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2015年1月27日

通学路とイチョウの木

私の実家は、自宅から、車で1時間のところにあります。

こどもを預かってもらうことも多いので、週末になると、ちょくちょく行くのですが、いつもの道が、やけに渋滞していたことがありました。
あと5分くらいで、実家に着く辺りだったのですが、この状態では、ずいぶん時間が掛かりそうでした。実家の近くですから、道はよくわかります。細い脇道へ入ることにしました。

ちょうどその辺りは、母校の中学校があり、歩いて通ったり、友人のところへ自転車で遊びに行ったり、髪を切りに行っていた店や、お菓子を買ったりした店がありました。ですから、本当によく知っているところでした。
でも、思えば、もう何十年も通ったことのない道でした。

「懐かしい道だなぁ。どんなふうになってるんだろう。」

と、ちょっとわくわくして、脇道へ入って行ってみたのです。
昔は、田んぼばかりで、広く見通しのよいところでしたが、駅や学校に近いので、新しい家がたくさん建っていました。それでも、まだ田んぼは多く、のんびりした風景には、変わりありませんでした。

通学路になっていた道に沿って、走ってみました。
1回右折したのですが、道がこんなに狭かったのかと驚きました。中学生の私には、そんな小道には、見えませんでした。でも、今通ると、車が、やっとすれ違うくらい。小さな脇道が多いので、あまり速く走ることもできません。

途中、同級生の家がありました。
母から、同級生のご両親と、何かの行事で会ったとか、買い物で見かけたなんて話しは、時々聞いていましたが、私が、同級生に会うことも、ご両親にお会いすることも、この道を通らなかった月日と同じくらい、ありませんでした。でも、手入れされた垣根や、人の気配のするお家を見ると、ああ、お元気なんだなと、ほっと嬉しくなりました。

小さな通学路は、昔からの道で、昔のままでした。
小さなアップダウンがあったり、蛇行したようなところがあったり。
歩いて通った道なので、細かいところまで、結構覚えているものです。

でも、あまりにも、狭くて、小さく見えるこの道。
車で通っているからだけでなく、私が大きくなってるんだろうな、なんて思っているうちに、まもなく、実家に着きました。
ぐっすりと眠っていたこどもたちを起こすと、

「おじいちゃーん」
「おばあちゃーん」

と、玄関に飛び込んで行きました。

車で、大きな道路ばかり走るようになったけれど、たまには、懐かしい小道を、今度は、こどもたちと、お散歩してみようかしらと思いました。

そうそう、友人の娘さんは、この道を歩いて、母校の中学校へ通っていました。
当時からあった、ブラスバンド部に入って、忙しくしているみたい。
私は、剣道部だったんだよって言ったら、今、女子部員が少ないみたいって、教えてくれました。

秋になると、空まで見上げるイチョウの葉が、これでもかと散って、辺りは真っ黄色になったものでした。銀杏が落ちる頃になると、みんなで、鼻をつまんで、部活をやっていた体育館への渡り廊下を走り抜けたことが、思い出されました。

今も、あのイチョウの木はあるのかな。
今度、娘さんに聞いてみようと思います。

自分の成長というのは、なかなか自分では測りにくいもの。
気づくことさえも、難しいものかもしれませんね。

だって、みんな、
「成長したい」
「成長しなくちゃ」
と思っていますから、

そんなふうに、上を見ている時は、
なかなか、その目指している姿には、届かないと感じてしまいます。

自分に向ける目というのは、つい厳しくなるものです。

そんなふうに、大人になっていく時、
成長を感じられないまま、日々過ごしている時。

感じられないから、成長していないわけではありません。
ちゃんと、大小の経験を積み、成熟していきます。

みなさんの通学路は、今、どんなふうになっていますか。
最近、行ったことがありますか。

もし、機会があったら、是非行ってみてください。

あの日、ここを歩いた自分が、とても小さくて幼かったことがわかるでしょう。
そして同時に、自分が、少しは成長したなと、感じることができると思いますよ。


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2015年1月20日

年賀状への想い

このコラムを皆様が眼にされるころは
新年を向かえてもうすぐ2月の声を聞く頃でしょうか

私がこのコラムを書いているのは
大掃除の準備を視野に入れ始める12月の半ばになります

この頃 手元に届き始めるのが
今年に家族などを亡くされ喪に服するために

「喪中のために新年のご挨拶を失礼させていただきます」

と言う一文が書かれた年賀欠礼状いわゆる<喪中のお葉書>です

そこにはいつも年賀状で新年の挨拶をさせて頂いている友人知人のお名前に添えて
お亡くなりになられた方のお名前や年齢が記されていることもあり
そこに見えてくる家族の歴史や時の流れに思いを馳せながら
私も作ったなあと2年前に作成した自身が投函した
<喪中のお葉書>を思い出していました

