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2016年1月26日

神さまは罰を与えるのか?

近所のひとつ下の女の子とよく遊んでいた。
その子がある日
「今度の日曜,日曜学校行こう!」
と誘ってくれた。

吉村,小学校4年生の時だった。

「この子は日曜まで学校に行っているのか? いつも一緒に遊びほうけているのに,実は偉いんだなぁ。 でも,私は日曜まで学校に行って勉強するなんてイヤだな


そんな思いが瞬時に沸いてきて返事をしかねていると,それを察したのかその友達はすかさず言った。

「公民館でな,紙芝居見れるねん。歌うたったりして楽しいで。10円持って来て。お菓子もくれるから。朝9時に公民館やで


"紙芝居" "歌" "お菓子"

子供心をくすぐるには,いえ,私の心をワシづかみにするには十分なこのワード。

「わかった,行く!

日曜日の朝9時なんて,いつもならウダウダゴロゴロしている時間だったけど母親からもらった10円を握りしめ,ドキドキワクワクしながら公民館へと向かった。


そこには既に子供たちが12,3人集まっていただろうか。
そして,30代前後と思しき見たことのないお姉さんが2人,優しい笑顔で迎えてくれた。

このお姉さんたちの穏やかさは,私にはちょっとした衝撃だった。
いつも忙しくヒステリカルな母親や学校の先生たちのような厳しさや規律正しさのようなものは感じることなく,なんでも受け容れてくれそうな温和で慈愛に満ちたお姉さんたち。


少々ヤンチャな男の子のおふざけにもにこやかに

「はいはい,静かにしましょうね」

と,決して怒らず優しく包み込んでゆく。
なので,そこに来ている子供たちはお姉さんたちが大好き。
お姉さんたちの愛の前では,ヤンチャ坊主もすぐにお利口で素直な少年にならざるを得ない。


日曜学校の最初はお祈りから。

「天にまします我らの父よ。」
から始まり,最後は
「アーメン」
で終わるキリスト教の代表的な "主の祈り"

なんのことだかさっぱりわからずとも,お姉さんたちに倣ってその文言を復唱してゆく。

その後もお姉さんたちは,聖書の一節を読んで解説してくれたり賛美歌を歌ったり,イエス・キリストの逸話を紙芝居で上演してくれたりと,キリスト教のなんたるかは分からずとも "紙芝居" というアイテムの持つワクワク感が子供たちを惹きつける。

そして最後にもう一度お祈りをして,持ってきた10円をお姉さんが持つ箱に入れて(当時はこの10円でお菓子をもらえるんだと思っていましたが,ささやかな寄付金ですね),お菓子をもらって帰るというあっという間の日曜日の朝だった。

それからしばらくは,安楽の地を求めて毎週日曜日は公民館へと通った。
今思えば簡単な子どもである。


日曜学校に行っていたからクリスチャンになったかというと,そういうわけではない。
けれど 『神さま』 をはっきり意識したのはこの頃からだと思う。


神さまに会ったことはモチロン無いので,実在するかどうかはわからないけれど私の中での神さまのイメージはすべてを受け容れてすべてを許してくれる寛容な存在。

失敗しても間違えても,嘘をついてしまっても怠けものでもいじけても悪態をついても,優しくなれなくても妹をいじめても宿題をしなくても,神さまは怒ったりましてや罰を当てるなんてことはしない,という考えがこの頃から確立されていった。


∞・∞・∞・∞


ここカウンセリングサービスの母体である 「神戸メンタルサービス」 の代表であり,心理学の師匠でもある平が,ある時のワークショップで

「みなさんは "こんなひどい私は神様が罰を当てるに違いない" と思っているようですが,神さまは本当にあなたに苦しい思いをさせるでしょうか? あなたに苦しい思いをさせる神さまは神さまと呼べるでしょうか?」

とレクチャーしているのを聞いた時,激しく同感した。

「異議なし!」

と叫びたかったくらい。

子供の頃,親や周りの大人から

「悪い事したら神様にバチを当てられるよ」
「誰も見てなくても神様にはお見通しなんだよ」

なんて言われませんでしたか?

