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2016年2月23日

ペットに学ぶ愛され方

こんにちは、中山塁です。

突然ですが私、猫を飼っております。

そして、猫大好き人間なのであります。

私のささやなか夢は、
抱えられるだけの猫を一度に抱っこすることであります。
ああ、一度でいいから猫まみれになりたい・・・。

いやまあ、
猫派以外の方々にとっては私は十分な変人かもしれませんが、
世界中の猫好きの方々ならきっと共感してもらえることなのです。
・・・ぜひ共感して下さいませ。
猫好きの皆さま、どうか私ひとりを変人にしないで下さいませ(笑)
(これでも私はまだまだ節度のある方の猫好きだと思いますよ!)

***

私自身、猫との付き合いはそれなりに長いものですが、
人類の歴史においても、猫と人は長い付き合いがあると言われており、
紀元前より今日に至るまで、世界中で猫は愛されているのであります。

猫好きな方はお判り頂けるかと思いますが、
我々猫好きは猫の魅力に抗うことなど決して出来ません。

あれほどに自分勝手で我々の都合を無視する生き物でありながら、私達は毎度毎度、時に理不尽ですらある彼らの要求には屈してしまうのであります。
・・・何という恐ろしい生き物なのかと思います。

まあ猫だけと言わず、ペットの魅力には敵いませんよね(^^;)
たとえ忙しいときもでも、
猫にニャーニャーとすり寄って甘えられれば、
撫でたり抱っこしてあげたり、膝に乗せてあげたり、
犬なら散歩行こうよ!と言わんばかりにじっと見つめられたりすれば、
「ハイハイ、それじゃ行こうか。」と連れ出されてしまいます。

なぜペットはこんなにも愛されるのでしょうか?
太古の昔より世界中で愛されてきた秘訣とは一体なんなのでしょう?
そしてその偉大な魅力を我々人間も手に入れてしまおうではないかと、
とりあえず無理やり心理学に絡めてみるのでした(^^;)

***

私達はペットのどの辺りに愛情を抱くのでしょうか。
見た目・・・を手に入れるのは何かがキケンな気がしますので、
それ以外で考えると、やはり態度であると思うのです。

猫は嬉しい時や気持ちよい時に喉の辺りでゴロゴロと音を鳴らします。
犬なら嬉しい時や楽しい時、尻尾をぶんぶん振り回します。
このように、彼らは感情に対する反応や態度がとても素直なのです。
(もちろん、怒ったり不快に感じるときの反応も素直ですけれど。)
この反応の素直さというのは、とても重要なポイントだと思います。

私達が愛を与えたいとき、
それは愛を受け取ってもらいたいときでもあるのかもしれません。
これをペットと飼い主の関係で言うなら、
かわいいペットを愛したい!かわいがりたい!と思って、
愛情を持ってナデナデしたら、ペットが喜んでくれたように見えた。
ただこれだけでもう愛情は一層強まると思いませんか?

私達は、私達が与えたい愛を受け取ってもらえるとすごく嬉しいのです。

ペットはそれを「受け取ってるよ!」と、
ごく当たり前に表現してくれるんですね。

だから私達はペットに自分の愛が伝わっていると感じて、
そこでお互いのつながりや愛を感じることが出来るのかな?と思います。
これが彼らの魅力の秘訣のひとつ、「愛され上手」なのかと思うのです!

嬉しいときに嬉しいという表現をみせる。
好意を感じたなら好意を伝える。
感謝を感じたなら感謝をあらわす。

ただそれだけのことなんですが、
我々人間は意外と表現しなかったりします。

あなたの愛は届いているよ!と、そんな返事をしっかりとしてあげることが、「愛され上手」になるポイントのひとつなのかもしれませんね。

***

もちろん純粋な表現というのは大人になると恥ずかしかったりしますが、我々を愛してくれるペットの愛の与え方・受け取り方を参考にしてみるのも案外面白いかもな?と思います。

