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2013年2月26日

禁煙をしたときのお話

私がかつて成功したと思える事の中で、自慢できることのひとつに「禁煙に成功した。」というものがあります。
一度もタバコを吸った事が無い人にとっては、タバコを長年吸ってある時からやめることに関して、「一体どこが成功なのだ?」と思われる方もいるかもしれませんが、一度タバコが習慣化したものにとっては、禁煙はとても難しく感じられたりします。

かつて私は、禁煙を過去2度ほど挑戦し失敗した経緯があったので、その難しさは身にしみてよく分かっていました。
ただ吸わないということが、とてつもなく手持ちぶさたな感じがして、とにかく退屈になったり、何かストレスのかかる仕事をしたりすると、吸いたくて仕方がなくなってしまうのです。

そんな事もあって、長く禁煙というものにはチャレンジしたくない時期が続いていたのですが、ちょうど30歳になった時の事でしょうか。当時努めていた会社の専務が、禁煙をしたということで、ちょっとした社内の話題になっていた事がありました。
専務はもう50歳も過ぎていたこともあり、私はびっくりして専務に聞きました。

「専務は、どうやって禁煙をしたのですか?辛くないのですか?」

そうしたら、専務は言いました。

「病院へ行って、禁煙したいからなんとかしてくれ、辛くない方法で頼むぞと言ったんだよ。そうしたら薬をくれてな。それでうまいこと禁煙できたって訳だよ。あぁ、空気がうまいわぁ。」

さほど苦労した風でもなくさらりという専務を改めてすごいなと思うと同時に、自分もやってみようと思いました。
そして、自分がその時禁煙をしたいと思ったのには、健康の為とか、お金の節約の為などの理由の他に、もうひとつ理由がありました。
それは、「禁煙に成功したら、(私が専務に思ったように)友人から尊敬されるのではないか?」という理由です。
私は、そんな動機からすぐに病院に行き、専務が使ったと言っていた薬をもらい、禁煙を始めました。

薬があるとはいえ、それでもやっぱり吸いたい気持ちは無くなりませんでしたし、その薬を飲むと、軽いめまいもして、とにかく大変でした。
けれども、友人に尊敬されたい一身で禁煙を続け、ちょうど2週間ほどしてから、友人宅に3人で集まる機会がありました。

音楽を聴いたりしながら、いつもどおりタバコをプカプカすっている友人2人。
そして、普通に会話を続けながら、今までと違い全くタバコを吸わない私。
私は、自分から「禁煙した。」なんて言いませんでしたし、まして、「禁煙中だから、タバコは控えてくれ。」なんて事も言いませんでした。

さりげなく気が付かれたら、さりげなく言ったほうがカッコいいかなと思ったからです。
けれども友人は、一向に私の禁煙に気が付いたそぶりを見せません。
とうとう帰りがけまで何も言ってこないので、ついに自分から言いました。

「あのさー、俺、禁煙したんだー。もう2週間吸ってないんだよね。」

そうしたら、友人2人は驚きもせず言いました。

「ふーん、あ、そう。あぁ、そう言えば、今日吸ってなかったね。」

私は、そのあまりの興味の無い返答にがっかりしました。
もういっそ禁煙もやめてしまいたい衝動にかられましたが、そこで友人にも禁煙を宣言してしまったため、いまさら禁煙をやめるとも言えず、結局禁煙を続けて、もうそれ以来タバコを吸う事は無くなりました。ついに禁煙に成功したのです。

それからだいぶ月日が流れ、1年ほど経ったときのことでしょうか。
いつものように友人宅に行くと、なぜか友人はタバコを吸っている気配が無くなっていました。

「あれ、灰皿とか無いね。タバコ、吸わないの?」

そうしたら、友人は驚きもせず言いました。

「あ、タバコ?辞めたわ。だっておぐちゃん(←私の事です)がタバコ辞めたんだから、禁煙って簡単なのかなって思ってさ。やってみたら簡単だったわ。」

私は、愕然としました。少なくとも自分にとってあんなにも難しい禁煙だったのに、この友人は私の禁煙に驚かなかったばかりか、簡単な事だとみなして、あっさり禁煙してしまったのです。
そしてしばらくの後、もう一人の友人も禁煙していました。2人とも病院の薬なども使っておらず、あっさりやめてそれっきりだったそうです。
私は、あんなに難しかった禁煙を一回で成功させたこの友人2人を、本当にすごいなと思いました。

