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2009年10月27日

カウンセリングの効果 ~自分の体験から~

何年か前、我が家ではこんなやりとりが、よくありました。

私「それでね、~~~で、~~~、そしたら」(とひたすら話す)
夫「(面倒くさそうに)うん、うん、・・・でさ、結論は何?!結論から言ってくれる?」
私「え???・・・(むっとして)ちょっと○○について聞いてほしかっただけ、聞きたくないのなら、もういいよ!」
(心の中で「もう2度と夫には話さない!!」と決意)

いえいえ、仲が悪かった訳でもないんですよ。
当時は当時で「仲の良い・・・少なくとも仲悪くはない夫婦」とお互いに思っていました。
一緒に行動することも多かったし、よく話しているつもりだったので。
ですから、もう2度と夫には話すもんか!と決意しておきながら、何かあると、やっぱり聞いてもらいたくなり、懲りもせずに話して・・・またけんか、と同じことを繰り返していたわけです。

もうひとつ、よくあったパターンが
夫が車を運転中
(のろのろしている車や、少々危険な歩行者に対して、独り言のように)
夫「早くしろよ~!イライラ」「まったく、あぶないなあ~!(怒り)」
それをしばらく助手席で聞いていると、なぜか無性にイライラしてくる私。
「そんなに怒らないでよ!(相手にも相手の事情があるのよ!)」(と夫に怒る)
ふたりとも不機嫌・・・。

そうです。感情は共鳴するんですね。

しかし、気がつけば、コミュニケーションの仕方が今ではずいぶん変わりました。

車の中での会話の方は、夫はたぶん同じくらい怒っているかとは思うのですが、私がそれにほとんど腹が立たなくなったのです。
たとえば危なっかしい歩行者がいたとして、それに夫がイライラするとします。
私は私で「ほんと、あぶないね~」と自然に共感できたり、怒っている夫を見て、笑えたり・・・。
「怒っている夫=それで良い」と思えるようになりました。
そして最初の、聞いてほしい時の会話の方ですが、夫は以前に比べてよく話を聞いてくれるようになりました。

なぜそうなれたのか??

私が思うには、カウンセリングの効果です。
自分が話すことを、否定されずに、共感して聞いてもらう経験を何度も体験したからです。
(私が、いちクライアントとしてカウンセラーに様々な話を聞いてもらったということです。)

「わかってもらえた!」という経験をすると、
私の場合じんわりと心が暖かくなって心の幅が広がる気がします。「許せる」範囲が広がる感覚です。

人間は、自分がしてもらったことは、人にもしやすい、のだと思います。
だから、自然と相手にとって楽な対応ができるようになれたのですね。

パートナーシップの法則といって、一方が楽になると、もう片方も楽になる。
自分を変えることで相手も変わる。というのがありますが、そのひとつの例だと思います。
それでも、私自身に余裕がない時、どこか疲れている時は、ついつい以前のような「そんなこと言うなモード」に私もなってしまいます。
そういう時は「あ、あたし疲れているんだ。余裕がないんだな」と気が付き、それを認めるようにします。
自分を実験台にして、フムフムこういう時はこういう感情なんだな・・・と思うと、すごく納得がいきます。理解できると、それだけでネガティブな感情が消えて行くことも多いです。
たぶん自分で自分を分かってあげられると楽なのかなと思います。

カウンセラーを目指して、養成コースの受講生になると、まずはじめに「自分を癒す」ということをしていきます。
私自身もカウンセリングを何度も受けて、自分の気持ち、抱えている問題と向き合う経験をしました。

その効果が、意識しなくても毎日の生活に反映されているのに気づくと、何だか嬉しくなります。
やっぱり、人とは仲良くしていきたいし、楽しく毎日を過ごしたいですからね。
日常的な事なので意外と気が付きにくいのですが、これからもこういう小さな1歩を大事にしていきたいと思います。

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2009年10月20日

階段を上り始めたとき...(~幸せの定義~)

みなさんにとって幸せの定義ってありますか?

