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2013年12月31日

婚活してる友人の話

一年以上ぶりに婚活に頑張っている友人と話をしました。婚活頑張っているけど、うまくいかないという話でした。

何回かデートしても・・・フェイドアウトのようになってしまうんです。彼女曰く、お誘いがなくなると。美人でもあるし、決してもてないタイプではないのですが・・・。

美人でとてもバイタリティーもあるのですが、感情がはっきりしているし、意見はやや押し通し気味な部分もあるので、誤解されることも多い彼女ではありますが、実際はとても自信がなくて、夢見る少女のまんま大人になった人なんです。

彼女の好きな男性のタイプって仕事もバリバリして、お金もたくさん稼いでいて、男らしいような人というか、そして自信持っててというような人。そして、まめに連絡もして優しい人。そして彼女はこう言うんです。「私普通のサラリーマンはちょっと・・・」と。

そういう人って、なかなかいないのではと思いますよね。普通のサラリーマンは無理って言っているのですから。

しかし、いいなぁと思う人がいて、付き合おうかというような雰囲気になっていた人がいてたんです。でも、終わってしまったんです。
また同じ。。。続かない。。。とてもショックを受けていました。

彼女もどうしてこうなったのか・・・と考えたところ、いつも彼が話す言葉にかぶせて自分が話をしてた ということに思い当たりました。
彼が『俺、○○したことあって・・・』とか『俺ってこうなんだ』なんてことを話すと、彼女は『それってどうよ?』とか『ふーん』『私は、こうだよ』とか言っていたんです。

こういう風に言われるのって、良い気分ではないですよね。否定されているように思いますよね。
でも、おかしいって思いませんか?

彼女は自信のあるバリバリ頑張っている男らしい人がタイプなのです。なのに、彼がそういったところを出した時、まるで彼を否定するかのように話をしているんです。

いわゆる無価値感・自信のなさが、好きな要素である部分を否定してしまうんです。
でも、本人も言っている時は気づいていないんですよね。
自分はダメと思い自信がないからこそ、一生懸命 強がっているんですよね。 
私だって 私だって  
愛されたい気持ちでいっぱいいっぱいなんですよね。
私を見て 私を見て

そういった強がった言葉、拒否してるような言葉は言えるのに、素直な気持ちはまったく言えてなかったんです。

彼女のように終わってしまった時って、とても苦しいですよね。本当に心が痛く感じてしまう人もいると思います。何が苦しさを作っているのか?この痛さはなんなのか?この痛さはどこからくるのか? 

自分の気持ちを出せていないことが、大きな原因の一つなんです。本当に言いたいこと、伝えたかったこと、聞きたかったことを言ってないからです。
本当は外へ向かっていくものが、心の中にこもってしまっているからなんです。

心の中に、こもってどこにも行けない気持ちがあると、なかなか前向きな気持ちにもならず、ひきづってしまうことにもなるんです。

関係が良い時であっても、どこか大切にされていないように感じてしまい不安になったりする原因にもなります。

自分自身が何が苦しいのか、つらいのか、何を言いたいのか、自分の気持ちを気づいてあげること。そして伝える。
状況や相手によって言い方も変えなければいけない場合もあるかもしれません。しかし、基本は素直な気持ちです。

もし、上記のようなことに心あたりがあれば、好きな人だけでなく、会社や学校、友達との会話でも素直に伝えることです。今までしていなかった分だけ、とってもしにくさを感じます。

真実に気づけば、つらい時もあります。でもこの辛さは、新たな自分 素直な自分へ変わるための原動力になります。この辛さはもう嫌だ という気持ちがあるからこそ、しにくさを感じてもチャレンジできるからです。

私の友人も、やってみようとしています。もちろん私自身も同じです。できなくても今と変わらないだけで、デメリットはありません。
あきらめない限り、いつでもチャンスはやってくるものだと思います。

奇しくも、年の変わり目ですね。辛い気持ちをパワーにし 自分にチャレンジして、私の友人や皆さんも新しい自分に出会える年であることを願っています。

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2013年12月24日

おかげさまで

私たち家族がアメリカにやってきて、4か月半がたちました。
全く言語、習慣の違う世界にやってくると、自分が無力に思うことが
よくあります。
土地勘のない街。
日本とは異なる子供の教育機関、病院のシステム、ご近所付き合い。
ごみの捨て方も(それこそ何曜日に捨てられて、どのように仕訳するのかさえ)
訊かないとわからないありさま。