専務が禁煙をしたら、私はすごいなと思って尊敬したのに、私が禁煙をしたら、尊敬されるのではなく、それは簡単だとみなされてしまった訳ですが、それはそれで、自分が禁煙に成功したおかげで、友人2人を禁煙に導くことが出来たと考えれば、ただ尊敬されるだけよりも、素晴らしい事をしたのではないのかなと思い「私、えらいぞ。」と、自分を少し褒めてみるのでした。

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2013年2月19日

幸せは見つけるものではなく、感じるもの

先日、子どもが「スマイルプリキュア」を観ているのを、たまたま一緒に観る機会があった。
その回は最終回で、その最後に主人公がこんなセリフを語っていたのが、とても印象的だった。

「幸せは見つけるものではなく、感じるものなんだ」

そのセリフを聞いて、私はある友人のことを思い出した。


その友人と会うのはとても久しぶりだった。

久しぶりに出会ったその人は、自然大好きさ、がもっと大きくなっていた。
活動も多様化し、名前の通った団体にも所属していて、積極的に活動していた。

今活動しているボランティアについて、その素晴らしさを熱く語り、また、今の環境について語り、最後に、一緒にボランティアをやろう、と誘ってくるほどだった。

その活動内容に怪しいところはなく、話自体はとても素晴らしかったので、その点については賛同したが、一緒にはできない、とお誘いは断らせてもらった。
その理由について、私はこう答えた。

「あなたが幸せそうに見えないから」

私の言葉に、その人はとても驚いていた。
こんなに充実した毎日を送っているのに、幸せそうに見えないとはどういうことなのか、と。

それはとても素晴らしい話だったけれど、なのに、私の心が動かない。
何かしら、違和感があった。
始めはその理由がわからなかったが、聞いているうちに段々とわかってきた。

それは、その言葉がすべて、その人自身の言葉ではなかったからだった。
誰かの受け売りのように聞こえたからだった。

よく聞いてみると、その人には尊敬する先輩がいた。
いろんな人に出会ってきたが、見本にしたいと感激するような人に出会ったのは初めてだ、と語った。
自然に対する思いや活動についての話は、すべてその先輩が語った話であり、その先輩の思いだった。

かつての友人は、そうではなかった。
確かに、そのころのほうが、活動範囲は小さく、語る思いも大きなものではなく、視野も今の方がずっと大きいだろう。
でも、昔の友人には、友人らしい思いがあり、自分というものを持っていた。
心からの言葉は、私の胸を打ち、この人は素晴らしい人だと思わせた。

でも、今の友人の言葉は、内容は素晴らしいけれど、心がなかった。
私がこう思うから、こうしたい!という熱い思いが伝わってこなかったのだ。

そのことを話した後、幸せそうに見えないのは、友人が幸せを感じていないからではないか、と伝えた。

友人は、しばらく黙った後、実は最近、複数の人にそう言われるのだと語ってくれた。


心理学では、幸せについて、こんな風に説明をしている。

「人が成功や幸せを感じるのは、「お金」「地位・名誉」といった状況ではなく、その時の感情が感じさせること」

例えば、お金があったら幸せだと誰もが思けれど、お金しかなかったら幸せと感じるかどうかはわからない。

もし大金を持って無人島に住んでいたらどうだろう。
それで幸せだろうか。
そんな例え話をさせていただくこともある。

また、結婚をのぞんでいる人に取って、結婚することは幸せの大きな要素だ。
しかし、結婚すれば幸せなわけではなく、結婚後に相手が冷たくなってしまったら、それを幸せとは言えない。
結婚して、そして、幸せに感じる感情が伴わなければ、幸せとは言えないのである。

お金だったり、結婚だったり、地位だったり。
いろんな幸せになるための状況はあるけれど、それだけでは幸せであるとは言えない。
もちろん、状況は大切であり、それをないがしろにしていいということではないけれど、
幸せとは、幸せだと感じる感情があってこそ、幸せなのだと思う。

