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2015年5月26日

謝ればいいわけじゃない

私は最近、日本や世界の政治経済にとても興味があって、評論家の講演を聞いたり、書籍を読むことに夢中になっています。

カウンセラーを始めた頃は、心理学の講座(カウンセリングサービスのきくまる)を聞くことに夢中になっていましたが、最近は政治経済の音声ばかり聞いています。

では、心理学に興味がなくなったのかというと、もちろんそうではありません。私は、政治経済の音声を聞きながら、こう思うのです。

心理学で学んだ人間関係の問題は、なんと、そのまま国家間の関係に当てはまる!

これに気づいた時は、とても興味深く、面白く思いました。


例えば、ご主人が浮気をしていて、奥様がクライアントさんだったとします。そして、その奥様がこう言ったと想像してみてください。

浮気の原因は、全て私なんです。全て私が悪いんです。私は、外見は人並み以下だし、なにも取り柄がないし、つまらない人間なんです。だから、主人が浮気するのは、全て私のせいなんです。

こんな感じで、自分をとても卑下してしまっている方もいらっしゃいます。

しかし、私がカウンセラーとして客観的にみると、価値や魅力のないクライアントさんには、一度もお目にかかったことがありません。

100%の確率で、みなさんそれぞれ、優しさや思いやりなど、たくさんの長所をお持ちなのです。

ですから、ご主人が浮気をしている場合に、私は、クライアントさんに、こう言うことがあります。

「冷静に客観的に考えてください。浮気をしているのはご主人であって、奥様じゃないんですよ。悪いのはどちらなんですか?悪いのはご主人だと思いませんか?」

もちろん、カウンセラーとして、深いレベルの心理分析をすれば、どちらかが一方的に悪いということはあり得ないのですが、それでも、奥様があまりにもご自身を卑下するため、あえて、奥様に「被害者意識」を持ってもらうために、奥様は悪くないと私は口を酸っぱくしてお伝えするのです。


奥様が自分自身を卑下するのは、個人レベルの問題ではありますが、政治経済の音声を聞いていて、私はこう思いました。

総じて、我々日本人は、自分を卑下し過ぎなのではないか!

我々日本人には、謙虚を美徳とする文化があります。そして、争いを好みません。

たとえば、みなさんは、こんな状況に遭遇したことはないでしょうか。

相手の主張には同意できないし、自分は悪くないと思うけど、あまり争いたくもないし、自分が謝って済むなら、もう謝ってしまおう。そして、早く嫌なこの状況を終わらせてしまおう。

そして、我々日本人は、すぐに「すいません」と謝って、その場を終わらせてしまおうとしてしまうのです。

これが日本人同士なら、お互い同じような文化の中で生きていますから、謝ってしまったほうが早く解決することもあるでしょう。

しかし、例えば、国家間同士の「外交」の場合は、当たり前ですが、相手は日本人ではないのです。

念のために書きますが、私は、外国人が良い悪いとか、日本人が良い悪いと言いたいのではありません。日本人に、そして、このコラムを見ていただいている全ての方(外国の方も含みます)に、必要以上に自分を卑下しているところがあったとしたら、もっと自分に自信を持っていいのではないでしょうか、という問いかけをしたいだけです。


最近の外交のニュースを見ますと、「日本は謝罪していない」、「日本はもっと謝罪するべき」というような見出しをみることはないでしょうか。

私が好きな経済評論家の言葉を借りると、「外交とは、謝罪しないものだ。仮にこちらが悪かったとしても、それでも謝らないのが、グローバルスタンダードだ」ということでした。

この経済評論家の言葉を聞いた時、私は、にわかには信じられませんでした。私も日本人なので、「悪くても謝らないのがグローバルスタンダード」だと言われても、ピンと来ないわけです。