それだけに多くの人たちに支えられて、初めて私たち家族は生活が出来ているのだなぁ・・
と感じる毎日です。

「おかげさまで」
「皆さんのおかげで、今日も何とかやってこられました。」
そんな気持ちをいつも感じています。

そんな「おかげさまで」を痛感した、忘れられない出来事があります。
長男が4歳の時、ある事件がおきました。
当時私たち家族はドイツに住んでいました。
長男はドイツ語が思うように話せず、現地の幼稚園では友達とうまく遊べない
状況にありました。
それでも頑張って毎日幼稚園に通ってくれた長男。
せめて頑張ったご褒美に当時大好きだったレゴブロックを買って帰ろう・・
そんな気持ちでショッピングモールの中のおもちゃ屋さんに幼稚園の帰りに
寄りました。

その時に、もうすぐ生まれてくる次男の赤ちゃん用品のある隣の棚の列を
見ようと思い立ち、
「ゆっくりブロック選んでいてね。ママ、隣の棚の列にいるから。
すぐ戻るからね。」
「うん、わかった。」
ほんの2分くらいだったと思います。そのわずかな時間、私は長男から目を離して
しまいました。

「ブロック、決まったかな?」
長男がいるはずのブロックの棚に戻ると、長男はどこにもいません。
長男の名前を呼んでも、返事が返ってきません。
「まさか、お店から出ちゃった?」
お会計のカウンターで暇そうに座っている店員さんに
「アジア人の小さな男の子がここを通りませんでしたか?」
ときいても
「見ていない。知らないわ。」
という返事。
もう一度店内に戻り、くまなく探しても長男は見つかりませんでした。
「どうしよう?もしかして誘拐された!?」
顔面から血の気が引くのがわかりました。
どこをどう探したらいいのかわからず、涙がどんどんとあふれてきます。
「どうしよう、どうしよう、どうしよう?」
走って探し回りたいのに、妊娠で大きなお腹をしていた私は早歩きをするのが精いっぱいで、
ショッピングモールをうろうろと探し回りました。
どこを探したらいいのか、皆目わからない状態。
翌日の新聞に長男の最悪の結果を伝える記事が頭を駆け巡る。
涙を流しながらうろうろと歩き回るアジア人の妊婦のお母さん。
とても目立っていたと思います。

そんなとき、長男の幼稚園のお母さんスザンナがその息子とショッピングモールの広場に
いるのが目に留まりました。
「スザンナ、お願い。私を助けて!」
事の経緯を話すと、
「みえこ、落ち着いて。まずはショッピングモールのインフォメーションカウンターに行きましょう。」
そこで子供が保護されていないか確認をすると、そのような情報は今のところない、との返事。
次にモールのお店、一件一件訊いて回ることにしました。
「アジア人の4歳の男の子を知りませんか?」と。
ある一件のお店が、それならセキュリティガードの人に探してもらってはどうか?と連絡を取ってくれました。
ほどなく、大きながっしりとした背格好のセキュリティガードのドイツ人が2人やってきて、
2人がお店に手分けをして訊きまわってくれていました。

私とスザンナはもう一度モールのインフォメーションセンターに行き、長男の情報が何かないか、聞いてみると
「今、一人のアジア人の男の子が警察で保護されているらしい」
と伝えてくれました。
同時にセキュリティガードの方の無線にも同じ情報が入ったようで、わざわざ知らせに来てくれました。
すぐに警察に出向くと、長男は警察の帽子をかぶらせてもらい、背のとても高い警察官に抱っこされて
ご機嫌でいました。

私は泣きながらその場にへたり込んで、ただ長男を抱きしめて泣くことしかできません。
警察官の方が保護の経緯を話してくれました。

お母さんがいなくなったと思ってしまった長男は、ショッピングモールの駐車場を泣きながら
とぼとぼと歩いていたそう。
それを一人の親切なおばあちゃんが
「どうしたの?ママは?お家はどこ?」
と訊いてくれ、そのモールから15分ほど歩いたところにある、当時住んでいたマンションまで
一緒に来てくれたそうです。
家のブザーを鳴らしても誰もでません。それはそうです、当時私は血眼になってモールの中、長男を探し回って
いたのですから。
偶然我が家の2階下の住民の方が偶然マンションの玄関を通り、それなら警察に連絡しましょうということになり、
長男はパトカーで警察署に連れて行かれ、そこで保護されました。