お金があったら、どんな風に使って、どんな人生を送りたいか。
結婚したら、どんな夫婦になって、どんな人生を送りたいか。

もし、それを考えて、それが実現していった時、
そこには、私が幸せ!と感じていることが大切なのだと思う。


スマイルプリキュアの主人公の言葉。
「幸せは見つけるものではなく、感じるもの」

幸せを見つけようという思いは大切なことだ。
それがなくてもいい、ということではなくて、
幸せを見つけようという思いだけでなく、そこで見つけたものに、幸せを感じるかどうかが大切。
そう言っているように、私は感じた。


私の言葉を聞いた、友人の顔が忘れられない。
私は余計なことを言ってしまったのではないかと、今も思う。
でも、同時に、これから、また、昔のように自分の言葉で語るようになってほしいとも思う。

そして、私自身、自分の言葉で語ることができているのだろうか、と思う。
自分の言葉で語っていきたい。
それだけは忘れないでおこうと思う。

幸せは、自分の言葉で語ることでしか、得ることができない
それが、私がカウンセリングを通じて、学んできたことだから。

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投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (3)

2013年2月12日

真っすぐな想いは伝播するもんなんです

まだまだ東京では寒さを感じる今日この頃。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

インターネットを通してこのコラムを見てくださってる、と思うとこの時期みなさんがいらっしゃる場所の空気や温度とってどんな感じなのかしら、と思いながら今コラムをかいております。

また、何かの折にでもみなさんのいらっしゃる所が「今の季節こんな寒さ(暖かさ)だよ」とお伝えいただけると嬉しいです。


私の母は、只今父の介護のため日々色々と父と向き合っております。
家事をして、掃除をして、お洗濯をして、父のお薬を薬局に頂きにいったりと日々大忙しです。
毎月実家に帰ったら近所の方に
「お母さん、凄い頑張ってはるよー」
とご挨拶するたびに伝えてくれる程の頑張り屋さんです。

そんな母の趣味は“パッチワーク”です。
父の介護や家事の合間の時間を見つけては少しずつ縫い物をしています。
母にとって縫い物は、私たち子供を育てるために必要であったものであり、趣味であり、ストレス解消の一つの手段でもあります。
母の作成したパッチワークはとても暖かみがあり、そして細やかな母の優しさが伺えるような、そんな作品ばかりなんですね。

あまりにも、大好きすぎて大物の作品にチャレンジして父や家族やご近所さんに作品を発表してくれたり、時には私たちのリクエストに答えて小さな小物を作ってくれたりと実家はパッチワークでいっぱいだったりします。

母は、大好きなものは大好きで、自分で作ったものは素直に「これ作ったの」と伝えられる人でもあります。
だから、ご近所さんや母を知る人達は母がパッチワークが大好きという事をとても良く知っているんです。

母はただただパッチワークが大好きで、時間を見つけて縫い物をして、自分の大切な人達に出来上がったものをみせて、その人達の笑顔をみて笑顔になってたんですね。

そんな毎日を何年も続けていくうちに不思議な事が起こり始めました。

それは、何もせずともパッチワークの素材が集まってくるようになってきたんです。
元々着物の端切れが実家にはいっぱいあり、それを使って色々とパッチワークを作っていたのですが、ご近所の皆さんや母の友人達が色々な布を母に持ってきてくれるようになったのです。
それは、使わないけど捨てるのは少しもったいない布だったり、洋服や着物を作ったあとに残った布だったりとさまざまですが
「少しでも、お母さんに頑張って欲しいと思って」
「介護とか大変だと思うし、何もできないけどお母さんの力になりたくって」
「お母さんの才能やから応援したいねん」
と、色々な布を頂いた方のお話を伺うと、母を応援したいという気持ちからというのがとても伝わってきたんですね。

その皆さんの気持ちは、母にとったら色々なステキな布との出会いでもあります。
そして、母は嬉しくそして感謝しながらその布を受け取って一つの作品をまた作り始めるんですね。

その話を母や、周りの人から聞いてありがたい気持ちでとても胸が熱くなりました。


元々母は真っすぐな人で、思った事はとことんやってしまうタイプの人なんです。
そして、気持ちや思った事を包み隠さず伝えたり、欲しいものは欲しいと伝えたり、出来る事は出来ると伝え、無理なものは無理と真っすぐに伝える人でもあります。
自分の想いや考えに素直で、それに従って「パッチワーク大好き」を言葉や行動でずっとし続けてきました。
そして、その姿を見て何故か周りの人達は母を応援したくなってしまうんです。
もちろん、私もその1人です。
何故か母の「好き」を応援したくなるんですね。

