところをよく見ていました。

それは、正しい子供のあり方（笑）として、当時の私は両親の役に立ちたい、助けたい、そして褒められたい、という気持ちを持ちやすい環境でもありました。

小学生の２～３年生の時からお店のお手伝いをするようになったんですが、どんなにお手伝いを頑張っても、そこのことについては褒めてもらえるけど、両親の喧嘩はなくならないし、お金の問題も解決しない。
だから、私は失敗している、ダメな子なんだ、っていう意識があったようでした。
当然、その当時の私にそんな自覚はありませんでしたが、「失敗してるんじゃないか？」「自分のやり方が間違ってるんじゃないか」「正しいやり方が自分の外側にあるから、それを探さなきゃ」という変な焦りの気持ちはこの頃には既に持っていることに気がつきました。

この自己概念は私の人生の大きなパターンを作り出していました。

それは、いつもいざという時に必ず失敗する、大きな結果を出せない、というものでした。

大きいところでは、
仕事で良い評価を得られそうになったらなぜか失敗してしまう。
恋愛では、お付き合いしている彼と結婚話が出たとたん破局させてしまう。

小さいところでは、遅刻が多い（それも、１分、２分の遅刻）、なんでこんなところで？っていうケアレスミス等。

そして、この自己概念の目的は

『だから、私は愛されないんだ』

ということを自分の中で正当化することにあったようにも思います。

最近、私もアラフォーと言われる年齢になり、周りの友人たちが親になり始め、また、多くのクライアントさんと関わることで、「親側の気持ち・悩み」そして、子供への思いをリアルに知り、感じる事ができるようになってきました。

私はずっと、「目に見える形で」役に立たなきゃいけない、って思っていたんですね。

極端な話、自分が打ち出の小槌を探す旅に出て持って帰ってくることが、私のやるべきことなんだ！というくらい、荒唐無稽な助け方・役に立ち方を望んでいました。

それが、親側の方々の話を聞いていると、親は、子供に守ってもらおう、頼りにしよう、なんて考えてもいない、そんな発想もないんですよね。最初は、それは私の自己概念の土台を崩す言葉なので、あんまり耳に入っていなかったんです。
もちろん、ある程度の理性と社会性を持つ「大人」の私は、そんなの当たり前でしょ？と、頭で理解はしていたんです。
でも、私の中の「子供」の部分では全く納得できていなかったんですね。

けれど、親側の人たちが異口同音に、
子供が無防備でいてくれることが嬉しい。
無邪気な笑顔で笑っていてくれるから頑張れる。
わがままを言ってくれることで助けられる。
って、言うのを聞いたし、

ついさっきまで、八方塞がりでもう打つ手がない、どうしていいのか分からない、なんておっしゃって、下を向いて絶望的な顔をしていたクライアントさんが、お子さんの話題が出たとたん、背筋をしゃんとさせて、きりりとした顔つきで問題可決に向かおうとされる姿もたくさん見せていただきました。

そんな経験が少しづつ溜まってきたのだと思います。

あるセッションの中で、そんな風に溜まってきたものがイメージになって現れたことがありました。

それは、私の後ろに続く、たくさんの人たちの姿。
それは、ご先祖様や、その他の、今の私の礎になってきたたくさんの方々。
そして、私の前には同じように長く長く続くたくさんの人たちの姿。
それは、私の子や孫…と言う存在であり、私の色々な部分を継承してくれる後輩たち。

ずっとずっと続いていく１本の川の流れのようなもの。
その中に自分がいること。
そこにある、たくさんの言葉にならない、温かい愛情。

そういうものが、さぁっと、イメージとなって現れました。

と、同時に、「あんたらの学費稼がなあかんと思ってた時期は気張って働けたわ！」と豪快に笑ういつかの母の顔が浮かびました。

ああ、私は、私の思う方法で親の助けにならなくても良かったんだ。
自分ではわからない部分で十分親の助けになれていたんだ。

そして、私は十分に親からの愛されていたし、その愛情を遠慮せずに受取ってもいいんだ、って、どこかで許可が出たんですね。


それから数日後、散歩の途中で突然出てきた言葉が、タイトルの

私のこと大事にしてくれないお母さんなんて大っキライ！

という言葉でした。

なぜ、母限定なのか？という理由はまだ分からないのですが、

自分の自己概念を作る大きな土台が揺らいで、自分は愛されてるんだって体感できた時に、出てきた私は、とっても駄々っ子でした。

お母さん、もっと私を見て～！ 
私のことかまってよ～！ 
ぷうぷう！

って、わがままを言っている、心の中の子供の自分がいました。

自分の中にこんな自分がいたんだ、ってことがわかって、感動の涙を流す、と言うよりも、なんだか苦笑いしながらも、自分自身がとっても可愛く思えました。
そして、びっくりするくらい、心が軽くなったんです。

機会があれば、大きなぬいぐるみを買って、抱いて眠ってみようかと思います。
もうアラフォーだけど、私の心の中にいる、小さい子供のために。



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