当時の私は<喪中のお葉書>に宛名を書きながら
喪中のお知らせを受け取って驚かれるかもしれないなあ
連絡してほしかったって思う人も居るだろうな
といろんな事を考えながらも
なにより<喪中のお葉書>を送ってしまったら
皆から年賀状が来ないのがなんとも寂しいなあと感じていたのです

元旦の朝 ポストを見に行くのが待ち遠しかった子どもの頃の感覚は
今もあるんだなぁと ちょっと気恥ずかしさも感じながら
繋がりのある方の新年のご挨拶のなかに
1年に1度の集合写真の中の子どもたちの満面の笑顔や
旅行先での楽しそうな写真やこだわりのイラストなど
印刷面の中に見つける手書きのメッセージは
私に向けられた特別な思いを感じてやはり嬉しいものです

ここ何年かは年賀状が唯一の交流になっている友人たちは
その新年のお知らせの中に1年間にあった出来事が垣間見え
わずかかもしれないけれど<今も繋がっている縁を改めて確認する>
きっかけでもありました

亡くなった母はしんみりするよりも楽しくて明るいことが好きでした
だからと言うわけでは無いですが
私が<喪中のお葉書>のことで物悲しさを感じているのを見たら
「ちょっとくらい楽しいのも ええんとちゃうか?」
と今にも耳元で囁いてきそうです
しかしながら当時の私は<喪中のお葉書>を作るとき
年賀状への<今も繋がっている縁を改めて確認する>私の思いを
諦めながら作っていたのだなあと思います

私が葉書を投函し終わった数日後に友人から1通の<喪中のお葉書>が届きました

その友人も家族を亡くし喪に服している事が書かれた文面の余白に
手書きでメッセージが添えられていました

「新年のご挨拶はご遠慮させていただきますが
もしも良かったら年賀状をいただけませんでしょうか
皆様の近況をお知らせ頂けたら嬉しいです」

これを目にして一瞬驚きました

年賀状をいただいてもいいの?
そう伝えてよかったの? 
世間的には無礼にならないの?
喪中なのにそれって許されるの?

こんな思いが溢れかえってきました

またその思いを抱えながらも

ああ なんて 素直な思いなんだろう と

この文章を読んで顔がほころんでいる私が居ました

こんな風に言われたら
私なら遠慮しないで年賀状を送るでしょう
そして「連絡ありがとう!また是非逢いたいです!」と
感謝の言葉のメッセージを添えてしまうと思います

またこれを読まれた方でも
喪に服していることへの配慮をされて
年賀状を出さない方もいらっしゃるかもしれません
どちらでも<喪中のお葉書>を受け取った方が
どうされるのかを選ぶことが出来るのです

年賀状を通じての<今も繋がっている縁を改めて確認する>という私の思いを
自分が喪に服していても叶えることができますね

私は<喪中のお葉書>をお送りすることで
次の年の年賀状まで交流がなくなってしまう人も居り
自分から唯一の繋がりの確認を自ら絶つような
そんな「儀式」にしていたことに気付いたのです

形式にとらわれすぎず
自分の思いを素直に相手に伝えることで
私のしたかったことへの可能性を絶たなくとも良いのです

この気付きをくれた友人には
年賀状に「ありがとう!」と添えて
送ることが出来ました

思いを素直に伝える

上手くできないときもあるかもしれません
それでも思いを絶つ事よりも
伝えていくことで繋がりを見出すことが出来るかもしれませんね

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2015年1月13日

宮古島の最後~マダムと笑顔とご縁~

こんにちは、五十嵐かおるです。
いつもお読みいただきありがとうございます。

こちらのコラムでいくつかご紹介させていただいた宮古島での生活。
早いもので東京に帰ってからちょうど1年が経ちました。
今回は島での生活を終えて、東京に帰る時の飛行機で出会った
印象的な女性についてご紹介させていただきます。
後半、マダムの言葉があなたにとって何かの気づきにつながれば幸いです。
よろしければおつきあいくださいね。