改めて、動物と愛情を通わせることは、
私達がどこかで忘れてしまった何かを思い起こさせてくれる、
そんな学びがたくさんあるものだと感じました。

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2016年2月16日

雪の比叡山にて ~初めてのひとり旅がくれた、ささやかな恩恵~

変わりたい、殻を破りたい、この現状を打破したい、そう思いながらもなかなか一歩を踏み出せない――、そんなことってよくあるんじゃないでしょうか。
頭ではわかっているけれどどうしても勇気が出せない、踏み出す切っ掛けを掴めない、そしてそんな自分を責めてしまってばかりで、心は雁字搦め。
それを「やる気がないからだ」と決めつけてしまうのは簡単ですが、出来ないには出来ないなりの理由があり、そしてその奥底には殆どの場合、傷ついた心がある。
心について学び始めてから、私はそう思うようになりました。

今思えばかつての私は、ただひたすら飽きもせずに、そこでずっと自分苛めを繰り返していたようなものです。
けれども、そんな私も今では、その抜け出し方もなんとか覚え、それを実践することも出来るようになってきました。
(とは言え、私の中の自分を罰したい欲求はそうそう全部が全部、綺麗になくなってくれるものでもないようで、ときにはそこに留まり続けて、またしても不毛な自分苛めにハマったりもしているのですが(笑))

その切っ掛けとなった出来事があります。
数年前、どん底にいた私が受け取ることのできた、ささやかな恩恵のうちのひとつ。
今回はそんな私のひとり旅の思い出について、書かせていただこうと思います。
皆様どうぞ、少しの間、お付き合いくださいね。


+++++

そう、あれはもう、五年も前のことになるんですね。
私が初めての一人旅に出たのは、2011年のちょうど今ごろ、二月のある晴れた日のことです。
たった一泊、二日間の短い旅ですが、それは私にとって、とても大きな変化をくれた出来事でした。

このコラムでも、ブログなどでもたびたび書かせていただいていますが、私は当時、家族の問題を抱えていました。
そのちょうど一年前くらいから、当時高校生の長女が自傷を始め、そのあと、強迫性障害を発症して苦しんでいたのです。
どちらの症状も、2010年の秋から翌年の6月くらいにかけてが一番激しかった時期で、本人も、見守る私たち夫婦にとってもとても苦しかったときでした。

それだけでなく、あの頃は私自身も他にいくつか、ささいなことではあったけれど、色々と苦しいことがあったのです。
とても大切に思っていた友人にとあるきっかけからひどく嫌われて、結果絶縁されてしまったことや、舅が倒れて入院したりなど、あの旅に出たときは本当に心底参っていて、どん底だったと思います。
けれど、家族の前で弱っているところを見せるわけにもいかず、心の中では「私がしっかりしないといけない」と自分に鞭打って、やっとのことで立っていたような状態でした。
でも本当は、「消えてなくなってしまいたい」「どこか遠くへ逃げ出したい」などという思いが強くあって、「娘があれほど苦しんでいるのに自分だけ楽になりたいだなんて、私はなんてひどい母親なんだろう」と、自分を責めてはまた逃げ出したくなるという無限ループにはまり込んでいたように思います。

そんな私にある日、ちょうど心配して電話をかけてくれた姉が、「一日でいいから、家を離れて一人っきりでどこかに行ってきたら?」と言ってくれました。
「あんたの話聞いてると、自分がいないと家がめちゃくちゃになるとか、子どもを置いて出られないとかいうけど、もう下の子だって高校一年生なんだし、旦那だって自分のことは自分でできるじゃない。○○(長女の名前)だって目を離せない状態かも知れないけど、そこは一日くらい、旦那と△△(次女の名前)に頼めばなんとかなるでしょ。信頼してやんなよ。出来ないと思うから出来ないんであって、そのくらいやって出来ないことじゃないと思うよ」

そんな姉の言葉と、当時よく読んでいて励まされていたカウンセラーさんのブログでも時々一人旅を奨めていて、それらに後押しされたのかな(笑)。
特に宿も取らず、計画も立てないまま、その日のうちに(日曜の夕方でした)夫に相談をして許可を得て、月曜日の朝、私は電車に乗ったのです。

