« 2012年1月 | メイン | 2012年3月 »

2012年2月28日

目標を大切にすることは自分を大切にすることーオリンピックに寄せてー

こんにちは。
2月もそろそろ終わりますね。
今年はうるう年でロンドンオリンピックが開催されます。
今から楽しみにされている方も大勢いらっしゃるのではと思います。

オリンピック開催まであと5ヶ月ほど。
出場する選手達は、大きな目標であるオリンピックに照準を合わせて、日々練習に励んでいますね。

大きな目標に向けて、自分をベストな状態に持っていくことは、それ自体が至難のワザなのかもしれません。
そのようにして日々の目標をクリアしてきたオリンピック選手達が、4年に一度、一同に会して行われるオリンピックだからこそ、観ている我々に格別の感動を与えてくれるのではと思っています。


話は変わりますが、私はと言えば、学生時代と社会人になってからもしばらくの間、趣味で楽器を吹いていました。
クラリネットという楽器です。

その頃は、演奏会の本番に向けて、日々、練習に励んでいました。
本番が近づくにつれて、他のメンバー達の緊張度合いも上がってきたり、指揮者の指導にも熱が入ってきたりして、本番直前ともなると結構ぴりぴりした雰囲気だったのを覚えています。

そのようにして、みんなで思いを込めて迎えた演奏会本番。
うまくいく所もあれば、練習ほどはうまくいかないところもありました。

でも、演奏会が終わればメンバー全員でお互いの苦労をねぎらい合い、打上げで一つになって達成感を共有し合う。
なんだか、カウンセリングサービスの母体である神戸メンタルサービスのヒーリングワーク後に行われる打ち上げに似たところもあって、今でも懐かしく思い出します。

子育てが本格的になってからは楽器からも遠ざかってしまいましたが、演奏会を通して味わっていた緊張感や一体感は、何ものにも代えがたい私の人生の宝物だと思っています。


さて、またまた話は変わります。

年初に今年の目標を立てられた方はたくさんいらっしゃるのではないかと思います。
そろそろ1年の六分の一が経過しようとしています。
進み具合の方はいかがでしょうか。

もし進み具合が今ひとつであれば、達成可能なレベルの目標に思い切って変更されてみるのもよいかもしれません。

当初計画した目標を達成したいと思う気持ちが強ければ強いほど、目標を変更するのにも大きな勇気が必要となります。
真面目でがんばり屋な方ほど、最後までがんばってみたいという気持ちを強くされるのではないかと思います。

目標達成に向けてがんばること自体は悪いことではありませんが、変更可能な目標であれば、「目標を変更する」という選択肢も持っておかれたらよいのではと思います。

カウンセリングで申し上げることもあるのですが、「選択肢」を持っておいた方が、気を楽にして、余裕を持って生きられることにつながるんです。

「もう、これしかない!!」と思うと、視野が自然と狭まり、心がアップアップになりがちです。
そうではなくて、「こうすることもあり」とか、「後から変更もOK」と思えれば、その分、心に余裕が生まれますね。
余裕があると、他にもっとよい方法を考えついたり、自分の状態を冷静に分析して、現実的な代替策を考えられる余地も広がるというものです。

私にも経験があるのですが、状況が変わるなどして達成はほぼ無理とわかっている目標にいつまでもこだわり、挙げ句に目標を達成できないことで自分を無意識のうちに責めていた時期もありました。

でも、ことさら悪いことをしている訳でもありませんから、わざわざ自分を責めるようなことをする必要はありませんよね。
当初の計画の不備や無理な点を分析して、修正すれば済む場合がほとんどだと思います。

冷静に自分の状況を分析して、達成可能な目標に変更することは、後になってから、できなかった自分を責めるリスクが低くなりますから、「自分自身を大切にすること」につながります。

また、達成可能な目標を設定し直す練習にもなります。
人生にハプニングはつきもの。
怖れず慌てず、状況に柔軟に対応できるようになることは、「人生をうまく渡っていく上で必要なスキル」といえます。