しかし、政治経済を学んでいくうちに、もしかしたら、この経済評論家の言っていることは、少なくとも的外れではないような気がしてきました。

このコラムはカウンセラーとしてのコラムなので、日本と他国の今までの外交の問題については触れないようにしますが、みなさんにお伝えしたいのは、

もしかしたら、日本人は謝りすぎなのかもしれない

という視点なのです。


冒頭に例として述べさせていただいた、ご主人が浮気をしている奥様の例に戻りたいと思います。仮に、奥様が自分自身を卑下することで、ご主人が浮気を止めてくれるのなら、卑下を続けてもいいのかもしれません。

しかし、実際には、卑下を続けたところで、問題解決にはまずならないわけです。日本の外交でも、今までたくさん謝罪を重ねてきましたが、どことは書きませんが、一向に仲が良くならない外国もあるのです。

浮気をされている奥様が自分の卑下を止めて、ご主人が悪いというモードになったとき、ようやくご主人とケンカが出来るようになることがあります。そして、そのケンカを通じて、お互いの誤解が解けていき、夫婦関係の修復に向かっていくこともありますし、愛想が尽きて離婚を選択し、再婚して幸せをつかむこともあるのです。

いつまでも自分を卑下していては、もしかしたら先に進まないのかもしれません。謙虚なことは悪いことではないですが、場合によっては

「謝らないことが状況を好転させる」

こともあるということは、ぜひ心にとどめておいてくださいね。

読んでいただき、ありがとうございました。

大塚亘のプロフィールへ>>>

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2015年5月19日

時を超えて

東京へ研修で行くから会えないかしら、と突然のメールをもらって、先日、小学校からのお友達に会いました。
その日の新幹線で関西に帰る彼女と話せる時間は2時間もありません。
久しぶりに会う友達はどんな感じになったかな? お互いに年をとったと思われないかしら? 
ずっと会ってないけど何を話そうか、昔のように楽しく過ごせるかしら、などと考えながら
急いで仕事を終わらせて、待ち合わせ場所に向かいました。 
待っていたのは、若い頃と同じ雰囲気のままの彼女でした。 あまり変わってない友達を見て、
嬉しいようなホッとしたような気持ちが広がりました。 でも、ちょっと照れくさい感じもあったかなあ。 

「久しぶり!」その一言で、お互いの時間が昔にもどったようでした。 空いている店を見つけて入り、
ビールで乾杯をし、つい昨日まで会っていたかのように自然に話が出来ました。
彼女の仕事のこと、家族や子どもさんのこと、昔の友人たちの話などいろんな話が出てきます。
今の彼女の生活や彼女自身のことは、ほとんどわからなくても、気兼ねなくしゃべれて、話が弾みます。
こんなに会ってないのに、最近のことは何も知らないのに不思議だなあと思いながら、心地よい時間を
過ごしました。

前回、彼女と会ったのは、もう数年前。今回と同じように研修で東京に行くから会いたいとのことでしたが、
出来れば会うのを避けたい気持ちが私にはありました。 
なぜって、その頃の私は離婚して1年以上は経っていたと思うのですが、昔の友達には誰にも
そのことを話していなかったし、親戚にすら伝えていませんでした。
元々私は自分から連絡を取るようなタイプではないのですが、家族も含めて連絡を一切絶っていた時期でした。 

ひた隠しにするつもりはなかったけど、離婚したことを自分でもまだ受け止められておらず、
結婚に失敗したことが恥ずかしいような気持ちとか、可哀想とか思われるのもすごく嫌だったんだと思います。
だから、前回はどこでその話を切り出そうかと思いあぐねていました。 
話をしながら、いつ言おうか、黙ったままにしとこうか、頭の中ではそのことばかりが気になっていて、
楽しいというよりは心が重かったのを覚えています。 
最終的には、離婚をしたことを伝えたんですけど、彼女はあっさりと聞いて、私が話す以上のことは
聞いてくることもなく、また必要以上に気を遣ってくることもなかったので、少し助けられたような気持ちでした。
でも、私自身がまだまだ離婚ということにわだかまりを持っていたので、今回のように一緒にいて気分がラク! 
楽しい!とは言い難かったんですよね。 
(そんな時期もあったなあ、と懐かしい目 )