その日は、とても寒かったけれど天気は良く、爽やかな朝でした。
行先は滋賀県大津、琵琶湖のほとりです。
前夜、偶然にも私は、当時好きだった日本画の画家さんがそこで個展を開くことを、ネットで知ったのでした。

実家以外の場所へ、ひとりで泊りで出かけたのは、全くの初めてでした。
新幹線に乗って京都駅に降り立ち、湖西線に乗り替えて、生まれて初めての土地へ。
知らない街、まさか自分が訪れるとは思ったこともない街をネット検索で調べながら歩いて、辿り着いたその個展を見て、少し足を延ばして石山寺を参拝したあと、私は琵琶湖のほとりのビジネスホテルに飛び込みで宿泊をお願いしました。

今はあまりないかもしれませんが、私たちが若いころは、旅館やホテルなどでは女性の一人旅の客は敬遠される、と言われたものです。
理由としては、家出や自殺などの懸念があるから、などと言われますが、本当のところはわからなくて、だからあのとき私は「どこも泊めてくれなかったらどうしよう」とすごく怖かったんです。
なので、ビジネスホテルなら大丈夫かも、と思って、いろいろ探しました。

予約もしていない女一人の飛び込み客でしたが、ホテルではすぐ、お部屋を用意してくれました。
そこはまだ新しくて綺麗なホテルでしたし、お部屋も清潔でとても快適な感じでした。
ようやく安心して荷物を置いて、じっくりと部屋を見まわしたら、一人旅の自由さに浮き立ち始めた気分がもっと軽くなって、本当に久々の「ドキドキわくわく」を感じました。
家に電話して、何事もなかったことを確認できたのも、長女と会話を交わせたことも、まだ少し不安だった私をさらに安心させてくれました。

その夜はホテル周辺で食事をすべく店を探し、ちょっと小洒落た居酒屋さんを見つけて「一人酒」、なんてこともしてみました。
夜の繁華街で呑み屋さんに一人で入る、なんてこともまったくの初めてでしたからとても緊張しましたし、悪いことをしているような気分もほんのちょっぴり(笑)。
だけどそれでも思いのほか快適で、美味しく楽しい時間をひとりで過ごせたのです。

翌朝はチェックアウトして、せっかくだからどこかもう少し観光をしようと思い立ちました。
私が考えた選択肢は二つ、まず一つは、琵琶湖を遊覧船でめぐるプランと、もうひとつは比叡山詣で。
琵琶湖については、私の亡くなった父が酔っぱらうとよく、だみ声で「琵琶湖周航の歌」を歌っていたことが印象深かったからです。
かなり下手な歌ではありましたが、私にとっては父の思い出のひとつでしたから、父を思い出しながら遊覧船に乗るというのもいいなあと思ったのです。
でもその時、なんとなく私は「比叡山のほうに行きたい」と強く感じていました。

そして結果、自分の直感(?)のようなものに従い、私は比叡山方面に行く電車に乗りました。
途中、うっかり反対方向の京都市内へ向かう電車に乗ってしまったことに気付き、慌てて乗り換える、なんてエピソードもあり、ケーブルカーの坂本駅に着いた時にはすでにお昼過ぎ。
家に帰ることを思えば、当然長居は出来ません。
それでも私は、どうしても諦められなかったのです。

そうして、まだ雪深い山のふもとから他に二人しか乗客のいないケーブルカーに乗り、雪でいっぱいの坂道を上って、比叡山の山門に着いた時にはもう午後もだいぶ回っていました。
極寒の二月上旬、しかも平日火曜日、ということもあって、参拝客もほとんどない境内を私は歩いて回りました。
昨日と変わって、曇りがちの山の上、雪に覆われたお寺の風景は、白と黒の二色がほとんどでしたけれど、時間が止まってしまったように感じるほど、とても美しいものでした。

来る前に迷って時間をロスしてしまったこともあって、三つのエリアに分かれるという広大な敷地内を全部を見ることは叶いませんでした。
なので私が見ることが出来たのは「東塔」と呼ばれているエリアのみで、その中でもいちばん印象に残っているのが、いちばん古い建物のように見えたお堂です。
もうだいぶ薄れてしまった記憶によれば、あのとき、あれは本堂ではないかと私は思ったのですが、名前を「根本中堂」という建物で、比叡山延暦寺の総本堂にあたる建物で、国宝だとのこと。
また、現存する建物は寛永17年(1640年)に建造されたものといわれ、日本で三番目に大きな木造建築とも言われているそうですが、私の記憶に一番残っているのは外部ではなく、その内部です。