そして、変更したとはいえ、自分で立てた目標を達成することができれば、そのことを通して自分自身が「自信」を持つことができるようになります。


静かに自分の心に気を向けて、「自分自身を大切にする」ことを考えながら、目標を達成した時の「自信」あふれる自分をイメージしてみることで、目標の修正がやりやすくなったり、もっと別の目標が考えつくかもしれませんね。

もう春はそこまでやってきています。
皆さんにとって素晴らしい春の芽吹きが訪れますように。

中山けんたろうのプロフィールへ>>>

投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (2)

2012年2月21日

京都「俵屋」の思い出 ~そのまんまの心~

 先日、JRに乗っていたら、車内広告の、「そうだ京都、行こう」が目についた。その時、ふと、昔のことを思い出した。

 僕が奥さんと結婚したばかりの頃、僕の祖母と三人でよく旅行にでかけていた。
 祖母は僕の奥さんと相性が良かったので、三人での旅行をよく持ちかけてきて、奥さんもそれに応えてくれて、いろんなところに行った。
 その中で、印象に残っているのは、京都のお寺参りに行った折に泊まった旅館の老舗「俵屋」での出来事だ。
 
 「俵屋」は超有名な京都の老舗旅館だが、国内外で高い評価を受けているのはその接客にある、と言われる。
 いったいどんな接客なんだろうと、僕たちは興味津々でこの宿の門をくぐった。今から10年以上昔の話である。

 僕たちが予約した部屋は最も安い部屋だったのだが、それは二階にあった。 
 ところが、祖母はその時にはすでに膝を悪くしていて、歩くのにも杖をついている状態だったのだが、祖母の勝ち気な性格から、はって二階を上がろうとするのを、俵屋の方は「1階の部屋をご用意しましたから」と祖母を連れて行ったのだった。
 1階の部屋に通された僕たちは、わざわざ僕たちのために用意しなおしてくれたのだと実感しないではいられなくなった。
 なぜなら、その部屋の生け花を新しいものに替えてくれたからだった。
 お客様にはその時の生け花をという心配りだったのだ。

 しかし、噂の俵屋の接客は、そんなところに神髄があるのではなかった。
 「まるで我が家に帰って来たような」と聞いていた接客は、本当にそのとおりで、僕たちの部屋のスタッフの方は、言葉に言い表せない、なんともいえない親しみをいつもたたえた距離と言動で、接してくれる。
 温かく、そして、適度な距離感があった。普通の、ありのままの態度、と言えばいいのだろうか。

 そのことを思い返すと、祖母の口癖のひとつだった「そのまんま」という言葉を思い出す。

 祖母は、人生で大切なのは3つの言葉で言い表せるといつも言っていた。
 その中のひとつが「そのまんま」だったのだ。

 人が、ありのままでいること。ありのままの自分でいること。
 そういう意味なのだと僕は解釈しているが、それは中々に難しい。
 
 僕はカウンセリングに出会う前、この「ありのままの自分でいる」ことを願いながら、あきらめてもいた。
 でも、カウンセリングを通じて、「ありのままの自分」に少しずつ近づいていけたのだと思う。

 今、カウンセラーとして、たくさんの方とお話をさせていただいていて思うようになったことは、人が一番のぞんでいるのは、この「ありのままの自分でいること」のように思う。

 そもそも「ありのままの自分」とは何だろう。
 僕も以前は、それがわからなかった。

 なぜわからないかというと、それは、人は成長していく過程で、たくさんの
重荷や鎧を背負ったり身につけていってしまうので、本来の自分が何なのか自分でもわからなくなってしまうからだと知った。

 その重荷や鎧とは、役割、義務、観念などのことだと心理学では説明する。

 「?しなければならない」「?するべきだ」「?してはいけない」という言葉で表される観念と呼ばれるものは、僕たちを縛ってしまい、そのような言動、ふるまいをしてしまうようになる。

 祖母は、たった一人で身一つで店を作って大きくした人で、その過程では随分、いろんなこと、例えば家や土地やお金にこだわったりしてきたと聞いた。

 しかし、晩年になって、隠居の身になってから、そうしたものよりももっと大切なもの、それは自分が見栄や気負いや様々に自らを装飾して見せることよりも、ただ「ありのまま」でいることの大切さを悟ったのだと思う。