スザンナ。セキュリティを呼んでくれたお店の人。セキュリティガードの方達。
親切な通りすがりのおばあちゃん。同じマンションの住民の方。
警察官の方。
多くの方たちのおかげで、私は無事長男と出会うことができました。

「おかげさまで」

あの時の皆の助けがなければ、今現在私や長男はこうして幸せにいたかどうか、
本当にわかりません。

そんな長男も、自分の行きたかった学校に入り、寮生活をしています。
その学校での友達のおかげで、先生のおかげで、寮のスタッフの方のおかげで、充実した日々を送れている
ようです。
私はご予約を入れてくださるクライアントの方がいらっしゃるので、おかげさまでお話を伺うことができています。
この新しい土地にやってきて、何とか4か月半生活が出来ているのは、ここアメリカで出会った人たちのおかげです。

「おかげさまで」

そんな気持ちで周りを見てみると、「色々な人の愛」を感じます。
「色々な人の優しさ」を感じます。
私は自分の無力さも感じてしまうことは多々あるのですが、その無力さの分周りの人たちへの感謝の気持ちで
いっぱいになり、暖かい気持ちを感じます。

おかげさまで2013年のクリスマスも無事に迎えられました。
本当に本当にありがとうございます。

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2013年12月17日

自分の魅力に気付く ~コンプレックスとの付き合い方~

こんにちは。清原小夜子です。

先日、友人に誘われてピアノのコンサートに行ってきました。
クラッシックが好きな方ならきっと皆さま知っている演奏家なんだと思いますが
私はとんと疎いので、その方のことはその時に初めて知りました。

誘ってくれた彼女とコンサートが終わりお茶をしている時の会話で、あぁ、才能の
在り処はこういう風にわかるんだなぁ!と改めて気付く出来事がありました。

私はクラシックのコンサート会場の非日常の世界となめらかなピアノの生演奏とに
とても感激して、「華やかでとっても素敵だったねー♪」と興奮気味に伝えると
彼女はボソッと一言つぶやきました。。

「私、なんだか演奏を聞いていて落ち込んじゃった。。。私にはあんな風に弾くことは
できないなって。。。」

(私の心の中ではあの人はプロなんだから上手くて当たり前じゃない?という声が。。)

「少ししか年齢が違わないのに。。。私は一生あのレベルにはいけないの?って思うと
なんだか悲しくなっちゃっうの。。。」と言う彼女。

友人はピアノの先生をしながら、自分でもコンサートを開く演奏家。
私みたいに小学生の時に習い事の一つとしてピアノを弾いていたレベルの、生演奏を
聴いて単純に素晴らしい~!と拍手をするという位置にいるのではなく、同じ演奏家と
しての視点があればこそ生まれてくる感情があったのでしょうね。

その落ち込みや悲しみは、彼女の音楽に対する愛や情熱の表われでもあり、自分の
演奏に対する基準の高さがあればこそなんだと私は感じました。

私は素直に彼女にそのことを伝え、彼女はそんな私の言葉にびっくりしながらも
(今度は彼女が???と心の中で言っていたかもしれませんつ!)嬉しそうな
表情になって今日のコンサートの話題から、目の前のティラミスの美味しさへと
自然と会話は変わっていきました。(女子の会話はやっぱり美味しいもので
盛り上がること、多いですよね♪)


プロの写真家さんがある賞を取った時のスピーチを雑誌で読んでいたら
こんなことが書いてありました。

「私は今までずっと写真を撮ることは苦手でした。写真は大好きだったのですが
写真を撮ることに自信がなくて、いつもこんなものでは駄目だと思っていたのです。
自分で満足できるものはほとんど撮ったことがなかった。だからこの賞は本当に信じ
られません!これを励みにこれからも写真を撮り続けます。ありがとうございます。」
(ちなみにこの受賞は本でいうと芥川賞に匹敵するくらいの素晴らしい賞です)