悪いことをしたり嘘をついたり怠けたりしないように,親や大人は躾のつもりでそんな風に言い聞かせるわけだけど,神さまにしたらとんだ悪役を押し付けられていい迷惑ではないだろうか?なんて思うわけです。


「宿題をしなかったり妹をいじめた時,雷を落として罰を与えるのはお母さん,あんただよ」

幼い頃の私が自分の感じていることを上手く言語化出来ていたなら,母にそう反論しただろう。


しかし,宿題をしなかったり妹をいじめても何事もなく幸せで穏やかな日々が続くより,母から怒られるならその方が良いかもしれない。

なぜなら,嘘をついても意地悪をしても咎められず,母がにこやかにホカホカの美味しいご飯を差し出したなら,それほど気まずく恐ろしいものはないだろうと思うから。


「いつかバレるのでは?」
「バレたら,いかほどに怒られるだろう?」

バレたり怒られたりしていない時から恐れと不安を感じさせているのは,紛れもなく自分自身の心で,そうなるともはや母でもなく神さまでもない,他ならない自分の心が自分を裁いて罰を当てていることになるのでは?
たとえ周りを騙せても,自分の心はだませないんですよね。


神さまがいるとしたら,そんな "やらかしてしまった私" でも

「まぁ仕方なかろう。そなたにはそなたなりの事情があっただろうから。以後,気を付けるように」

と,罰を与えるのではなく人間の弱さや狡さを容認してくれるだろう,と思うのです。

"やらかしてしまった" ことは修正すれば良いだけです。


あなたが最悪な気分に陥る時,もしかしたら自分で自分を裁いてるのかもしれません。

だとすると,自分を罰するのではなく,慈悲深く慈愛に満ちた神さまのように自分自身を容認してみてくださいね。

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2016年1月19日

タイムカプセルに詰まった想い

こんにちは、服部希美です。

このコラムが掲載されるのは1月の半ばになるのですが、
実は、私がこのコラムを書いているのは、2015年の年末。
しかも、あと数日で2015年が終わろうとしています。

普段から、こういったコラムの締め切りは、
掲載される日よりも少し前だったりするのですが

同じ日数でも「年をまたぐ」というだけで
なんだか、すご~く先の未来に向けて書いているように感じてしまうのは、私だけでしょうか??

* * * *

未来に向けて、といえば。
みなさんは「タイムカプセル」を埋めたことってありますか?

思い出の品物や宝物、未来の私へ向けた手紙などを集めて、
ケースに入れて土中に埋める、あの「タイムカプセル」です。

実は私、中学生のころ、
「タイムカプセル」を埋めたことがあるんですね。

そのきっかけは、中学校の卒業のときに、
クラスごとにタイムカプセルを作り、成人式で開封しよう☆という
企画が持ち上がったから、なのですが

埋めた場所を覚え間違えたのか、
はたまた、誰かが掘り返してしまったのか

いくら探しても、タイムカプセルは見つからず、いまでも行方不明のまま、という
それはそれで、いい思い出のひとつになっているんですよね。

ちなみに、私はタイムカプセルに

未来のお友だちにあてた手紙、
絵が上手だったお友達のイラスト(当時の私の宝物!)を入れた記憶があるのですが、
みなさんだったら、どんなものをタイムカプセルに埋めたいですか?

あなたが未来に届けたいものって、なんでしょう?

「未来に届けたいもの」というのは、
あなたが「いま」とっても大切だと思っているもの、
じゃないかな?って、私は思うんですね。

現に、当時の私にとって「お友達」は、とても大切な存在でした。

小・中学生の頃の私は「いじめられっ子」だった上、
家族ともうまくいかなくて、しんどかった時期で、
そんな私にとって「お友だち」は、自分を支えてくれる、拠り所のような存在だったんです。

だからこそ、当時の私は、
未来のお友達に宛てて、お手紙を書いたんだと思うんですよね。

どんなことをお手紙に書いたのかは、さっぱり覚えていませんし^^;
実際のところ、タイムカプセルが行方不明になったので、
お手紙自体は、お友だちに届かなかったのですが・・