 祖母は、最後まで俵屋の接客について、何も語らなかったので、どんな風にそれを感じていたのかはわからないのだが、僕はそんな風に感じていた。

 カウンセリングを学んだ今、どんな風に感じるのかはわからないけれど、ある種の「ありのまま」の姿だったのではないか、と思いをはせる。

 人は、どんな問題や課題やテーマに直面して、それを乗り越えたり、自分を高めたりしていっても、最終的には、この「ありのまま」の自分を追求していくことになるのだと思う。

 そんな「ありのまま」の姿に気づいていただくお手伝いができたら。
 そうしたカウンセラーになりたいと思った京都の思い出だった。
 


池尾昌紀のプロフィールへ>>>

投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (0)

2012年2月14日

バレンタインに始まった恥ずかしい恋

今日はバレンタインデーですね。

このコラムを書くに当たり、私の遠い過去のバレンタインに思いを巡らせていると、少々苦い出来事を思い出しました。


高校生の頃、とても好きな人がいました。
その頃の私は、自分でその人のことが 『好きだ』 と気づいた途端、気軽に話せなくなるほどシャイな女子でした。
そんなシャイな女子にも拘らず、基本は肉食というかハンターでしたので 『好き』 の気持ちを伝えたくてたまりません。
が、しかし、その彼には彼女がいて告白したくても出来ず、どうしたものかと思い悩んでいたところ、「どうやらあのカップルは別れたらしい」 という噂が!
その噂を耳にしたのは3年生の2学期の終わりころだったと思います。

「チャ~ンス♪高校卒業のこの年のバレンタイン!これしかないではないか!」

とてもお洒落な人だったので、とても気合を入れて洋服を選び数日前に吟味して選んだチョコレートを鞄に入れ彼の住む町の駅まで、ドキドキした私を乗せて電車は走ります。
途中、雪が降ってきて
「おぉっ!なんてロマンチック!!空が私の味方をしている♪」
ハンターの血も騒ぐってもんです。 

「よかったら、これ食べて」
ドキドキ考えた割にセリフ短っ!


ロマンチックな雪のせいか、短いセリフが功を奏したのか、なんと!
それがきっかけでその人とお付き合いすることになったのです>▽<♪

が、半年であっさり振られたのですT_T

理由は多分   “私があまりに恥ずかしがり屋だったから”


今となっては 「君は恥というものを知らないのかい?」 と言われることもしばしばありますが、当時の私は何度も言うようですが非常にシャイだったのです。
せっかくお付き合いに発展し、デートに誘われおめかしして出かけてもあまりに恥ずかしすぎて、相手の目を見れないわ、会話は続かないわ。
何か聞かれたときに返事するのが精いっぱいでした。

デートを重ねてもほとんどの場合うつむき加減で会話は弾まず、彼からしたら 
「いつもつまらなさそうだな。僕といても楽しくないのかも」 と感じたのでしょう。
いえ、そう思ってくれていたならまだマシで、最後の方は妙な恐怖すら感じていたかも知れません。
なんせ常にうつむき加減で、なにか話題を振られても「フッ・・・」とうすら笑いを浮かべ
「うん」とか「すん」しか言わず、しずしずと半歩後ろを歩く女ですから・・・

しかし、私のこの当時の心の中はというと

「必死に服を選んだけど、おかしくないかな?あぁ、なんか全然彼と違うジャンルの服を着てきてしまった。ヒャーッ!無理無理、ランチを一緒に食べるなんて恥ずかしい~、どんな顔して食べればいいのだ?うっ!トイレに行きたいけどトイレに行きたいなんて恥ずかしくて言えない(アイドルかっ!)そういえば!化粧もそろそろ剥がれているのでは?!即刻トイレに行って化けの皮をかぶり直さなくてわっ!!」

とまぁ、どれだけ自意識過剰なんだ!というくらい彼のことはそっちのけで、自分にばかり意識が向き、言うならば ”ひとり悶絶大会” です。
彼のことは見ずに自分しか見ていない状態ですね。
あの時の私に言ってやりたい。  