それは千差万別
人それぞれ様々な 『幸せ』 があるのでしょうね。

何かを達成した時、ほしいものが手に入った時
とても充実感を感じますよね。

自分の目標が達成された時、目標にしていた資格を取れたとき
意中の人と結ばれた時、その人に思いが通じた時

とても幸せを感じることができますよね。

人は何かを得た時、とっても幸せに感じると思います。

私にとっても 『幸せ』 って上記のような感じなのです。
大切な人達と繋がっている感覚や
大好きな場所に行って、のんびり過ごしたり
大好きなことに打ち込んだり...
好物のものを食べたり(笑)

どれもが幸せであり至福の喜びを感じることができます。

でも...
いつもそうであるとは限りませんよね。
思うように行かないこともあるし思いが届かないことだってたくさんあります。

そんな時は悔しかったり悲しかったり
寂しくなったり、せつなくなることもあります。
相手を恨んだり自分を責めてしまう人もいるかもしれません。

でも、それが 『宝』 なのかもしれません。

『悔しい』⇒「なら、やってやろうじゃないか!」
『寂しい』⇒「なら、温かい家庭を築いてみよう!」
『悲しい』⇒「この悲しさを活かして周りの人にやさしく生きよう!」
『せつない』⇒「自分は小さな存在かもしれない。でもその自分にだって、できることはあるさ」

そのひとつひとつの思いが 『宝』 なのかもしれませんね。

私は一時期、いろんな喪失感や絶望感から胸の痛みが取れなくて
約2年間程、ほぼ毎日、明け方の3時から6時にかけて起きてしまうという事が続きました。

最初はそんな自分を責めていました。
「どうして自分はこんなに弱くなってしまったのだろう。お前はダメだ」...と

でもそうやって自分を責めても何も良いことはなかったのです(><)

責める分、どんどん自信もなくなっていきましたし
責めているうちに意識が冴えてしまい朝まで眠れず
そのまま会社に行くので疲れが、たまったままの出勤になり
会社でミスをし、更に自信をなくすハメに...

悪循環に、はまっていたと思います。

でもある時、こう思ったのです。
このひとつひとつの気持ち・痛みを感じられることが幸せなのかもしれないな...と

胸の痛みは僕に何を教えてくれているのだろう?...と

そしてしばらくして、良い意味で自分にやさしくしようと思えました。

自分にやさしくしようと思い始めた頃からは
明け方、目が覚めたときにはこんな風に思っていました。

-----胸が痛くて目が覚める-----

「まだ僕はそれだけ傷ついているんだな」...って
「それだけ辛いことが続いたんだな」...って
「それだけ悲しいことだったんだ」...って

そのままの気持ちを認めてあげたのです。
そして弱い自分を受け入れました。

すると思考で考えないので、そのままスーッと、また眠りにつくことができて...

そして朝、目が覚めたとき、落ち着いた気持ちで
「僕はまだ傷ついているんだな。でもだからこそ今日はいつもより周りの人達にやさしくできるだろう!」...と

そう思えたのです。

その頃からですね。僕が 「幸せだな」...と思い始めたのは^^

人生には自分の思い通りにならないことも、たくさんありますよね。
でも...
その頃(今から3、4年前)から、それも幸せなんだと思えるようになりました。

成功して幸せなことも、とても大切。
でも失敗して挫折を味わうことによって分かることもたくさんあるのですよね。
最近、それも人生なんだと痛感しています。

そして、ちょうどその頃、「カウンセラーとして生きて行こう!」と決めました。

決めても心が揺らぐこともあるかもしれません。
「わあ~、これを乗り越えるのは大変だな」...と思う瞬間もあるでしょう!

