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2013年11月26日

夫婦、日々是好日

夫が、職場の若い男性の結婚式に呼ばれ、祝辞を頼まれたとのこと。パソコンの前で、下書き原稿を作りながら、あれこれ考えています。

しばらくして出来上がった様子。「ちょっと読んでみてくれる?」と原稿を渡されました。新郎の紹介から始まり、夫曰く「最後の部分はママがいつも『ありがとう』って言ってくれるから、そのことを書いてみたよ」

そこには「私が思う夫婦円満の秘訣をひとつ申し上げたいと思います。長い結婚生活では、お互いパートナーに対して、『あれをやってくれない』『これをやってくれない』などと不満をもつ時もあるかもしれません。そんな時は、ぜひパートナーが今してくれていることに目を向けて、どんなに当たり前の事に対しても、感謝の気持ちを感じてみて下さい。そしてその思いを持って、例えば、朝起きた時に「おはよう」、ごはんを作ってくれたら「美味しいね」、仕事から帰ってきたら「お疲れさま」、何か手伝ってくれたら「ありがとう」と言葉で伝えてみて下さい。小さなことにも「そんなの当たり前」と思わずに、感謝の気持ちを感じ、それを伝えることでうまくいくことがたくさんあります。是非試してみてください。」と書いてありました。

わ、嬉しい。これって夫に褒められたってことかな?
と同時に、ふと思い出すことがありました。
我が子が小さい頃に参加した子育てのセミナーでの話です。そこの先生は、「ありがとうございます」と感謝することで家族や自分の周りの世界を豊かに幸せにすることができると語られる先生でした。先生が例としてこんな話をされました。
あるおかあさんは、お姑さんと同居しながら子育てをしており、同居のストレス、子育てのストレス等で毎日イライラしてばかり。こんな不満でいっぱいの毎日をどうしたものかと相談に来られたそうです。そんな時にその先生は、気持ちがついてこなくてもいいから「ありがとうございます」と呪文のようにつぶやいてみて、とアドバイスしたそうです。
そこで、そのおかあさんは、心がこもっていなくてもとりあえず「ありがとうございます」とつぶやくことにチャレンジしてみました。
「ほんとにやんなっちゃうわ!・・・(仕方ないわね)ありがとうございます」
「なんでこんなことやらなきゃいけないのかしら。(腹が立つけど)ありがとうございます」
と、「冗談じゃないわよ!」と言いたい気分の時でも、「ありがとうございます」と心の中で唱え続けていたところ、ある時、心の堤防が決壊したかのように涙が止まらなくなり、こんなに涙がでるのかというくらい泣けてきたそうです。
その時にそのおかあさんはこう感じたのだそうです。

「ああ、なんて私は恵まれているんだろう!」

「こんなに不機嫌な私を、家族のみんなはずっと許してくれていたんだ」

・・・
当時は、私も子育てで心に余裕がなかった時代、「不機嫌」という態度は身に覚えがありすぎて、思わず自分と重ね合わせて聞いていました。

・・・とずっと忘れていた話ですが、夫が似たようなことを(感謝が大事ということを)祝辞で述べているので思い出したのです。


改めて振り返ってみると、感謝の気持ちはとても近い関係である夫婦の間では特に大切なのかもしれません。感謝、お礼とか(ついでにデートとか)「何を今さら恥ずかしい」ということを大切にすることはうまくいく秘訣、そう思います。

夫が祝辞を頼まれたことで、私たちも結婚生活を振り返ることができ、幸せのおすそ分けを頂いた気分です。幸せなことは色々な形で連鎖するんですね。

夫の職場の○○さん
「ご結婚、心からおめでとうございます。いつまでもお幸せに」

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2013年11月19日

やーのみ女子会。

こんにちは。
宮古島に移住したアラサーの友達がどんどん増えている五十嵐です。

わけのわからないお題となっておりますが。
「やー飲み」って、宮古の方言で「家(いえ)飲み」って意味です。

ここでは住宅街は島の一部に集まっているので、友達の家もみんな近いんです。
そしてお酒が大好きな人達。
外へ飲みに行くほかに「誰かの家」で飲み会!ということがよくあります。