成人式の時期になるたびに、タイムカプセルのことを思い出し

当時の思い出や、感謝の気持ちや・・
大切なものを思い出させてくれるんですよね。

タイムカプセルを埋めてから20年あまりが経っているのに、
いまだに私に、ギフトを与え続けてくれています。

* 

実際に、タイムカプセルを埋めるまでしなくても。

「私が、タイムカプセルに入れたいものって何だろう?」

って、思いを巡らせてみると、
あなたの「宝物」が、見つかるかもしれませんよ~。

良かったら、みなさんも考えてみてくださいね♪

そしてもし、宝物を見つけることが出来たなら。
「いま」大切にしていただけたらなぁと思います。

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2016年1月12日

年末年始の神事に思うこと

こんにちは、あきやまです。
このブログを書いている今は年末。
クリスマス真っ盛りです。
これから忘年会、納会、大掃除、大晦日、初詣、新年会、
そして十日戎とイベントが盛りだくさんです。

十日戎は私が香川から大阪に出てきて初めて体験したお祭りです。
笹をもらい、縁起物を買って福娘さんに結んでもらうのが一般的のようです。
ですが、友人に連れられていった神社では福引になっていて、
当たれば大きな縁起物を、
当たらなければそこそこの縁起物を結んでくれるシステムでした。
これは神社ごとによって違うことがあるようです。
大阪ではなんばにある今宮戎神社が有名ですが、
毎年報道される人出の多さにビビってしまい、今だに行っておりません。

ふと年末年始というのは神様と関わる事が多いなあと気付きました。
いや、地域差?
いやいや、香川にいても小さな頃は夏祭り、秋祭り、
子供神輿など神事に関わる事が多かったような...。
年齢のせい?
もしかしたら単純に私が神様から遠ざかっていたのかもしれません。
いつから神様を身近に感じなくなったのかと考えたら、
急に神様に申し訳なく思ってしまいました。

私個人の感覚ですが、関西は神様を畏怖の念で捉えているより、
「えべっさん」の呼び方に代表されるように、
物凄く身近に親近感・親密感を持って接している様な気がします。

実際、神様とはどんな方なんでしょうかねぇ?
私が知っている日本神話では、よく言えば感情豊かで、怒ったり拗ねたり、
かと言えば集まって酒盛りしたり裸踊りして笑ったり...。
まあ、あんまり私たち人間と変わらないような気がします。
そんな事言っているとご機嫌を損ねてしまわれるでしょうかね(^ ^)
もし、神様が私たちと同じ様に感情をお持ちなら、
年に一度顔を見せるよりも、
マメに顔を見せては「元気?」なんて声をかける方が嬉しいかな
...なんて自分を投影してしまいました。
そう考えると今年は例年より多めに節目、季節ごとの神事を取り入れたり、
お祭り事に参加しようかなと思います。

先ずは2月の節分と立春。
それまでまだまだ寒い日々が続きます。
神様と同じ様に、好きな人達と集まって美味しいものを飲み食いし、
笑い合う事で寒い季節を乗り切ってまいりましょうか。


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2016年1月 5日

問題を課題に変えて行動続けた、私たちの2ヶ月 ~産みの苦しみすらもプロセス~

こんにちは、建部かずのぶです。

新しい年が始まりましたね。
コラムをお読みの皆さまは、どんなお正月を過ごされましたか?

* * * **

それは6月頃だったと思いますが、知人にソーシャルアートのイベントに誘われました。
あまりピンと来ないままに参加してみたら、「アートで町おこし」のような内容で、
しかも上映された映画が面白くて、思わず前々回のコラムのネタにもしています。

で、一段落かと思っていたら、実は続きがあったのです。

このイベントの途中、とある鉄道会社の方が、2年前に初開催したイベントの報告をしてらして、
『へぇー、そんなことをしていたんやね。』と、その場では軽く聞き流していました。


2年経った今年、そのイベントが再び動き始めていたのは知ってはいましたが、
キックオフイベントは他の用事と重なってました。

少しは興味はあるし、コンセプトには惹かれるものの、絵も描けないし、工作もほどほどレベル・・・。
私にとって、アートってはるか遠い世界のモノだと思っていたんですね。