真っすぐな想いは伝播して伝わり、そしてその真っすぐな想いは誰もが応援したくなる不思議な力がある。
それは、大好きな人かもしれないし、大好きなモノかもしれないし、大好きな仕事かも知れません。
自分の中にある“大好き”に真っすぐに進んで行くと誰かが助けてくれたり応援してくれる人が現れたりします。

真っすぐな想いは伝播するもんなんです。

それを母が目の前でみせてくれました。

そんな母の娘である自分は幸せ者だなーと感じており、そしてまた実家に帰った時に増えてるであろう作品を楽しみにしております。


最後までお読みいただきましてありがとうございました。

中村季代乃のプロフィールへ>>>

投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (2)

2013年2月 5日

手放せません

幼稚性が残っているのであります。
いい歳してバッカじゃないのって自分でも思うけど・・・
キャラクターものが、好きなんです。ここ数年、私が贔屓にしているキャラクターは、ダントツ1位でキティーちゃん。もうサンリオの発展にどれだけ貢献してきたか分からないのです。
でも、このことはみんなには内緒なのです。誰にも言わない私だけの秘密。
言えないわけではないんです。言ってもいいんだけど、あまりに知れ渡ると大変なことになるから。なっちゃったことがあるから。

高校~大学時代、私はプーさんが好きでした。もうちょっと大人になったら、さすがにキャラクターものなんて持てない(持ってますけど)、
今しかできない。思いっきりプーさんに癒されよう。
と思って、自分でもたくさんグッズを集め、「私、プーさんが好きなの。」って公言しまくっていました。
その結果ですねぇ、私への誕生日プレゼント、その他貢ぎ物、全てが、プーさんグッズonlyになってしまいました。プレゼントされたプーさんは、一人暮らしの部屋のあちこちに展示することになる。部屋中真っ黄色(プーさん色)で埋め尽くされて、収集つかなくなってしまい、それは私が愛されているという証明になるのですけれど、全てを受け取るのに私の部屋も心も容量オーバー。

プーさんに飽きて、キティーちゃんに浮気し始めた時が一番大変でした。最悪でした。
いただき物は基本的に捨てられない性質なので、貰った人の顔を思い浮かべては心を痛め、
「せっかくくれたのに、飽きちゃってごめんね。」
って懺悔しながらプーさん達を全部ダンボールに詰めて、今でも実家に保管してあります。

ま、そんな贅沢な懺悔をもう二度としたくないから、キティーちゃんが好きなこと、誰にも言わずに黙っているわけなのです。
でもね、嘘つけないというか、私はすぐ好き嫌いが顔に出てしまう人だから、キティーちゃんを発見した瞬間、顔が嘘みたいに和らぐんですね。だって、小さくて、丸くて、可愛いものを見ると、愛を感じちゃうんだもん。
(いつも愛を感じてなくてブスっとしてるってことになりますが。(゚-゚;)ヾ(-_-;) オイオイ)

キティーちゃん好きを隠すにはあまりにも巷にキティーちゃんグッズが溢れすぎている。いつの間にかバレてるんです。バレた人からのプレゼントは、その時を境に全てキティーちゃんグッズに切り替わります。またどんどん増え続けてしまう。事情を説明して、キティーちゃんグッズのプレゼントは消耗品がいいってリクエストしていますけどね。
それでも塵も積もれば山となる。自分でも買っているので、またまたキティーちゃんだらけの可愛すぎる部屋になってしまった。

今度こそ、今度こそ、キャラクターものは手放して、大人の女性になろうと決意し、自分で買ったキティーちゃんは全部捨て、いただき物は一つにまとめて収納。

完璧だった・・・はずでした。
私はこの時、手放したと思っていたのですが、実際は抑圧していただけだったんです。
抑圧したものは外からやってくる(教えてくれる)ことになるのですが、それが現実に起きたから。

断捨離が全て終了した2日後、突然こんなメールが。
「チョッパーいりますか?確か瑛子ちゃん好きたっだと思って・・・。」
仲良くしていただいている安池泰子カウンセラーから。