みんな車で5分以内。帰りはタクシーでワンメータ(460円)
各自お酒とおつまみを持ち寄って、ダラッとしながら飲める。

家主は場所を提供するだけで帰る心配ないし、酔いつぶれてもタクシーで自動搬送。
(いや、そんなことめったにない・・・です。)
人目もないから気楽に飲めるし、誰かにばったり会う(必ずあります。)とか、
隣の席の話題が自分も知ってる内容(逆の恐れも充分にあり)などの恐れもない。
なんて気を使わない、お気楽な飲み会。


先日も、徒歩5分の友達の家で「やーのみ」が開催されました。
ラフな服装で、ルンルンで家を出たところに携帯からもルンルンな着信音。


ちょうどお友達の息子さんが、宮古島へ1人旅に来ていて
来る前に観光のパンフレットとか、島の情報とかを送っていたところ。

わたしと会う予定はなかったのですが、そのお礼にお菓子を持ってきてくれたとのこと。
ありがたいー。大したことしてないので、お気遣いなくーと思いながら
遠慮なく受け取らせていただくことにしました。


偶然にも彼の宿泊しているホテルが、私の家とこれから向かう友達の家との
ちょうど真ん中にあったのでロビーで待ち合わせを。

息子さんとは初めて会ったのですが、長身で素敵な雰囲気の若者。

初めて来たというこの島の感想を聞くと、
カップルが多くて男の一人旅はちょっと寂しいところもあったそうで。
「海にはぜひ入ってね」とは伝えていましたが、一人なのでそれも実現できず。

うーん、宮古島の醍醐味味わえてない。もったいない。


そこでわたし、ひらめいちゃいました!
(ええ、もちろんロクなことではありません。)


初めてお会いした、お友達の息子さんへ。

「おねーちゃんたちと一緒に飲まない?!」


ここでちょっと状況説明を。
友達の息子さん@20歳「ハタチ」です。そして、長身、イケメン。

わたしたち、今宵の女子4人「アラサー」です。

not拉致!
not犯罪!

だって本人が「OK」って言ってくれたんですもの。


そのまま一緒に友達の家へとレッツゴーです。
なんでもあり、宮古島。

ここに来てつくづく思うこと。
人との距離と言うか、壁と言うか、そういうものがすっかりなくなってきまして。


「イケメン1人拾ってきた~!」

「おー!good job!!」


オバサマ・・・いや!オネーサマ(ここ重要!)達、大喜びで歓迎いたしました。


自己紹介もそこそこに、初対面とは思えない距離感。


彼女いるのー?

どこの大学ー?

バイト何してるのー?

私が二十歳のときはねー!

就職するなら、こーしたほうがいい!

いまのうちに旅行したほうがいいよー!

ていうかモテそう~!

サークルとか超うらやましい~!


はじめ、「僕、人見知りなんです。」と心配していたこ彼でしたが
そんなこと全く問題なく。

人見知ってる暇を与えないオネーサマ達なのです。
4:1の合コンかしら?!

そのうえ、
「わたしが二十歳に戻ったら・・・」の妄想押しつけトークが止まらない(笑)


よく考えると、社会の中ではあまり縁のを持つことのない年齢なんですよね。

アラサーからしたら、大学生って「友達」でも「子供」でもないし
大学生からしたら「親」でも「先輩」でもない年齢。

そういう意味でも、今回のご縁はお互いとても新鮮だったみたいです。


彼は東京在住で、わたしたちも内地(沖縄県以外)出身なので
内地と宮古島の違いあるあるとか
サービスありえないー、やる気ないー、浮気多いー、給料安いー
(もちろん、一部の人達です。いいところのほうがたくさんあります。)
とかしょーもない話も盛り上がったりもして。


彼がいるだけで、テンションが2倍増し。
可哀そうに、わたしたちの酒の肴となってしまった・・・
と思ったら、本人は終始ニコニコ。
結構楽しんでくれたみたいで。

ふぅ、よかったです。


さすがお母さまと同じ穏やかな雰囲気を持っていて、
そこにいるだけで場が和む力のある彼。

「お酒弱くて・・・」
なんて言葉も聞いてもらえず

チューハイが空き、ワインが空き、まっこりが空き・・・日付も変わり・・・
泡盛が出てきたところで
(ここまで書いたら、どんな女子会か!ってドン引きされそうです。
 五十嵐は見た目によらずお酒が弱いです。念のため。)