ところが9月の中旬、駅でふと「ボランティアスタッフ募集」のチラシが目にとまりました。

『ああ、そんなのあったんだ。でも、もう募集も終わってそうかなぁ』
と思いつつも、まぁ連絡だけでもとしてみたら、アッサリとOKでした。
そして例のごとく奥さまも一緒に、ボランティアスタッフになることができました。

ここから、はるか遠い世界だったアートに関わる一歩が始まったのです。

その週末には、3回目(最終)のスタッフ顔合わせ会。
通った事がある程度の集落の自治会館には、知らない顔が並んでます。

まずは自己紹介。その後でゲームと、見学を兼ねた会場周辺のお散歩へ。

ただ会場に行くまでとにかく坂が多い。都会育ちの奥さまは坂を歩くのが苦手。
列から遅れながらも、何とか着いていく奥さまの手を引きながら、
『うーん、これでも大丈夫かいな?』と気にしつつ、説明会と会場の下見を終えました。

そして、参加表明をしてから2週間後、アートイベントがスタートです!

会場は広範囲で、事務局でシフトを組みながら対応します。
総勢100人以上集まったようですが、単発参加もOKということなので、実働はけっこう少なく、
事務局は大変そうで、気付けば私たちの入る回数も増えてました。

まず最初に私たちが入ったのは、住宅地の入り口の駅。
元々店舗だった建物が、会場になっていました。

『イベントの知名度はどれくらいあるのかな?』と思っていると、見事なまでに通る人が素通りします。
スタンプラリーも兼ねているのに、朝一番に親子連れが立ち寄ってからは、ほとんど誰も来ません。

ええー、ここまで寂しい??

午後を過ぎて、道行く人に声をかけてみたら、少し興味を示す人が出てきました。

そのうち閉場の時間が近づき、あと数分というときに、1人のダンディな男性が入ってきました。
珍しい来場者に喜ぶ私に向けて、丹念に眺めた後にダメ出しが始まりました。

「鉄道会社がイベントやってるのに、沿線の自治会に何の連絡もない!回覧板くらい回せばいいのに」
「周辺は少子高齢化が進んで活気がない。高齢者やおばちゃんたちが動く環境を作らないと!」

あまりに真っ当なご意見すぎて、私はただ相づちをうつしかありませんでした。
(今回は周辺自治体も主催者だったので、自治体の事案だったのかも?)


次にシフトに入ったのは、終点の駅でした。
「ハイキングイベントで人が集まるから、対応して欲しい!」とのこと。
駅前の広場は、リュックを背負った人でビッシリと埋まっていました。

この駅に台を設けて、イベントのインフォメーションセンターにしたのですが、
台に並べたアートのパンフレットには目もくれず、ハイキングマップを求める人、人、人。

こちらも鉄道会社絡みのイベントなので、マップも置いてあるのですが、
創り上げられたアートのスルーされっぷりが寂しく、仲間同士で苦笑することも。

駅のインターホンから、「520名です!」とハイキングイベントの報告をする声が聞こえ、
周囲には様々なハイカーたちもいるのに、ほとんど見向きもされない私たち。


続いて今度は、ケーブル駅駐車場の横にある会場を担当をすることになりました。
山上では、手ぶらでもバーベキューが楽しめるのが売りなので、朝からハイカーたちが集合しています。

こちらでも似たような状況が見受けられましたが、この頃には、道行く人に呼びかけをするようになり、
声の掛け方を変えるなどで、アートのイベントにも興味を持ってもらおうとしてました。

たまにいい反応も返ってくるようになったりと、徐々にやりがいも感じ始めていましたが、
依然としてミスマッチな状況は目についていました。

沿線には人が多く住んでいるし、ハイキングやバーベキュー、各種イベントには人が集まってきます。
『アートへの関心が薄い・・・というか、もしかしてイベント自体を知らない人が多い?』

その帰り道、日用品の買い物と合わせて、スケッチブックとペンを買って帰りました。
そして、家に帰って【アートのイベントを開催中!スタンプラリーもあるよ~】
そんなことを書き込み、次の出番に備えたのです。