*********************
2014年1月21日

2年半、大切なことをたくさん教えてもらった宮古島生活を終えて、
東京に帰る出発の日。


宮古空港。

本当に大切な友達が勢揃いしてくれた、見送りの時間。
ずっと一緒にいることが当たり前のように感じていた友達。
帰る寸前まで、他愛のない会話で盛り上がっていた。

あの小さなゲートの向こうに行ってしまったら、
しばらく会えなくなる。

今までそんなシーンをたくさん見送ってきたのに、
まさかこんなに早く、自分が見送られる側になるなんて。


いつもみたいに話しこみそうになった時
出発のアナウンスが流れて時間に気付く。

「またね、待ってるね!」
「うん、行ってきます!」

ハグのリレーで見送ってもらいながら、笑顔なのに涙という
ぐちゃぐちゃな顔になって手荷物検査場をくぐる。
周りの音が聞こえなくなっていたのか、
搭乗者の呼び出しまでされる始末。


この島からの出発は、他の空港とは少しだけ違う。
「離島」という性質上、帰ってくるのは容易なことではない。
みんなそれを言葉にはしないけれど、
どこか見送ると言うことに「諦め」が漂う。

その見えない感情をふりはらうように
お互いの感謝と今後の幸せを祈って、とびきりの笑顔になる。
今までとは違う時間のなかに行ってしまう仲間へ寂しさは、切ない涙になる。

どうして、こんなに大好きな人たちのいるところから
出て行ってしまうんだろう。


でも。
決めたのは、わたし。

やるせない虚しさ、今後の期待と不安を抱えて

島を、出る。

島を行き来する、小さな機内。
遅れてきてごめんなさい、まだ半泣きの顔で
先に座っていた老夫婦の間をぬって窓際に座る。


飛行機が動き始めると、止まらない現実と重なって
思い出まで遠くにいってしまうみたいに感じてしまう。

悲しくて悲しくて
ただただ、涙があふれてくる。


軽快に機体が飛び立つと、あっという間に島は一望できる大きさに変わる。
こんなに小さな島での毎日は、
私にとってあまりにも大きな出来事だったのに。


その儚さが余計悲しくて、
あふれてくる思い出のぶんだけ一緒に涙も一緒に出てくる。

静かにしなくては、と少しずつ泣いていくものだから、
いつまでたっても止まらない。
持っていたハンカチがびっしょりになって
親友が餞別にとくれた柔らかいハンカチまで取り出して
またボタボタと泣き続ける。

悲しいんだか寂しいんだか、そんなのどうでもいいくらい
吐き出すように感情がでてくる。


感情はその時に解放しなかったらあとでそのつけがやってくる。
それならもう、出しきってしまえ。
開き直って1人で泣き続けることを受け入れることにした。

「間もなく到着の体制に入ります・・・」
気付いたら、乗継ぎの那覇空港に到着するアナウンスで我に返る。

出発してから1時間。
よく泣いたもんだ。

すると、トントンと右の肩を優しく叩かれる感触に気づいて振り返った。


「何か、悲しいことでもあったの?」

品のある、小柄なマダムが心配そうに私を覗き込んで
静かに問いかけてきた。
フライト中、延々と窓にはり付いて泣き続けている私を
ずっと気にかけていてくれたんだ。


「違うんです、宮古島が大好きで、みんなが大切すぎて別れが悲しいんです。
 ・・・東京に、帰るんです。」

マダムの深く澄んだ瞳が、ぐしゃぐしゃの顔で子供みたいに泣きじゃくって
ひくひくいう私を優しくなだめるように見つめてくる。


「そうなの、そうだったの。ずっと泣いていたから、
 悲しいことでもあったのかと心配したわ。
 宮古島でのことが幸せだったのね。それならよかったわ。
 
 でも、そんなに悲しんじゃダメよ。
 悲しい顔してたら悲しいことばかりやってきちゃうわよ。
 
 悲しくても笑ってらっしゃい。
 笑っていたら、楽しいことがやってくるわよ。
 これからもっと、幸せになれるわよ。」


これから、もっと・・・

東京での私に比べたら、考えられないほど自由で楽しい日々。
これ以上の幸せなんて、私にやってくるのだろうか。
暗い現実に帰る気分だった私には、素直に受け止められない言葉だった。