翌朝の早い飛行機で帰らなきゃならないとのことで、名残惜しくもその日は終了となりました。


「また来てねー!」

「いつでも待ってるからねー!」


悲しくも、出会いと別れに慣れてしまっている私達。
 たくさんの人たちと出会い、別れなくてはならない「離島」という特性。

でもここでは不思議なご縁がたくさんあって「別れ」は本当は「別れじゃない」ことも知っている。
 

いつもこれを最後とは思わない。
縁があるから、きっと、また会える。
(それどころか、みんなしっかり連絡先交換してたんですけどね。)

 

ちょうどその晩は新月。

フラフラな足取りで、首をそっくり返して
真っ暗な夜空に浮かぶ
満天の星空を見上げながら、来た道を歩いて帰りました。
 

「すっごいですよねー。海も、星も、全部キレイです。」

この美しさを真っ直ぐに受け入れられる、なんて純粋な心の持ち主。
これからどんな未来が待っているんだろう。

すごいな、二十歳だったら何でもできるな。何でもありだな。


この旅が、彼にとっての「何か」になりますよう、みんなが願った夜。


その後、帰宅した彼がお母さまに話した宮古島の感想はと言うと。

「昨日の飲み会が一番楽しかった!」


マジですか?

3泊4日の宮古島旅行。
海よりも、夕焼けよりも・・・
オネーサマの飲み会が楽しかったそうで。
 
若干、彼の今後が思いやられますが(爆笑)
ウソです。ね、お母さま。

わたしたちもみんな、彼の再訪が楽しみの一つになりました。

なんだろう。

アラサーも、ハタチも、宮古島も。

「全部、これでいいんだ」


そう思えた、ご縁の1コマでした。

五十嵐かおるのプロフィールへ>>>

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2013年11月12日

登山で寝坊したお話

今回のコラムは、前回書かせていただいた、「登山に行って来ます。」の続きになります。

この登山というのは、カウンセリングサービスの母体である、神戸メンタルサービス代表の平社長に同行すると言う、一般の会社の話で考えると、社長接待と言ってもいい旅行だったのですが、私は初日の集合時間に寝坊しました。

前回書いた、「登山に行って来ます。」は、まさに登山に行く集合時間のわずか数時間前に書いたコラムで、今読み返しても、これから始まる登山に胸を躍らせている天国のような状態だったなと思うのですが、その数時間後が寝坊。まさに天国から地獄と言ってもいい、精神的なジェットコースター状態でした。

なので、私は、登山初日は、集合場所ではなく、一人で現地へ向かうことになったのですが、その電車の中、私が考えていたのは、「こんな大事な日に寝坊するなんて、自分はなんてドジな男なんだろう。でもこの経験、5年後には、笑って話せるようになっていたい。」と思っていました。

初日に寝坊したとはいえ、その日の15時頃には現地に到着し、その後はとても楽しい登山となりました。そして、いつもなら、このような旅行をすると、お土産を買い込んで、旅行話とともに親しい人に渡したり、写真をブログにアップしたりするのですが、今回はしませんでした。なぜなら、初日に寝坊した事が人に知れてしまうと、自分のイメージが悪くなると思い、隠しておきたかったからです。

ところで、カウンセリングサービスには、感謝祭と言うものがあります。これは、東京、名古屋、大阪、福岡の各地域で、年一回、カウンセラーの講演会をメインとしたイベントで、講演会の合間に、クイズ大会が催されます。そのクイズは、私達カウンセラーに関する内容のクイズだったりするのですが、ここで、私の寝坊の話がネタにされてしまう事になりました。もちろん、事前に聞かされてもおらず、突然、「今回参加のカウンセラーの中で、登山で寝坊した奴がおります。それは誰でしょう?」と。私は、「えー!それクイズにされたら、私が寝坊した事、ばれるじゃないですかー!私のイメージが悪くなるじゃないですかー!」と思いました。もちろん、そう思ったって、既に出題された後ですから、じたばたしても仕方ないのは、もちろんですが。

私は、恥ずかしくて困惑したのですが、その場の参加者の方々には、暖かく(?)笑っていただき、私は、なぜかそれで心が軽くなりました。私は、笑ってもらったことで、許してもらえたと感じて、ほっとしたんだなと思います。

かくして、私が寝坊した時に思った「5年後には、笑って話せるようになっていたい。」という目標は、そのわずか半月後、「クイズ大会に出題されて、笑われる。」という、思っていたのとは随分違う方法で達成(?)されました。