再び、駅前のインフォメーションセンターの担当です。
この日は午前中だけのシフトでしたが、目に付くところで、スケッチブックをかざしてみました。

ふと目を留める人たち。目に見えて反応が違うのが分かってきました。
しかも今までスルーされていたのが、今度は人が寄ってきてくれます。

イベントの周知が進んだのかもしれませんが、各エリアを巡回していると、作品を見ている人も増えています。
アートに興味を示す人が増えたことで、その人の動きが、別の人を呼んだところもあるかなぁとも思います。


次に、再び山の方の担当に。
通りかかる人に、スケッチブックをかざしながら、「アートのイベントやってまーす」と呼びかけてみました。

どうも目が合うと、勧誘されると受け取られる雰囲気を感じたので、
多少目線をずらしながら、スケッチブックを見てね、って感じにチラチラと。

午前中は登山やバーベキューに向かう人が多く、「また後で」といった反応が多いのですが、
前回、会場を閉める頃に限って、人がいっぱい来てしまったので、終了時刻も明記しています。

やがて昼を過ぎると、ケーブルで下ってくる人も増えてきました。
それと同時に人が途切れなくなってきたので、入り口で番をしている奥さまは慌て始めます。

暗い、靴を脱ぐ、多くて数十人しか来なかったという会場なのに、
なんとこの日は合計3桁の方々がご来場したんです!

なんとか閉場して帰るときに、たまたま事務局の方と一緒になったので報告をしたら、
のけぞって驚かれて、「レジェンド!」とまで言われてしまいました。

その後、限られた時間でしたが、何度かいろんな会場のシフトに入りました。
駆け足ながらも、全ての会場を見ていたので、
イベントの素晴らしさを私なりに説明していたら、それを聞いて入った方々もおられました。

あまりの酷い様子にふと閃いた、スケッチブック作戦。
目の前を行き交う人に、なるべく押しつけでなく、興味を持ってもらおう。
声のトーンや表情、声の掛け方や案内の仕方も、瞬間瞬間に思い浮かんだ工夫もしてみました。

そのおかげか、いつどこでご案内したか分からない方に、
「教えてくれてありがとう。もっと知っていれば良かった~」
「意外と盛りだくさんだったんだね」と。遠方から再度お越し下さったそうです。

たまたま遊びに来た人で、「思いがけないイベントに出会えて良かった」って声も。

チラシを見なかったらまず関わらなかったであろう、怒濤のような濃い2ヶ月は、
うれしい誤算の連続のなか、無事に終了したのでした。

実のところ、書けばまあ出るわ出るわと盛りだくさんだったのですが、キッカケはふと目にとまったチラシです。
そして秋の移りゆく季節を眺めながら、イベントを通して様々な気づきや発見、ご縁をいただきました。

アート作品も見る度に変わっていきましたし、出会ったアーティストさんたちの、プロならではのお話は目からウロコ。
その一方で実行委員会の方の、自戒と未来を見据えた本音のお話を聞くこともできました。

それぞれの想いをコミュニケーションしながら融合させて、オリジナルの世界として具体化する作業は、
時として「産みの苦しみ」になることもありますが、終わってみれば全てがゴールに向けてのプロセスでした。

お手伝いする側なので、状況を受け入れながらですが、役割の範囲でもできることを見つけ行動することが、意外と快感だったのです。
私の感性も、様々な人やアート、大自然と触れ合い、試行錯誤しながらも動き続けるうちに随分磨かれたなぁと感じています。
いろんな人の思いが出会って混じり合ううちに、会場エリア全体が1つのアートに変貌していくようなイベントでした。


1月は、いろんな「始まり」をあちこちで見かけたりするので、
今年の夢や目標を見据えたりするなど、どこか気が引き締まるような感じがします。

新年が明けた今、皆さまも「ほしいモノ」や「なりたい自分」に向けて、
小さな勇気を持って、今の自分にできることをチャレンジをしてみてはいかがですか?

「できない」と決めてしまうと、その時点で自身が持っている可能性が閉じてしまいます。
時々休憩しながらも、緩急をつけて行動することで、新しい扉が開かれることもありますからね。

では、皆さまにとって、2016年がワクワクでいっぱいの年でありますように☆


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