でも、同時に「信じたい」言葉でもあった。


優しくなだめてもらったおかげで嗚咽が少し落ち着いた私に
彼女は続けて自分のことを話して聞かせてくれた。

自分はご主人と19年前に宮古島に移住してたこと。

これから成田に向かって、トルコまで旅行に行く途中ということ。

「初めは宮古島そのものがバカンスみたいだったけど、
 さすがに飽きてしまうでしょう。
 ここは生活にお金もかからないから、海外旅行にも行きやすいのよ。」


年を重ねた今も、充分に美しいその顔に、
何事も笑いに変えて来た証拠の笑いじわが美しく刻まれている。
いつの間にか戻ってきたらしく、
マダムの隣にはとても優しそうなご主人が静かに座っている。


「笑う門には福来るっていうでしょう。笑ってらっしゃい。
 そうしたら、周りがみんなあなたの笑顔に集まってくるから。

 男性もそうよ。いつも笑っていたら、
 『この人と一緒にいればいつも笑っていられる』ってやってくるわよ。
 
 素敵な男性とめぐり合いなさい。
 そしてまた、宮古に戻ってらっしゃい。」


バカンスの初っ端から、大泣きする私が隣でごめんなさい。
その気持ちを伝えると。

「いいのよ、ぜんぜんそんなことないわよ。
 宮古島はご縁の島でしょう。いつかまた、きっとお会いできるわ。

 大丈夫、素敵な男性とめぐり合えるわよ。
 例え、悲しいことがあっても、世の中に男性はたくさんいるの。
 だから諦めないでね。幸せな相手が見つかるわよ。」


・・・まるで私の過去までわかって慰めてくれるようなその言葉に、
宮古島のご縁と人が余計愛おしくなってまた泣き出しそうになる。


そうだ、この島で私は「縁」というものを数えきれないほど教えてもらった。


「笑うのよ、楽しことを考えていれば楽しいことがやってくるの。
 ほら、また宮古島に帰ってこられるかもしれないでしょう」


たしかに。

たしかに、いつもの私だったら何でも笑いに変えられる。
でもいまは、ただただ、染みいるように悲しい。
大切な人たち、みんなを悲しませたことも悲しい。
みんなが悲しんでくれて、それもありがたくて、また涙が出てくる。


「・・・お名前、教えてもらってもいいですか」

どうしても何か残して欲しくて、それが私のその時の精一杯だった。

「マサ子と言うの」


びっくりした。
7年前、私が初めて宮古島旅行に来た時。
一緒に来た母を置いてきぼりにして一人で参加した
伊良部島ツアーで知り合い、意気投合したマダムがいた。
あまりにも仲良くなって、東京に帰ってからも頻繁に連絡を取り合った女性の
名前もまた、マサ子さんと言う人だった。

最初も、最後も、私にとっての宮古島は
「マサ子」さんにお世話になっている。


そんな不思議なご縁に感動を覚えていたら
あっという間に那覇空港に到着した。


「・・・きっと、素敵な旅行になります。祈ってます。」
嗚咽が残ってヒクヒクした声で、
マダムへのお礼にそう言うのが精いっぱいだった。

「ありがとう。それじゃあ、またね。笑っているのよ。」
そう言って、マダムは優しく私の肩をなでてご主人と静かに席を立って行った。


私の悲しみをきれいに吸い取って。


悲しみも笑顔に変えてきたであろう優雅で凛とした後ろ姿に
ただただ、彼女の旅行が素晴らしいものになるよう願いました。

最後まで、宮古島は私に優しい。

「ここに来て、本当によかった。」


これで私の思い出話は終わりです。
この場を通して、お会いしたことのない方も読んでくださっていると思うと
ご縁というものが愛おしくて仕方ありません。

私が東京に帰ってこられたのも、
待っていてくれる人たちがいてくれたからこそです。


マダムが教えてくれた通り、東京に戻ってからの1年は
今まで以上に笑顔がいっぱいで幸せなものになりました。

人がいるから、誰かと関われるから、
その場所で楽しく生きていける事を知った宮古での生活。
心から楽しい!嬉しい!を感じる。こんなに感動って素晴らしいんだ。
わたしはそれを宮古島で知りました。

この気づきは自転車に乗れるようになるのと同じで、
一度できたらどこでも大丈夫になれること。
そして本当は、「誰もがどこでも」できるということ。


もちろん、あなたも。

あなたの人生が、
笑顔いっぱいで楽しくあることを
心から祈り、応援していきたいと思っています。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
感謝をこめて。


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2015年1月 6日

近所のパン屋さんのお話。

今住んでいる、岐阜の各務原市というところは、仕事の為に昨年引っ越しをしてきたのですが、家の近所に、「どんぐりの森」というパン屋があります。
そのパン屋さんは、家から職場に行く途中にある、本当に小さなパン屋さんで、その名前のように、とてもかわいい外観をしています。