そして、クイズ大会が終わってから、打ち上げなどで私は、仲間内からこの寝坊の話をつっこまれたりしたのですが、実は、クイズに出題される前から、案外みんな知っていたという事もわかりました。私は、寝坊した事がばれないようにと思って、一切自分から話をしなかったので、隠し通せていると思っていたのですが、そう思っていたのは自分だけだったと言う、余計に恥ずかしい状況だったという事も知りました。こんな事なら、始めからお土産でも渡しつつ、寝坊の話も自分からネタにして話すくらいのほうが、かっこよかったかなと思いました。

また、その登山では、山でコーヒーが飲みたいと思って、その為の道具を持って行ったのですが、私は山に行くのに重たい装備は命取りだと思い、とにかく軽量にする為に、お湯を沸かす道具として、携帯固形燃料を持って行ったんです。しかしながら、これが山の上では火が点かなくて、飲めなかったんです。名古屋の感謝祭では、もうひとつ私の失敗話として、このコーヒーが飲めなかった話(しかも、持って行ったコーヒーはインスタント。)の話も出されたのですが、初日に寝坊したことばかり考えていた私は、「おぉ、そんな失敗もしていたな!」と、コーヒーの失敗談は、もはや忘れかけていたのに、クイズ大会で、もう一度思い出して、恥ずかしい感情をもう一度味わう事になりました。

ちなみに、私は、名古屋だけでなく、東京や大阪のカウンセラーと連絡をとる機会もあるのですが、「いやぁ、聞きましたよ。コーヒー、沸かせなかったんですってね。」と、コーヒーの失敗の話を聞かれたことが、2度程あります。一体この話、どこでどう伝わっているのか、やや不安です。

けれども、この寝坊による失敗は、私にとって、マイナスな面だけではありません。プラスとなる恩恵もありました。まずは、待ち合わせの際は、集合場所へ行く時間が、格段に早くなったこと!これは間違いありません。今までは10分前につけばいいやぐらいに思っていたようなことでも、30分以上は前につきます。それから、早寝早起きを心がけ、朝はゆったりと、コーヒーを飲むようなゆとりを持つようになりました。

それから、このコラムを読んでくれた方へ一言言わせて下さい。寝坊、失敗、日々生きていれば、嫌な事だってあると思います。恥ずかしくって、穴に入りたくなるよな事もあると思います。けれども、負けないで欲しい!失敗をするのは、チャレンジした証拠。失敗も、そこで諦めなければ、単なる通過点です。と言うわけで、私は来年も、登山をして、今度こそコーヒーを飲みたいなと思っております。

小倉健太郎のプロフィールへ>>>

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2013年11月 5日

「自分らしく生きる」~潜在的に自分を縛る女性のイメージを知る~

最近、ある本のことをよく思い出します。

以前に、このコラムでも書かせていただいた、「陽の末裔」(市川ジュン:著)という漫画のことです。
(>>>「元始、女性は実に太陽であった」の思い出

「陽の末裔」は、大正から昭和を舞台に生きた、幼なじみである「咲久子」と「卯乃」という二人の女性の物語です。
地道に女性解放運動を続けた「卯乃」。
一方、美貌と情熱という魅力を使って、華族と財閥の長にまでのぼりつめた「咲久子」。
二人の歩んだ道は、それぞれ違っていても、「女性らしさ」を貫く生き方は同じでした。


私は男性ですが、カウンセリングでお話させていただく方の多くは女性ですので、女性の考え方や立場、女性ゆえの苦しみ、悩みなどを、たくさん伺ってきました。

そうしたお話を伺ってきて、最近、特に思うのは、「女性らしく生きる」ことの大変さ、です。

現代は、男女平等の社会ですが、それでも、まだまだ「男性社会」です。
そのために、女性が悩み、苦しむ場面も、たくさんあると思います。

ところが、歴史的、政策的な背景があるのはもちろんなのですが、それだけでない要素があるのではないか、と私は思うようになりました。

私たちは、潜在的に「女性のイメージ」というのを持っていて、そこに無意識に縛られているように思うのです。

女性のイメージとは、理想的な女性のイメージです。
良き妻、良き母である、というイメージであり、また、女神さまのようなイメージ、と言ってもいいかもしれません。

女性は、そうしたイメージの女性のようになりたいと願い
男性は、そうしたイメージの女性を求める

こんな単純に説明できるものではありませんが、こうしたイメージが、時に、私たちを苦しめているのではないかと思うのです。

女性は、この「理想の女性のイメージ」と、今の自分の開きに、戸惑い、悩み、苦しむのではないかと。

私のカウンセリングでは、夫婦のご相談をたくさん伺っておりますが、離婚、浮気、セックスレス等、夫婦問題の原因のひとつは、こうした葛藤にあるのではないかと思うようになりました。