あぁチョッパーだぁO(≧∇≦)O!!
急に胸がキュンキュンしてきて我慢できなくなり、
「欲しいです!」即答。

チョッパーだけなら、ま、いっか。
チョッパーが我が家に、帰ってくるのね。ヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪

実は私、キティーちゃんの次にチョッパーが好きで、2日前にキティーちゃんと一緒に全部捨てちゃってたんです。完全に隠れファンで、こちらの方は誰にもバレてなかったんですけどね、ただ一人を除いては・・・。安池カウンセラーはなぜか私の誰も知らない所を知っている。そして何の偶然か、いつも絶妙なタイミングで絶妙なメールをくださる。抑圧しちゃダメだよっていうメッセージだったような気がする。
しばらくの間、このチョッパーだけが私の癒しキャラクターとして活躍してくれたことは言うまでもありません。

そしてさらに、です。バイト先のオーナーの計らいでキティーちゃんまで舞い戻ってくることに。
とっても従業員思いのオーナーで、去年USJに連れて行ってくださったんです。グリーン車で!USJにはキティーちゃんがいます。
「キティーちゃん好きだから喜ぶと思って・・・。」って言うオーナーに、
「諸事情により、実はキティーちゃんのことを嫌いになる決意をした所存でございます。」
とは言えず・・・。m(_ _;)m

キティーちゃん禁止令執行中の私にUSJは拷問と呼ぶに相応しい所でした。キティーちゃんのアトラクションエリアがあり、キティーちゃんグッズ専門店がいくつもあり、
そしてUSJのキティーちゃんは下まつ毛が生えている。

ヤバい、可愛い、可愛すぎるよ。でもだめ、グッズは買っちゃだめ。(ノTдT)ノ

必死の抵抗も虚しく、下まつ毛付きキティーちゃんと引き換えに私のお財布からは福沢諭吉が飛んでいき~、
ハロウィンの時くらいしか役に立たなさそうな、頭に装着するキティーちゃんの耳まで買ってしまい~、
我が家にキティーちゃんまでもが帰ってきてしまったのです。(ノ-o-)ノ ┫;:・.

人は元来、与えたい生き物です。愛を与えたいのです。プレゼントとして物を与えるのは、その手段の一つなのです。そして、ちゃんと愛が伝わったんだなって、確信したいのです。
何をあげれば喜んでくれるのだろう…って、必死こいて考えます。与える相手が私みたいな、いかにも金のかかりそうな高飛車なニオイのする女だったら・・・、
ブランド物でもあげないと納得しないだろうとか、ミシュランガイドに載ってる店にでも連れて行かないと文句言われそうとか、そう考えると、一体私を喜ばすのにいくらかかるのかと途方に暮れてしまいます。
そんな時に、キティーちゃんが好きで、キティーちゃんを見た瞬間、奇跡的な微笑みを見せることを知ってしまったら…、徹底的にキティーちゃんを与えてあげたくなるみたいです。
愛を与えた時に、あからさまに大喜びしてもらえることで、
与えてよかったな。こんなに喜んでくれるなら嬉しい。また与えたいな。
って人は思うのです。

キティーちゃんの顔が付いていれば何でもいいわけだから、案外私は安上がりだったわけです。

USJ事件をきっかけに勢いは加速し、
キティーちゃんのマグカップをプレゼントしてくれる人が現れ~
キティーちゃんのポーチをプレゼントしてくれる人が現れ~
とうとう私は腹をくくってメールで使うキティーちゃんの絵文字を大量にダウンロードしてしまい~
こっそりチョッパーのメモ帳を買ってしまい~
メールの度にキティーちゃん好きをさり気なくアピールするハメになってしまい~
コラムのネタにまで使ってしまい~、
でもその度にトキメキまくってる自分に気づき~
まだ手放す時期ではないのだと悟る。

私の「キャラクターグッズを手放して大人女子化計画」はしばらく延期のようです。
大人っぽく振る舞っているかと思ったら、少女のような笑顔を見せたり…ギャップのある大人女子を見るととっても素敵だと思うから、その路線を目指すってことで、キティーちゃんとチョッパーの件はこれでよしとするか…って、とりあえずそういうことにしておきます。

手放すって、難しい!!


投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (0)