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2010年7月27日

タイムスリップ

ある日の夕方の事でした。
窓の外は薄暗くなり始めています。
夕方の景色と言えば、綺麗な夕焼けが好きな人の方が多いかも知れません。
もちろん私も綺麗な夕焼けは好きです。でも、雨が降る暗い夕方も好きです。
今の景色はというと、マンションのバルコニーから外を眺めるとどこまでも雨雲がたれ込めていてしとしと雨が降っています。
そして徐々に暗くなり始めた街に灯りがともり始めています。

その景色を眺めながら、これまでの自分をふと振り返っていました。
(ここで知らない間に心が時をさかのぼり、昔にタイムスリップ。)

妻と出会ってもうじき10年。
でも、よく考えると妻と出会う前って自分は何考えていたんだろう。

その頃の自分はどこに行っても、その場の人間関係において何か疎外感のような
ものを感じていました。
誰とも親密にはなれない、誰もが自分と距離をとる、仲間外れにされている感覚がとても強く、それならこっちも絶対近づいてやるもんか、という具合に内心周囲に対して敵対心を持ちながらも表面上はとてもいい人を演じていました。
(自分的には分離感を感じたことで、周囲の人達との絆が失われ、それにより距離
がうまれ、そこから様々なネガティブな感情を持ち易くなっていたようです。
そして更に周囲に対して距離をとるといった具合に悪循環にはまっていたのかもしれません。)

多分昔の自分なら同じ景色をみても、
「自分はあの灯りの仲間には加えてはもらえない。自分はアウトサイダー。
みんなの輪には絶対入れてもらえない。これは運命ではなく宿命、だから変えようがない。不幸な星のもとに産まれて来てしまったんだなあ。」
きっとこんな風に言った事でしょう。
この思いをどうやってぬけたのかは別の機会に譲らせて頂くとして、
今はその灯り一つ一つが暖かく輝いているように感じるんですね。

一つ一つの灯りの中には色んな人がいることでしょう。
家族の為に忙しく夕食の準備をする母親。
子供をお風呂に入れている父親。
パートナーと2人きりのゆったりした時間を過ごす人。
仲間で集まってにぎやかしている人。
或は一人嘆き悲しんでいる人もいるかもれません。
そして、自分もその中の一つなんだ、と。

思えば、妻とは知り合って結婚するまで、よくケンカもしたし、いじけられてウンザリした事もありました(ケンカは今もたま~にありますけど)。
けれど、なんだかそんなことで悩めるのがとても嬉しく感じられるんですね。
(ちなみに、新婚生活で最初に本気で争いとなったのは水道の取手の形状を巡っての意見の食い違いが原因でした。今思い出すと笑い話ですがね。)

それに何よりも妻を通じて自分の世界はとても広がったと思います。
その中には彼女を通じて知り合った人たちもいたし、その中には後々バラバラになりかけた自分の家族の絆を取り戻すのに勇気をくれた人もいました。
そして、彼女の両親とも出会う事ができました。特に、私は22歳の時に実の父を亡くしているので、もう生身の父親を身近に感じることはないだろうと思っていただけに、血の繋がりはないとはいえ、もう一度父親という存在に触れる事ができたのは、とても幸せな事だと思います。これも彼女が自分にもってきてくれたギフトだなあとしみじみと感じます。

しとしと降る雨の景色を見ながらこんな事考える自分って、つくづく変な奴だなあと思います。
でもその景色を見て何を思い出すか、色あせたり美しく見えたりするのも、その人の心の状態次第なのかも知れませんね。

今日の私はしとしと雨でも妙に幸せな気分です。

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2010年7月20日

私たちのハッピー・アニバーサリー☆

4月のとある週末のお話です。
奥さんと夕方に写真を撮る約束があり、大阪市内に出かけることとなりました。

せっかく大阪まで行くならば、ということで、撮影前に別の予定も入れていたんです。
少し前に知人の知り合いで、ジュエリーショップのステキな店員さんを紹介されていて、
機会があれば、ぜひお会いしてみたいと思っていたのと、
奥さんがジュエリーが大好きだということあり、少しだけ立ち寄ることにしました。

ただ、お店のある場所は、いかにも高級そうなエリア。
しかも、前もってホームページで調べてみると、
【 上質を求めて、職人が一品一品こだわって作っている 】というのがポリシーで、
私たちにとっては、中に入るのにも勇気が要るようなお店でした。