 家事や子育ては、できて当たり前。なのに、できない自分を責めて追いこんでしまう。
 情熱をかけて仕事をしてる。なのに、家をおろそかにしている気がして辛い。
 良き妻、良き母でありながら、女性としてセックスを楽しめない。


もし、こんな思いをしていることで、女性が自分を追い込んでしまっているとしたら。
そして、そこには、男性からの「理想の女性のイメージ」を無意識の要求があるとしたら。

この自己攻撃や、すれ違いが、夫婦の様々な問題を生んでいるのかもしれないと思うのです。

こうした思いが、無意識の中に、強く潜んでいるとしたら。
そして、ある意味、こうした「理想の女性のイメージ」は、あまりに当たり前に
社会の中に、さらに、心の中にあるとしたら。

なかなか、このことが、自分の悩みの中核にあるとは気づくことができません。
無意識に感じていることが多いので、この葛藤を整理できないことが多いのではないかと思います。

「理想の女性にならなければならない」という無意識の強い縛り。

そこにあるプレッシャーや、ストレスを考える時、
男である私が言うのはおこがましいとも思うのですが、
女性が「女性らしく」生きることの難しさを感じないではいられません。

こうした自らを縛っているイメージから自由になるにはどうしたらいいのでしょう。
それは、社会の中、心の中にあるだけに
無意識下にあるだけに、なかなか難しいことのように思います。

けれど、このイメージに捕われていることに気がつくことが、自由になっていく大きなヒントになると私は思うのです。


冒頭に書きました「陽の末裔」の話に戻りましょう。

美貌、セクシーさ、情熱、知性。
そうした魅力が自らに備わっていることを十分に自覚し、
それを表現し、使っていくことで、自由に生き、人生を切り開いていく。

主人公のひとり、「咲久子」の生き方です。

物語は、大正から昭和、第二次世界大戦が終了する辺りの時代。
自由すぎる「咲久子」の生き方に、憧れる人もいますが、反発する人も当然多い。
同じ女性からも、「女の色気を武器に使っている」と批判もされます。

けれど、もうひとりの主人公である「卯乃」は、そんな批判の声に対し
「誰よりも女性であろうとしている」と「咲久子」の生き方を肯定します。
女性解放運動を進める「卯乃」の言葉だけに、それは、とても胸に響きます。

おしとやかで、優しくて、包容力があるという女性のイメージ。
でも、女性の魅力や、女性らしさは、それだけに限られたものではありません。

これは、まさに「良き妻、良き母」のイメージです。
このイメージから出ていく自由さを持った時、女性らしくないと批判されることに
「卯乃」は一石を投じているのだと思うのです。

限定される必要はなく、このすべてが、女性の魅力、女性らしさ、です。

この物語の二人の女性のように、自由に女性らしく生きていけたら。

カウンセリングで様々なお話を伺う中で、そう思わずにはいられません。
最近、この物語が思い出されるのは、そのせいなのでしょう。


私たちの心の中には、たくさんの自分を縛るイメージがあります。
その多くは、無意識下にあるために、普段は気づくことができません。
そのことによる何らかの葛藤があると、「不自由さ」「息苦しさ」「生づらさ」を
潜在的に持ってしまっていることがあります。

そうすると、気がつけないだけに、何が原因かわからず、
その苦しさを、日常の人間関係にぶつけてしまったり、無意識の攻撃を引き寄せることに
つながったりしていることも、あるように思います。

そこから自由になるための第一歩は、心の奥底に眠っているイメージに気がつくこと。
そこに気づいて、整理をしていくだけで、楽になることもあります。
心が辛いのは、何に苦しんでいるのか、わからない時。
わかった時、まるで、長い間、喉に刺さっていた小骨がとれるような
気持ちになることもあるのです。

一人では、なかなか気がつけない、そうした心の整理のために
カウンセラーはあるのだと、私は思っています。

そして、カウンセリングとは、「自分らしく生きる」ためのお手伝いをさせていただくこと。
すべての問題のゴールは、ここにあると、私は思っています。

自分の「自分らしさ」を認め
他の人の「自分らしさ」を認め
それを、お互いに認めあいながら表現していけること。

そんなことができるようになるための、お手伝いをしていきたい。

改めて、そう思う、この頃です。

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