プロの写真家で日本一ともいえる賞を受賞する方でさえ(だからこそ!?)自分の
作品に自信がなくて駄目だしをされている。でもその方は間違いなく日本でも屈指の
写真家なんです。目指すものや基準が高いからこそ深く苦悩されている。
写真を撮ることの苦労は、その才能が開いていく過程と同じなのかもしれません。


自分では駄目だなぁと思ってしまうところ、ネガティブな感情を感じてしまう分野、
色々なコンプレックスなどが、実はあなたの魅力や才能の扉を開く鍵かもしれません。


やりたいのに、やるのが怖かったりすること。
もっとやりたいのに、なかなか時間がとれないこと。
逆に時間があったら、ついやってしまうこと。

そんな中にも、あなたの魅力や才能が眠っています。

最近ネガティブな感情を感じた出来事はなんですか?
あなたにはどんなコンプレックスがありますか?

自分ではコンプレックスとしか感じられない部分も、他の人からは
魅力や才能としてみえることが沢山あります。

コンプレックスの中にある魅力や才能を一緒に探してみませんか?
そしてそれを花開いていきましょう!

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2013年12月10日

必ず笑顔になれるよ

今年も後残りわずかとなってしまいました。

皆さんいかがお過ごしでしょうか?

今年はどんな年であったかを振り返ったり、来年に向けての夢や目標を立てるにはもってこいの時期。

皆さんももしよろしければ、今年の振り返りや来年の目標を持ってみてくださいね。


---


とある日の事でした。

あまりにも美しかったので・・・

ついつい見とれてしまいました。

私のいた場所はしとしとと雨が降っておりました。

冬にさしかかった頃の冷たい雨。

どんよりとした雲。

徐々に降る雨と共に冬が近づいてきているんだな、と実感しておりました。

そんな中、ふと顔を上げると、そこには雲と太陽のコラボレーションが。

私自身の立っているその場所の遥か向こうは晴れているみたいでした。

どんよりとした天気の先にある東京のビル群を柔らかく照らすその太陽の光を見て

「今は苦しくて泣きたくなることがあっても、いつか必ず笑顔になれるよ」

なんだか、そんな言葉が心に染み渡りました。


その風景を見ながら私自身がカウンセリングサービスでカウンセリングを受け始めた頃の事を想い出していました。

その当時、私は大きな失恋が迫ってきている中、辛くって悲しくって胸が張り裂けそうな感覚を持ちながら、カウンセリングを受けておりました。

その当時は

どうしてそうなったんだろう?
私が悪かったのかな?
このお付き合いはこれで終わらせないといけないの?

など、色々な想いが心と頭の中でぐるぐるとしている状態でした。

そんな時に、じっくりとカウンセラーさんはお話を聴いてくださったのです。

どんなに泣いて言葉にならない声の時も。
ふさぎ込んで、身動きが取れなくなった感覚に囚われてしまった時も。
もう、何もかも嫌になって全てを放り投げてしまいたくなった時も。

カウンセラーさんはじっくりと話を聴いてくださって、そして色々な提案をしてくださいました。

その当時は、私が今笑顔でいる状態を信じられないと感じていたかもしれません。

この胸の張り裂けそうな状態が永遠に続くと信じて疑わなかった、そんな状態がずっと続く中でも、カウンセラーさんはじっくりと話を聴いてくださり、そして提案をして、時には面白い話で笑わせてくださいました。

カウンセリングを受ける中で、徐々に心が軽くなりました。
これから、どういう風に進んで行きたいかというヴィジョンを見つける事ができました。
周りを見ると、とても心配してくれる友人や仲間がいるという事に気づきました。

そして、気がつくといつの間にか全く表情の無かった私が心から笑えるようになっていました。

自分自身が心から笑えた時、笑いながら泣いてしまいました。

だって、そんな日が来るなんてその当時の私には全くもって想定外の事でしたから。

でもしかし、今振り返ってみると、私自身が色々な状態のときずっとカウンセラーさんは、未来の私の笑顔を見て、きっと笑顔になれるよ、という気持ちでいてくださったんだな、という事を強く感じるんですね。