「一人で遊べ」


『恥ずかしさ』という感情は少々やっかいですね。
”恥ずかしい”を感じると緊張してどんどん余裕がなくなり、顔を上げれなくなったりします。
すると、相手や周りが見えなくなりますね。

恥ずかしさを感じたとき、意識を自分の外に向けると乗り越えやすいです。
「自分の恥ずかしさより、彼は、周りはどう感じているだろう?」と。
そうすると、自分の恥ずかしさよりも大事なものが見えてきます。

恥ずかしいけど、でも 殻に閉じこもらずに気持ちを伝えようとしたり、行動したり、そこを乗り越えてゆこうとする人の姿は、健気で可愛らしく、素敵でかっこいいな、と思うのです。


”恥ずかしい” を感じたとき、自分の外に意識を向けるチャレンジ、よかったらしてみてくださいね。

吉村ひろえのプロフィールへ>>>

投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (0)

2012年2月 7日

壁を越える勇気

こんにちは、北です。

私はよく太平洋戦争を題材にした映画を鑑賞します。
最近封切りされた役所広司さん主演の「聯合艦隊司令長官山本五十六」を見に行きました。

映画のストーリーの背景は史実に基づいているため、簡単に説明すると1941年当時日米開戦を回避するために手を尽くしたものの、大きな時代の流れにあらがうことはできず、山本五十六本人の意思とは裏腹に彼が望まなかった戦争への道を日本は突き進むことになります。その中で彼自身も皮肉なことに聯合艦隊司令長官として海軍の作戦指揮をとって戦わなければならなくなります。自分の本心(米国相手の戦争は全く勝算がない、絶対回避)とは立場上全く逆の事(如何にして勝つか)を考えなければならない、そして彼が出した答えは早期講話、そのために緒戦でどうやって相手の気持ちを萎えさせるほどの痛打を与えるかというものでした。

…なんて、こうやって文章を書いていると自分がつくづくマニアだなと感じます。

実はこれを書くのだって、正直勇気がいる事でした。

いや普段でもあまりこの手の話を人にすることもなく、文章に表現すると言うこともかなり抵抗があったのです。

それは、多分周囲の人から引かれるんじゃないかという恐れもあったのかもしれません。

で、これを妻にシェアーした時に彼女から指摘されたこと。
「自分がマニアであることを認めなさい」。

当然、最初は私はまさか自分がマニアである事を認めるなんてできませんでした。
自分がマニアである事を認めるだなんて、「自分が周囲の人から引かれる人間なのだ」と認めるに等しい感覚もってますから。

「マニアであることが何か悪いことのように感じている自分がいる」
或いは
「これを書いても引かれはしないか」。

でも、妻の次の言葉が、私にこの文章を書く力を与えてくれたのです.
「いいじゃない?別に好きなこと書けばかけば?」

要するに、後ろ押ししてもらえたと感じることができれば(つまり承認されたと感じることできたら)、意外にそのハードルは簡単に越せてしまったのでしょう。

以上の事から、誰かに何かの後ろ押しをしてもらったつまり承認されたと感じることは、その人の行動の原動力になったり、本人が越せないと感じているハードルでもあっさりと越せるほどの力になる可能性を秘めているのかもしれないと私は思います.

そしてそこから更に気づいたこと。

自信のない人を後ろからそっとサポートして前に進ませてあげるのに必要なのは勇気づけたり、励ましたりすることよりも、ありのままを認めてあげることなのかもしれません。
自信なく不安に陥っている時ほど「これでいいのだろうか?」とか「こんな風じゃだめかもしれない」という思いは強いでしょうから。

視点を変えれば、こちらが相手を承認することによって、その人に大きな力を与えることができると言うことかもしれませんね。

また、それは相手が何の気なしに発した些細な一言であったりするかもしれません。相手が覚えていなくても言われた方は意外と覚えているもので、知らず知らずの間にその人の人生を左右するような影響を与えているかも知れませんね。

で、今『認められていない』とおもっているあなた。
『認められること』ってのは、はもしかしたら、あなたの知らない所でひっそりと与えられているのかもしれません。

北さとしのプロフィールへ>>>

投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (0)