お店の前に辿り着くと、思った通りの高級感抜群のお店で、
『う~ん、本当に中に入っていいのだろうか・・・』
と、ますますマゴつきながら、しばらくウインドーショッピング状態をした後に、意を決して店内に入りました。

知人の知り合いという事で、前もって連絡をしていただいていたのですが、高級感に圧倒され少々タジタジの私。
一方、輝くジュエリーに心を奪われてメロメロの奥さんは、しどろもどろしながらも、ちゃんと話をしていました。

しばらくジュエリーを眺めていると、ある事に気付いたのです。
陳列された商品は、確かに高価なモノも置いていますが、あとは予想以上に普通のお値段なのです。
えっ?、こんな値段でいいの?って感じで、百貨店のジュエリーショップと、大きな差がないのです。

その方とお話をしたりしながら、店内を見て回ったりしていたのですが、あるイタリアンブランドの商品を飾ってあるコーナーを通ったとき、
「これなんか、奥様にすごくオススメですよ~」と言って、華奢なデザインの、すごくキラキラと輝く指輪を出してくださいました。
奥さんは、「わぁー、すごいねー」と言いながら指にはめ、鏡に映したりしながら、その輝きをウットリと楽しんでいました。

さすが店員さんが薦めるだけの商品だなぁ、でも買えないしなぁ、と若干引き気味で様子を見ていたのですが、
「これはエンゲージとしても出るのですよ」との話を聞いて、ふいに私の心が動きました。
『んっ?エンゲージ?そりゃすごいよなぁ』と思い、チラッと値段を見ると、さらに、んんんっ?
エンゲージとして見てみると、けっこう破格なお値段なのです。

私たちは金銭的にそんなに余裕がなかったので、結婚の時にそういう話が出ても、
「現実を考えたら、先だよねぇ」と、暗黙の了解のようにエンゲージリングは見合わせていたのですが、
このステキなリングなら!!
そう思った瞬間、私の中で気持ちは固まりました。
「そういえば、まだ作ってなかったから、これエンゲージにいいやん!」
と言うと、逆に奥さんのほうが慌て始めました。

「え~?、いやいやそんな・・・。でも~、そんなん考えてなかったし~」
などと、言葉にならない言葉を繰り返し・・・。

まぁ私も直前まで、将来いつかは・・・くらいに思っていたので、突然降ってきた話だったわけですが、
何も買わないと思っていたお店で、思いがけず一生モノを買ってしまう事になったのです。

改めてサイズ合わせをすると、偶然にも奥さんの指にほぼピッタリ!
せっかくなので、その指輪をつけたまま、私が会計をしていると、奥さんは、感激で涙がポロポロ・・・。
他の店員さんにも、「そんなに喜んでもらえるこの指輪は幸せものだよ。とっても喜んでるよねー」
と温かい声をかけていただき、私たちにとって、思いかけず感動的なお店訪問&買い物になりました。

その後、予定していた場所に移動して、2人で写真を撮る時にも、
この指輪はしっかりと奥さんの指元で輝いて、その彩りを振りまいていました。

カメラマンの女性にも、「さっきたまたま買ってきた指輪なんですよ」と報告を。
そこでも、さらに感激の出来事がありました。

このカメラマンさん、たまたま受付の時からご縁があった方だったのですが、
(普段は受付はされないので、とても珍しい事だったとか)、
写真の撮り方が本当に上手なので、いつも写真を撮る時では笑顔になれない私をどんどん笑顔にしてくれました。

後で聞けば、とても人気のあるカメラマンだったようで、
しかも、この4月で退職され、新たな夢に向かって、東京に行かれるとの事。
最後には、「こうしてご縁があって良かったです!新たな旅立ちを応援しています!」と、夫婦で強くお伝えしたのでした。

実は予約した時、4月はこの枠しか空いてなかったので、
もしそれを逃していたなら、このとても腕の良いカメラマンさんとはご縁がなかったわけで、
この素晴らしい出会いに感謝!と思いました。