彼女にそんな気持ちも話しながら、また昔のようにみんなで集まりたいね!と言いながら、
時間も終わりに近づいてきました。 会った時間は少しのはずなのですが、話したりないというよりは、
穏やかなこの時間は十分だったように感じます。
前回は、私のバリアはまだまだあったけど、今回は私自身のそのバリアやわだかまりがなかったように思うと
私も少しは前へ進んでいるようです。 そして、時の流れが少しずつ心を癒して、私を変えてくれたようです。
時の流れって凄いですよね。

これからも頻繁に会うことはないだろうけど、会った途端に昔のようになれる自信は出来たかな。
離れていても、きっと何かあった時には、最後に話をしにいく場所のように思うから、
この長い繋がりを大切にしていこうと思います。
お互い、残りの人生を楽しんでいこうね。  

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2015年5月12日

初恋のひと。

心理学を学んでいると、「初恋は異性の親」というお話が出てきます。
いわゆる、「エディプス(エレクトラ)コンプレックス」、というヤツです。
この「エディプス、エレクトラコンプレックス」については、とても面白いのでぜひ別の機会にブログにでも書いてみたいのですが、今回はそれではない「初恋」についてです。
皆様、よろしければ少しの間、お付きあい下さいね。


さて、私の「初恋」は実はですね、「ウルトラセブン」様です(笑)。
どうでしょう、意外でしょうか?
私と同年代の皆様は、「ウルトラセブン」と聴いて、懐かしいお気持ちになられたのではないかと思います。

そうなんです、私が子供のころと言えば昭和40年代なのですが、その頃ってね、夕方になるとTVは子供のゴールデンタイムでした。
午後の3時、4時あたりの幼児番組が終わると、そのあとはアニメや特撮の再放送ラッシュでね。
たぶん、夕方の5時あたりから7時までは、当時のお母さんたちは忙しくご飯を作っている時間帯だったのでしょうね。
今と違ってDVD、いえ、それどころじゃなくて、家庭にはビデオすら無かった時代だから、きっと子守代わりにTVを使っていたお母さんも多かったのではと思います。

そしてその頃、最も多く再放送を繰り返していたのが、女の子向けだとアニメで「魔法使いサリー」とか、男の子向けだと「巨人の星」とか、あとは特撮の「ウルトラマン」と「ウルトラセブン」だったように記憶しています。
特に男の子向け番組は、私は5歳下に弟がいたので、一緒によく観ていたんですね。

そういえば私、「ゴジラ」さんも大好きではありますが、これはもう、年代的なものなのかもなーとも思います。
夏休みになるとよく「ゴジラ」や「モスラ」の映画もTV放映されていましたからね、あの当時。
40代、50代の皆様には懐かしい話題ではないでしょうか?

で、そんな私が一番好きで、楽しんでいたのが、実は「ウルトラセブン」だったのでした。
今の若い世代から見るときっと「古臭いなー」とか、いいとこ「レトロ」と思われるかもですが、当時はスタイリッシュでとってもカッコよかったんですね、あの世界観が。
音楽もよかったし、それに内容がね、とにかく面白かったんです。
もちろん「ウルトラマン」も面白くはあったかもしれませんが、セブンは全然テイストが違っていた気がします。
とても子供向けとは思えない感じだったりして、調べてみると、今でもマニアの間では評価が高いようです。
社会的なメッセージを感じさせる内容だったり、本格的なSF小説みたいな設定のものもあったりね。
中には、アシモフ原作のSF映画張りのお話もあって、私はドキドキしながら楽しんだものです。
ちなみに私、昔はSFやファンタジーが大好きで、学生のころは随分と読み漁っていたものですが、それもきっと、この「ウルトラセブン」の影響が強かったのじゃないかなと、自分では思ってます。


と、いうわけで、ちょっと説明が長かったかもですが、ここで本題の「初恋」に戻りますと。

うーん、どうだったかなあ……?
いつ、どういう訳で、私がセブンを好きになったか、はっきりした切っ掛けは思い出せません。
だけど、どういうところが好きだったのかは、はっきりしています。