本当に、ずっと根気づよく、あきらめず、優しい眼で心で見守り続けてくださったカウンセラーさんには感謝の気持ちや言葉で表現しきれない位の想いでいっぱいです。


そして、そのカウンセリングで受けた感覚や想いというのが私の今のカウンセリングの原点となっています。

やっぱりね、しんどい時はしんどいと思うんですよ。

しんどいな。
辛いな。

そんな言葉を言いたくても言えない位辛い時もあると思うんです。

そんな時だからこそ、

しんどいな。
辛いな。

が言える場所でありたいと常々思っております。

あの当時の私が、それが言えた時にホッとできたその感覚を持てる場所に。

あの当時、カウンセラーさんが見続けてくださった未来の笑顔への想いを胸に。

これからも、皆さんの笑顔になれるお手伝いをさせて頂きたいと、思っております。


全てはこれからの笑顔の為に。


最後までお読みくださいましてありがとうございました。

中村季代乃のプロフィールへ>>>

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2013年12月 3日

自筆で書いてみよう。

最近はメールで連絡をすることが多くなり、自筆で手紙を
書くことがほとんど無くなってきました。
僕自身もメールでほとんど済ませています。

先日、家の中を整理していると昔に妻と付き合っていた時に
書いた自筆の手紙を発見しました。
そして、読んでいたら当時ことを思いだしたのと同時に
よくこんなことを書いていたなと思う文章で恥ずかしさを
感じました。

自筆の手紙。
もう20年以上前になります。高校生の時に書いたものです。
下手な文章ながらも、一字一句に気持ちが凄くこもっていました。

で、読んでいた時にふとこんなことを思いました。

「これがデジタルの文字ならここまで感情移入ができたのだろうか?」と

もちろん、デジタルの文字が悪いというわけではなく、
デジタルの文字で読んでいても思いだすことも沢山あるし、
感情移入もします。

でも、何故か同じ文章を見た時に心に響くのは自筆なんです。
なぜなんでしょうか?

僕は自筆の場合、文字を書く一字一句にその人の命が込められ、文章
にすればその人の人生を表すからだと感じています。
過去にこんな出来事がありました。


僕の場合、昔は文字が非常に小さかったり、自由に画用紙に何か書いていいよと
言われても、画用紙の端の方に書いてました。
それをみた母はこう言っていました。

「気の小さい子やね!」

そしてこう言われていました。

「もっと大きな字を書いて真ん中に書きなさい!!」と。


ただ、文字を書いているだけなのに・・・・。子供心にこう思っていました。

「なんで文字だけでわかるねん!!!」

どこに文字を書こうが文字の大きさなんか自由なのに、母は文句を言ってくる。
母親は僕のことが嫌いなのか?
とネガティブに捉えている時期もありました。

でも今なら、言っている意味がわかります。

画用紙のどの場所に書いてもよくて、文字の大きさの制限もないのに
僕は、端のほうに小さく書いている。
これは僕のマインドがそうさせています。

その当時の僕を分析すると、すごく内向的で、周りの目をきにして、
気が弱かったように思います。
当時の環境を思いだしたとき、親同士が不仲でいつも喧嘩をしていて、
褒めてもらうことがなかった記憶があります。
そのために自分は

「ダメな子なんだ」

と感じて捉えてしまい、そのように振る舞っていました。

おそらく、堂々としたり、目立つということがその当時の僕には
抵抗があり、恐ろしいことに感じていたようです。


もちろん、今となっては、

「ダメな子と思いこんでいた」

だけで実際にはそんなことはないと言えますが。

これは僕の経験でしたが、皆様の中にも自筆の文字や文章から
周りから色々分析された経験をお持ちの方も多数いるのではないでしょうか。


普段、文章を自筆で書くときにすべての文字を意識をしながら書きません。
ほとんどの方は無意識で書いています。

そして、無意識に物事を行うという行為は日常の中で作られていきます。

無意識に書いていたとしても、書いた人の性格などが見えてくるわけ
ですから、意識を持って心をこめて書いたものであれば、今まで以上に見る側が
色々と感じることがあったとしても不思議ではないように思います。


もし、誰かに自分の気持ちを伝えたいと思ったなら、デジタルな文字では
なく、自分を表してくれる自筆ので書いてみるのもいいかもしれません。

きっと、このコラムも僕の自筆で書いたものがそのまま載ったら、
今までとは違った印象が生まれるかもしれないですね。

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投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (0)