こうして、私たちにとってこの日は、本当に素晴らしいモノが凝縮された一日になりました。
当日そこで起きた事は、全く考えもつかなかったような事ばかりだったのです。

そして、私たち夫婦にとって、思い出深い1日として刻まれるのだなぁ、と強く実感しました。
私たちに、新たな記念日が1日増えたなぁとも。


記念日って、2人だけが共有する特別な日ですよね。
でも、付き合いが長くなるにつれ、忙しさからつい忘れてしまったり、「ま、いいか」と軽視されがちになります。

いつも寄り添ってくれているパートナーに対して、愛と感謝の気持ちを再確認するために、
ほんのささいな出来事でも、記念日にしてしまうことをオススメしたいのです。
なぜなら、記念日って人の記憶に残りやすいからなんですね。

人の記憶は、嬉しい、楽しい、怖い、悲しいなど、強い感情を伴っている事ほど、より記憶されやすいそうです。
ですので、2人だけの特別な日に楽しい記憶を重ねることで、2人の絆もより強くなっていくのです。

また、特別な日ということは、それに合う特別なプランを考えますよね。
でもそれはそんなに大げさなことではなく、ちょっとしたプレゼントを買ってみたり、オシャレなレストランで食事をしたり、
普段は着ないような服を着てみたり、と何かいつもと違ったことをするだけでも記憶に残りやすくなっていきます。

あと、特別な日には財布の紐も緩んで、普段は買わないようなものでも購入できてしまいますね。
相手が喜ぶなら、「ま、いいか」という気分になるものですから。


今回はちょっとインパクトの強い1日だったのですが、こういう記念日ってもっと増えてもいいなぁと思うのです。
以前のコラムにも書きましたが、私たちは出会った日を記念日として、毎月ささやかながら、その記念日を祝ったこともありました。

そう、記念日って楽しいし、その日を待っている間もうれしくてワクワクするものです。
そんな2人だけのハッピー・アニバーサリー! どうぞたくさん作ってみてくださいね。

建部かずのぶのプロフィールへ>>>

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2010年7月13日

私が生まれた日の父と母の思い

唐突なのですが明日が私の誕生日なのです(^^)
だから今回のコラムは「誕生日にまつわる話」を書かせて頂きたいと思います。

私が生まれた日はどんな日だったのだろう?
その時、父と母は何を感じていたのだろう?

そんなことを、ふと、思ったのは5月のカウンセラーズフェスタの講演が決まった時のことでした。「真実の愛」というテーマで講演内容を考えるにあたり、私が生まれた日、父と母が何を思い、どう感じていたのかを知りたいと強く思ったのです。

そしてふたりに時間を取ってもらい、聞いてみたのです。そんな風に話をしたのはもちろん初めてのことでした。
まずは 母から...

母は私を身篭った時、つわりが酷く何度も何度も血を吐いたのだそうです。
「本当は親になるのが怖かったんだよね」当時を振り返りながら、そう呟いていました。

当たり前なのですが私にとって母は生まれたときから私の母でいつも親としてしか見ていなかったんですね。でもその時、「そうだよな。母さんも怖かったんだよな」って

シャイな母はスラスラとは話さず、当時のことを懐かしみながら、かみ締めるように話をしてくれました。その母が本当に嬉しそうな表情に変わったのは「私が産まれた時」のことを語り始めたときでした。
 
「幸司が生まれたとき 本当に可愛かったんだよ」
「親バカだけど世界で一番、可愛いと思った」って

今はそれは誤解だったと気付いたらしいのですが(笑)

それでも本当に嬉しそうに話をしてくれました。その日は私が生まれた街のお祭りの日だったのだそうです。

「病院まで "ワッショイワッショイ" という掛け声や祭囃子(まつりばやし)が聞こえてきたのを憶えている」って。
「その時、この街の人もお祝いしてくれているように感じた」って。
そして 「私も母親になれたんだなって実感した」って。優しい顔でそう話してくれました。

誕生日というのは「母が命を懸けて私を産んでくれた日」なのですよね。

その命を大切にしていこうと思いました。

一方、父は私が産まれた日、東京に出張に行っていたそうです。小さい頃に両親を亡くした父は親になるということに、とても強い思いを持っていたようです。

「親戚中がお前が生まれたことを祝ってくれたんだぞ」 「お前が生まれてきて、みんなすごく喜んでいたんだぞ」って
少し興奮しながら伝えてくれました。

小さい頃の私はとても神経質な赤ちゃんで手でゆりかごをしている時はスヤスヤ寝ているのだけれど寝たと思って、そっと布団に置くと 「ギャー」っと泣き出す。

一晩中、抱いていたことが何度もあったということを教えてもらいました。手のかかる子だったみたいです(^^ゞ

そして、たくさんの思い出話を聞かせてもらった後、最後に父がこう言ったのです。

お前が生まれて来た時、こんなことを思ったんだ...と
「わしは親がいなくて親がいない子ども、親がいない子どもと言われ続けてきた」
「だからこの子は、親がいない子どもにはさせたくなかった」...と