中に入らせていただくと、広いお堂の内部は奥のほうが、私たち参拝客が入れる「中陣」というところより低くなっています。
その内部、一番奥に安置されているはずのご本尊の薬師如来は直接の拝観はできないらしく、でもその前には一人のお坊さんが手を合わせていらっしゃいました。
そしてその手前には、延暦寺創始以来1200年間消えたことがないという「不滅の法灯」という火が燃えていて、その光といくつかのろうそくが暗いお堂の中を照らしていたように記憶しています。

暗いお堂の中は日常生活の中で聴こえるような電子音ハム音などが一切なく、人が立てるちいさな音のほか、一切の音が感じられません。
私が行った時には先ほどのお坊さんのほか、作務衣のお坊さんが一人、片付けのようなことをしていただけで、その真正面の中陣の床には、参拝客が手を合わせて座れるようにでしょうか、ホットカーペットが引いてあり、私は一人、そこに座って手を合わせました。
すると、二人のお坊さんはそれぞれ一人ずつ、次々と姿を消して、お堂には私一人が残されたのです。

暗くて、ほんのり暖かくて、ただ静かで、どんな音も吸い取ってしまいそうな空間、外の寒さや雪も含めてそれらすべてが、この場にいる私を守ってくれているようでした。
生まれてくる前、子宮の中とか、「母」の胎内ってこんなかんじなのかな......なんて思いながら、私はただそこに座っていました。

あの場所で、あのタイミングで、あんな風に参拝客が一人きりになれる時間が出来るものかどうか、私には分かりません。
でも確かにあの時間、あの瞬間は私にとってまさに「奇跡」であり、「恩恵」でした。

ぼうっと目の前のご本尊様のいらっしゃるであろうあたりを、あまり視力のよくない目でぼんやりと眺めていると、何故かふと、「いいや、泣いちゃえ」って思ったのです。
まるでそれは天啓のように、私の心に降りてきた思いでした。
もしかしたら、ここでならどんな思いも受け止めてもらえる――、そんな風に感じられたのかもしれません。

何か抑えきれないものが一気にこみあげてきて、誰もいないお堂でたった一人、私は声をあげて泣きました。
あったかいホットカーペットの上で、胎児のようにうずくまって丸くなって泣きながら、私は「私、本当はこんなに辛かったんだ、苦しかったんだ」とやっと実感できたのでした。

「ずっとこのままここにいたい、ここから二度と出たくない」と思いながら、私はただただしばらく感情のままに泣き続けました。
と、どのくらい経ったのか、ようやく高ぶった気持ちが落ち着いてきて、嗚咽が収まったくらいに、人の来る気配がする気がして、私は身を起こしました。

私の視線の先に作務衣のお坊さんが戻ってきて、そうして何かまた、お仕事を始めました。
急に現実に立ち返った私はどうにか立ち上がり、護摩木に願い事を書いて納め、そこを後にしました。
はっきりとは思い出せませんが、「娘が元気になりますように」と書いたように思います。
不思議と気持ちが落ち着いて、身体が軽くなっていました。
そうして夫と娘達のためにお土産を買って、バスや電車を乗り継いて、私の初めての一人旅は無事、終わったのです。

あのとき、何度も何度も「本当にいいのかな?」「家は大丈夫だろうか」と案じながらも無理をして旅に出てよかったと、今は心から思っています。
ささやかではあったけれど、やったことのないこと、決して出来ないと思っていたことをやれた――、それは私にとってちいさな自信と勇気になりました。
「自分だけのためにひとりの時間を持つことが、こんなに素敵なことだなんて知らなかったな」とか、「『出来ないことはやりたくないこと』って言うけど、それもある意味本当なんだな、自分で責任を取る覚悟さえあればやってはいけないことなんて、もしかしたらそんなにはないのかもしれない」なんて思えたのです。
それは今まで、私の中にはまるでなかったものばかりでした。