それは彼が「見返りを求めることなく、ただひたすら地球や地球人を愛したから」

誠実で、正義感に溢れていて、けれど敵をひたすら憎んで倒すのではなく、優しさも持ち合わせていたウルトラセブンは、自分の身を削ってまでひたすら地球のために戦い続けます。
そうして最終話ではボロボロになり、瀕死の体で、最後の決戦に挑むのです。
たった一人で――。
そうして壮絶な戦いの末、敵を倒し、故郷のM78星雲に帰るのですが、当時彼が生きて帰ったのか、死んで亡骸となって帰ったのかすら、最終回ではわからなかったのでした。

でも、ファンの願いが届いたのか、彼はその後また地球に帰ってきてくれて、後輩ウルトラマンの指導役、そして地球防衛側のキャップとして、その雄姿を見せてくれました。
身体を悪くしてしまっていた彼は、もう変身することすらできず、実際に戦うことはほとんどありませんでしたが。
私はその頃、もうかなり大きくなっていて「ウルトラマンシリーズ」を見るような年齢ではなかったのですが、毎週真剣に見入っている弟のそばで、なんとなく感動していたりしたのです。
地球のためにそこまでしてくれるウルトラセブンの、その「無償の愛」に――。

そういえば、私たちに心理学を教えてくれている某トレーナーが「70年代のヒーローは一人で戦うのが主流だった」とレクチャーで語ってくれたことがあります。
戦後の高度成長時代を支えてきた世代の男性たちは、そうして一人で家族のため、社会のため、会社のため、頑張ってきたんだと、私たちの親の世代の価値観について、話してくれた時だったかな?
そう、たしかにウルトラマンも仮面ライダーもみんな一人で戦っていますね。
私の弟が幼稚園くらいには特撮の戦隊ものが始まって、5人くらいで力を合わせて戦ったり、何人かで乗り合わせる合体ロボットものが流行りだしたりしましたが、たぶんそれまでは本当にそうだったと思います。

だからかな?
私はなんとなく、たった一人で痛みをこらえて戦うヒーロー像というのに、今でも特に弱いのかもしれません。
映画の「X-MEN」シリーズも大好きで、上映されるたびにウルヴァリンを観に映画館まで行きますが、やっぱり初恋のヒーロー様は今でも特別です(笑)。
子供のころすごいなあと思っていた特撮も、今の目を見張るような最先端のCGから比べると、ちょっとショボく見えたりしましたし、あのころは驚くほど凝っているように思えた設定も、今やツッコミどころ満載ではありました。
それでもね、やっぱり、私の目に彼は輝いて見えるんです。
長年美化されてきた「想い出補正」のおかげかもしれないけれど。

はっ!今、コレ書きながら気が付いたんですが、今は亡き私の父も、たった一人で小さな会社を起こして、裸一貫で頑張ってきた人ではありました。
だとしたら私の本当の初恋も、やっぱり父、ということなのでしょうか。
なんか嫌だなあ(笑)……。

でもね、出来得るなら世の男性たちには、「自己犠牲」をして私たち女性を守るより、一緒に笑っていてくれるほうがいいなあ。
私たちだって、「あなたを守りたいんだよ」って言いたいかな。
大人になって、そして心理学を学んで、いろんなことが見えるようになった今だからこそ、思えることですけれどね。


ところで、「ウルトラセブン」は実は1967年制作の作品だそうなので、再来年に生誕50周年を迎えるそうです。
なので、再来年はぜひ私も、セブン様の生誕をこっそり祝おうと思います。


カビの生えかけた(…)古い初恋話に最後までお付き合いくださった皆様、ありがとうございました!
何を書こうかとさんざん悩んだ挙句、こんなに長く、こんなに暑苦しく、「ウルトラセブン」について語ることになるとは、書き始めたときは全く思っていませんでした(笑)。
「好き」のパワーって、やっぱり侮れませんね、ちょっと若返ったような気がします。
え?ただの気のせいだって?
わかってますよーだ、そのくらい。いいじゃない、少しくらい夢見たって♪

そうそう、ところで、あなたの「初恋のひと」は誰ですか?