仕事帰りに初めて立ち寄った時、店内は、狭いながらも、雑貨で飾られた店内に、玄米パンやクルミパンと言った、とても体にも良さそうなパンが並んでいました。数はそんなに多くありません。夕方付近になると、ほとんど売り切れるからだそうです。

そのお店の店主は、なんとも品のいい奥さんで、エプロンをして、三つ編みを冠のようにした髪型なのですが、その風貌は、まさにこのお店のメルヘンチックにぴったりだなという感じだと思いました。
お店の外観から、店内、そして店主まで、何から何までメルヘンチックに統一され、とても素晴らしい感じです。

けれども、そんなお店だからこそ、何故かちょっとした違和感を感じるものがありました。
玄米パンと発芽玄米パンに棚に付けられたポップです。

「玄米パンと発芽玄米パンの違い。玄米パンをサイア人だとしたら、発芽玄米パンは、スーパーサイア人ちゅうことや。どや、わかりやすいやろ!」

吹き出し型のかわいいポップに、あの品の良さそうな奥さんが書いたとは思えない、なんとも個性的な説明書き。。。
でも私は、人の内面は、外見とはだいぶ違っている場合もよくある事は知っていますから、特に気にしないで店を出ました。

店を出るとき、出入り口の柱に、こんなポップがありました。

「明日も来てや!いいパンは、いつでもあると思うなよ!」

これもまた、個性的なポップだな、と思い、その店を後にしました。
またしばらくしてそのお店に行ったのですが、そうしたら、今度は、この間の品のいい奥さんでは無く、なんと、大柄で、がたいが良く、坊主頭のいかつい店主が出てきました。
メルヘンチックのかわいらしい店の雰囲気には全く合っていません。

私は、なんとなく、違和感のあるポップの正体がわかった感じがしました。
パンを買うと、「おおきに!また来てな!」と言われ、私は確信しました。

それ以来、何故かそのパン屋に行くと、お店のレジは、品のいい奥さんでは無く、そのがたいのいい旦那さんばかりでした。
そして、だんだんと話しかけるようになってきて、「兄ちゃん、おや、今日は休日なのにスーツなん?仕事?ご苦労なこったなー。」とか、あれこれと話しかけるようになり、しばらく行かないと、「兄ちゃん、久しぶりやん!もっと来てやー!」なんて言うようになってきました。

そしてなんとある時は、「兄ちゃん、そのパン買うか!それ正解やで!そのパン食べられる兄ちゃんは幸せ者や!」などと、パン屋とは思えない恩着せがましい言い方もしてきました。
そして、レジを済ませ、私が帰ろうとすると、その人は、何故か耳打ちするようにしてこう言いました。

「兄ちゃん、そのパンな、一気にペロッと食べても、わしは笑わへんで。。。それっくらいうまいからな。誰でも一気に食べてまうんよ!」と。

私は、そんな事全く気にしてないのにと思いながら、「は、はい。ありがとうございます。」と伝え、店を出ました。

正直なところ、「普通に売ってくれたらいいな。」と、よく思っています。
でも、久しぶりにその店に行くと、珍しくその日は、奥さんがレジに立っていました。
このメルヘンチックなお店によく似合う、三つ編みを冠にしたような髪型で。。。

そして、店をよく見たら、玄米パンの説明のポップも、成分や、栄養価を表す、すごく普通な感じのポップに変わっていました。
さすがにサイア人の例えでは、あまりにもわかりにくいので、奥さんがちゃんとしたものに書き換えたのかもしれません。

私は、レジの人が、いつもの坊主頭の旦那さんで無い事が、ちょっと残念でした。ええ、もちろんほんのちょっとだけですが。。。

ところでなんですが、この二人って、きっと夫婦だと思うのですが、あまりにも個性が違いすぎる二人だなと思うんです。
でも、こんな組み合わせって、心理学を学んでいると、不思議でもなんでもなく、人は、自分に持っていない資質を持っている人を好きになる性質があるようなので、むしろ、本当に惹かれあったカップルかもしれないなと思いました。

本当にロマンあふれた、素晴らしいカップルなんだろうなと思いました。
もしかしたら、ポップの書き方など、個性の違いで喧嘩する事もあるかもしれませんが。。。

今回は、近所にあるパン屋さんを例に、「夫婦」というもののあり方について書いてみました。
でも、そんなたいそうな事を言いたい訳では無く、ちょっと「くすっ」としてもらえたら嬉しいです。


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