たくさんの恩恵を受け取れたこの短い旅が、その後、私が本格的に心理学を学んでいくこと、自分を癒していくための第一歩になりました。
勇気をくれて、背中を押してくれた姉にも感謝していますし、夫が私を信頼して、快く送り出してくれたことにも心から感謝しています。


決しておおきなことでなくていい、ちいさなことからでいいから、出来ることをやってみようと思うこと。
タブーを破ること、出来ないと思っていたことをやってみること。
一人の時間、自分のためだけの時間を持つこと。
誰かの助けを借りること。
自分よりおおきなものに、委ねていくこと。

これらを難しく思うことは今でも多々あるけれど、それでもやってみよう、やってみたいと思えるようになりました。
そしてその繰り返しが、あのどうしようもなかった私を今、ここに運んできてくれたのです。

ですからどうか、もしもあなたが何かを変えたい、変わりたいと思ったならぜひ、これらに勇気を出してチャレンジしてみて欲しいのです。
きっとなにか素晴らしいことに、新しい自分に、出会えるはずだから。
ずっと応援していますね。

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2016年2月 9日

お地蔵さんとお不動さん

私は、原裕輝カウンセラー(トレーナー・講師)のワークショップなどに、ゲストカウンセラーやアシスタントとして、よく参加させていただいています。


原裕輝は、周りの人たちから、"お地蔵さん"と呼ばれています。

丸いお顔と厚みのある体躯、優しい瞳、つややかな頬、そして、
『うん、うん』と柔らかく優しい口調で相槌を打ちながら
聴いてくださるお姿は、まさに、お地蔵さんなのです。


多くの方が原裕輝を見ているだけで、『癒(いや)される』と言われている理由の一つかもしれません。


見た目や口調だけでなく、カウンセラーとしての資質や技量も、素晴らしいのです。


原裕輝は、私の話を『うん、うん、頑張ったねぇ』と、受容して、共感しながら、聴いてくれます。
それまでの頑張った苦労が、その一言で報われる瞬間です。

どんな感情であっても、一人で抱え込むことには限界があります。
一人で抱えきれなくなったときに、イライラしたり、塞ぎ込んだり、という症状として出てくることがあります。

こういうときは、感情を癒したり、昇華することが必要です。
誰かに感情を受け留めてもらうことは、感情を癒すことに有効な方法の一つなのです。

『辛いこと、哀しいことは、誰かに受け留めてもらうと半分になる』と言われることがあります。


原裕輝は、まさに『辛かったねぇ』、『哀しかったねぇ』と、受け留めてくれて、癒してくれるのです。


文字で表すと、『辛かったねぇ』だけなのですが、この文字だけでは表現できない何かが、原裕輝の言葉にはあるのでしょう。
おそらく、原裕輝が発する言葉には、受容力、共感力が含まれているのかもしれません。

それが、癒しの効果として発揮されているのだと思います。
気持ちが込められた言葉、とも言えるかもしれませんね。


誰かに受け留めてもらい、受容されて、共感してもらえると、心が軽くなります。
心が軽くなると、人は、また自らの力で歩き出すことができるでしょう。

ネガティブな感情だけでなく、ポジティブな感情もしかりです。
私がプロカウンセラーとしてデビューしたときに、
原裕輝は、手を叩いて、体を揺さぶり、顔をくしゃくしゃにしながら、喜んでくれました。
原裕輝のその表情を見ているだけで、私は心の底から嬉しさが湧き上がってきました。