三枝みきのプロフィールへ>>>

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2015年5月 5日

私の怪しい趣味。社会と折り合いを付けるために必要なもの。

怪しいなって思うんですよ、自分でも。

時々、本気で放心するんです。
以前はよく、放心してました。

ネットサーフィンしながら魂抜けているような深夜や
次の日も早いのにボーッと食べ続けている就寝前とか

以前は「あー、またやってしまった」って自分を責めていましたが
今になってやっと、それが自分にとって必要な時間だったのだと受入れることができます。


牡牛座のO型。

どんな占いを見ても、よく言えば「穏やか」
言い方を変えれば「のんびり、ボーっとしている」性格。

時間をぎゅっと凝縮させて、
ガツガツと頑張り続けるのはあまり得意ではありません。

楽しいことなら別ですが、
自分に無理を重ねると「ひずみ」が生じるのです。


それに気づいたのはここ数年。
よくよく振り返ってみると、だいぶ昔からやっていたのだなと。


特に鮮明に覚えているのが中学生のテスト前。
勉強しなくてはならないのに、集中力が切れてくると
何の目的もなく「あること」を始めるのです。


それは当時の中学生にしては、だいぶ怪しい。

今なら流行りもあるので
儀式だと笑って流せのるかもしれませんが。

ただ、本人は何も知らずにやっていたもので
その光景を思い浮かべるとゾッとします。


それは

「ロウソクの炎をだた、見つめる」

という行為。


親戚がハワイで買ってきてくれた
あだん(パイナップルに似ている)の形をしたリアルなロウソク。
高さ15センチくらいの、中身まで本物みたいな色をした
小さい果実の集合体まで表現されている手の込んだシロモノ。

今でこそ「キャンドル」なんてお洒落な言葉がありますが、
当時は「ロウソク」と呼んでいた。


初めは使うのがもったいなくて、
飾って眺めているだけだったのですが
ある時、試しに火をつけてみたのでしょう。

なぜだかそれがクセになって、
揺れる炎をただただ見つめることが止められなくなってしまったのです。

それだけでは飽き足らず、
炎の元から溶け出す、鮮やかなロウを粘土細工のようにこねくり回すことも楽しくなっていたのです。


・・・・・

テスト前の中学生が、
勉強机に大きなパイナップルのロウソクを置き

揺れる炎を見つめては、
時折こぼれ落ちるロウをこねくり回している図。

・・・・・

なんとも怪しいではありませんか!!


誰に教えられた訳でもなく、
ボーっとやっていたのです。


今でも目を閉じると、あだん実の中で揺れる炎と、
炎に照らし出されて艶っぽく溶け出すオレンジ色のロウの映像が浮かびます。


「瞑想」といえば意味ありげですが、
もちろんそんな行為なんて知るわけもなく。

完全に「迷走」です。


精神的に負荷がかかっている時、心が疲れている時。
あえて自分でその「ひずみ」を調整する時間を作ってあげないと
強引に日常でボーっとすることで何かしらのバランスを取ろうとするらしいというのを知ったのはずっと後のこと。

それが私の特徴であり、
冒頭で書いた「放心」する理由だったのです。


今では定期的に、「やばいな-」と思った時は早めに
自分を「放心」させてあげます。
「放電」なのかもしれません。


それはリラクゼーションマッサージだったり
温泉や美術館、写真や何もしないカフェ時間。

そうすることで「ひずみ」がリセットされ
清々しい気持ちでまた歩き始めることができるのです。


おそらく人それぞれ何かしらの特徴があって、社会と折り合いを付けながらやっていることと思います。
社会そのものは全体の「平均」でできていますが、「平均」だけでできた人なんていないですから。

だからこそ人と同じでない自分を責める、のではなくて
自分の扱い方を知る、ことが大事なんですよね。


※最後に、怪しい性癖はありませんし、そのような興味を持っているわけではないことを付け加えさせていただきます。念のため。


私の怪しい趣味におつき合い頂き、ありがとうございました。

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