「そのためにも、これからもっと頑張ろう!」「家族のために頑張ろう!」
そう思ったんだって 

その時、父は込み上げてくる思いを一生懸命抑えているようでした。言葉では説明できない、いろんな思いが湧き上がってきたのだと思います。

父はとても厳しい人でしたが、いつも一生懸命、私を育ててくれました。
親の愛情を受けたことがないのに、私に愛情をくれました。
父も母も子育てをしたことがなかったけど、私を立派(?)に育ててくれました。

真実の愛とは...

『自分が与えてもらえなかったものを与えること』 なのかもしれませんね。

そんな私が今、こうやって 「人に安らぎを与えられる仕事」 に就けています。今度は私が父と母からもらった愛情を還元する番なのかもしれませんね(^^)

明日で私も40歳。でもこの人生を大切に、親からもらった命を大切に一歩一歩かみ締めて生きていこうと思っています。

土肥幸司のプロフィールへ>>>

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2010年7月 6日

母に想う

こんにちは、大野愛子です。

今日は、わたしの母のお話です。

昭和23年生まれの母なのですが、使っていた携帯電話を機種変更した
ことをきっかけに、メールを覚えると言い出しました。

わたし以上に機械オンチの母ですから、メールを覚えるまでにはしばらく
時間がかかるだろうと思っていました。

新しくアドレスを作ったのであろう次の日には、
「メールをありがとう」という短いメッセージが届きました。
母にとっては、この九文字も一生懸命打ったのだろうと感じたのです。

そして・・・
次の日、デコレーションメールでなにやら花火の画像が送られてきました。
その次の日、自分で撮ったであろう桜の木の写真を添付してきました。
そのまた次の日、近所の山の風景と長い文章。

完全にマスターしたようです、たった4日間ほどのうちに。
その後も日々の様子を送ってくるようになりました。

わたしは、母と一緒に暮したのは14歳までです。
両親が離婚したために、わたしは父とその後再婚した継母との生活になり
母とは疎遠な時期もありましたから、少し距離のある母娘関係だったよう
に思います。

母の送ってくる写真は、故郷のお城や公園の風景だったりするのですが、
「昔、愛ちゃんとお弁当を持って出かけた公園です、覚えていますか?」
そんな言葉が添えられるようになりました。

母なりに昔の記憶を辿って懐かしくなったのかと思っていたのですが、
そんなメールが多く送られてくるにつれ、「お母さんは子供との思い出と共に
いつも生活してきたのかもしれない」と、ふと思ったのです。

一緒に過ごせなくなった後、そんなふうに子供を思い出し暮らしていたので
あろう母の姿が見えた気がしました。

わたしのいる東京に遊びに来ることもあるのですが、そんな時はなぜか写真を
撮りたがることが多く、写真嫌いのわたしは少々面倒に思うこともあったので
す。でもそれは、母なりの子供の成長の記録だったのかもしれません。

四十を迎えたわたしは、一人前の大人になったつもりだったのですが、
母からすればやはり子供であることは変わりがなくて。
もしかしたら、どこかわたしのほうから子供であることを遠ざけてきたのかも
しれません。

わたしの夫から見ると、よく似た母娘だと言うのですけれど。
知らなかった母の一面をメールを通して感じることが、たくさんあるのです。

母が日々どんな生活をしているのかを聞くことが出来ても。
どんな気持ちで生活してきたのかということを知るのは、なぜだか切ないような
悲しいような、いろいろな気持ちが入り混じっていました。

母のメールは、今日も続きます。

宇宙論だったり人類の発祥の話だったりの時もあります。
「あなたの今月のラッキーグッズは靴だから、新しい靴を買いなさい」
という占い師のようなものまで、母からのメールはちょっとユニークです。

性格的にあっさりしている弟にも、なにやらメールを送っている様子。
苦笑いしながら返信に困っている様子の弟が、目に浮かびます。
メールが繋げてくれた親子の時間なのかもしれないと思うのです。

そして今宵は、
母の人生がいつか報われるよう、娘から想ってみようかと思います。

世の中の多くのお母さん達が報われますように。

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