『嬉しいことや楽しいことは、誰かと共有することで、倍になる』と言われることがあります。
嬉しい感情、楽しい感情は共感してもらうこと、嬉しさ倍増、楽しさ倍増です。


辛いこと、哀しいことは、原裕輝お地蔵さんに聴いてもらって、半分に。

嬉しいこと、楽しいことは、原裕輝お地蔵さんに聴いてもらって、2倍2倍に。


お地蔵さん(地蔵菩薩)の意味を調べると、以下の意味があるようです。

『苦悩の人々を、その無限の大慈悲の心で包み込み、救う』

原裕輝は、まさに、無限の大慈悲の心で包み込み苦悩の人々を救うカウンセラーであると、私は思います。


そんな無限の大慈悲のある原裕輝の下で、アシスタントやゲストカウンセラーをさせていただけて、私はとても光栄です。


そして、先日、いつものように原裕輝の下でアシスタントをしていたときに、思いもよらないことが起こりました。

それは、参加者の方から、私が『不動明王(お不動さん)』に似ていると、スマホの画像を見せてくださったことです。


不動明王の画像は、両目をカッと見開き、眉間に皺を寄せて、口は一文字に強く閉ざされ、背中には真っ赤に燃え上がる炎を背負っています。


私が"お不動さん"に似ている、という話で盛り上がっているところに、原裕輝がやってきて、『お不動さんの真似してぇ』と私に言いました。

『はて? どんな表情をすればいいのだろうか』と、私は戸惑いました。
すると、周りの人たちから、『似てる!似てる!』と大歓声が湧き上がりました。

私は、ただ、素の表情になっただけなのに。

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2016年2月 2日

人は中身

人の事を肩書で見てしまう事ってありませんか?

例えば、「先生」という肩書のある人を見ると、ついつい立派な人なのかなと見てしまったりとか。

もちろん、それなりの肩書のある方と言うのは、そこに至る努力があったり、それを持つにふさわしい何かはあるとは思うんです。

けれども、肩書は肩書。

それがその人の全てでは無いし、それで人を判断するなんて、おかしな話ですよね?

だからって、私達は、ついつい持っている肩書に左右されてしまう。

今回は、そんなお話です。

私はシステムエンジニアとして、いろんな会社さんのシステムを開発したりします。

最近、愛知県で3店舗を構える化粧品の販売店さんのシステムの開発を任せて頂いたのですが、それでお店の方と何度も打ち合わせをする事になり、それで、お店の方と、なんだか親しい感じになったんです。

毎回打ち合わせをしてくれていたのは、そのお店の経営者で30代の方。

とてもカッコいい方です。

若くして、3店舗を築き上げた、凄腕社長という感じがしました。

覇気と言うか、いかにも「デキル」という感じの方です。

それに、従業員の方をとても大切にしておられ、従業員の方からも尊敬されているなと思いました。

ある時、打ち合わせの帰り際、いろいろ雑談をしていたときの事。

「それにしても、社長は若くして3店舗も店を構えられて、すごいですね。」

と、私は言ったんです。

これは単なる私の率直な感想です。

でも、返ってきたのはちょっと意外な回答。

「いえ、私、社長じゃありません。私は、専務です。」

そして、続けてこう言われました。

「社長は、妻です。」

社長でも、専務でも、とても立派な肩書だと思います。

まして、その方は、接してみてとてもデキルという感じの方。

なんというか、自ら率先してリーダーシップを発揮されているような感じの、とても感じのいい方です。

従業員の方からも、尊敬されているように感じました。

とても素晴らしい方だと思いました。

ただ、なんとなく、何か違和感を感じたんです。

若干、ここで補足させて頂きたいのですが、「その場の空気」というものってあるじゃないですか。

なんとなく感じる奴です。

私、人からよく「空気読めないね。」と言われるほうです。

そんな空気読めない私が、何か空気を感じました。

でも、私には私が何故違和感を感じたのか、さっぱりわかりませんでした。

ちょっとしてから、従業員の方から、こんな事を教えてもらいました。

「専務は、自分が専務で、奥さんが社長と言う事を気にされているんですよ。だから、あんまり専務って言わないで下さいね。」

と。

あぁ、あの時感じた違和感は、これだったのかと。

私には、内情は全くわかりません。

人は肩書ではないと思います。

まして、夫婦でお店を経営されていて、どっちが社長で、どっちが専務かなんて、部外者の私から見たら、どちらでもいいじゃないですかと思ってしまいます。

でも、こう思ってしまいました。

「このご夫婦、奥さんが上なんだな。」

と。

人は肩書ではありません。

中身だと思います。

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