でも私はずっとこう思ってこの3年間を過ごしてきました。

もしも目の前に長く険しい道のりの階段があったとしたら...
それは 【上れ】 と言うことかもしれないな...って
お前(自分)には上れる能力があるんだ...って

だから階段があるのですよね。

そしてこの数年、ほとんどの階段を上る事ができました。
それはチャレンジし続けたからだと思います。

私は以前は、『階段を上りきったその場所(所)に幸せがある』 と思っていました。

でも本当は
『階段を上りはじめたその瞬間に幸せが始まっていたのだ』...と思います。

私にとってはカウンセラーになろう!...と決めた時から
幸せが始まっていたのだと思います。

いろんなものを手に入れたい!いろんなことを実現したい!
それを掴めたら、とても幸せなことでしょう。

でも
『一歩を踏み出したその瞬間に幸せは始まっている』

今はそう確信しています。

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2009年10月13日

おばあちゃんと私~怖れの先にあったもの~

先月のシルバーウィーク、皆さんは、どのように過ごされたでしょうか?
私は、地元へ帰省しておりました。そして、久しぶりに母方の祖母に会いに行きました。

私と祖母には、遠い昔に因縁の対決がありました。
それは、私が5歳になるかならないか頃、4歳上の姉と一緒に祖母の家にお泊りにいったときに起こります。
私にとっては、生まれて初めてのお泊り、ウキウキしながら行ったはずの祖母の家が夜になるにつれて、あたりは暗くなり玄関に置いてあるお面が黒光りし、だんだん怖くなって家に帰りたくなります。
とうとう、耐えられなくなった私は、

「ふえぇーーん、家に帰る、このうち怖―い(泣)」

こうなったら、居てもたってもいられません。もちろん、そこにいる保護者である祖母は出て行こうとする幼児を必死に止めます。
しかし、その時の私には、「怖いところに押しとどめようとする鬼ばば」にしか見えません。大人になった今なら、止めて当たり前だと思うのですが、出ていくことに必死な幼児の私は、とうとう暴言を口に吐きます。

「おばあちゃんなんか大嫌い!!もう一人のおばあちゃん(父方)の方がいい!!」

幼児にそれをいわれて、本気をだす祖母、

「私も、あんたのことすかんわね、あんたなんか泊りにこなくていい(怒)」

ガーーーーン、先手を打ったとは言え、幼児にはショックな一言でした。
結局、泊まらず母親に迎えに来てもらって家路についたのでした。

それから20年以上、私は祖母の家には行くけどもどこか近づきにくい存在になっていました。でも、気になる存在でもありました。
おそらく、おばあちゃんに嫌いといった自分は好かれるわけがないというのがどこかにずっとあったようです。だけど、祖母の様子は気になるので、祖母の家には時間があれば顔をだしていました。そのうち、一人暮らしを始め、会いに行く頻度も次第に減っていきました。そして、半年に一度くらいの頻度になったころに、あることに気付きます。それは、ある会話の中にあった祖母の表情でした。
「めぐみは、何年ぶりにここに来たのかね?」
「半年ぶりだよ。○月に顔を出したよね?」
そして、その半年後も、またその半年後も、その半年後も、この会話は続きます。半年が何年ぶりに感じるほど、首を長くして待っていてくれていたようです。その会話をしている祖母は本当にうれしそうな顔なのです。その嬉しそうな顔を見たときに、「好かれるわけがない」→「愛されている私」に変化していきました。

それまでの私は、拒絶されることが怖くて、顔をよく見ることができませんでした。
自分が過去に作った「好かれるはずがない」思い込みは、まやかしだったようです。
でも、それを解いてくれたのは、祖母の嬉しそうな顔でした。
20数年間怖くて見ることが出来なかった祖母の顔は、とっても愛おしい表情でした。
あぁ、今までもったいなかったなという思いつつ、勇気をもって顔をあげることができてよかったなと思います。

おばあちゃん、大好きだよ。

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2009年10月 6日

明日が最後の日だとしたら

しんどい時、悲しい時、つらい時、なかなか人にやさしくできないものです。
でも、もしも明日が最後の日だったら、どうでしょうか?
先日とある集まりに参加してきました。
そこで話題になっていたのが、「もしも明日が最後の日だったら、愛する人になんと伝えますか?」と言うことでした。
これは、カウンセリング中にもよく話題にするのですが、旦那が憎い、親に腹が立つと普段感じている人も、「もしも明日が最後の日だったとしたら、なんと伝えますか?」と質問させていただくと、たいがいの人は、最終的には「ありがとう」とか「愛している」と答えて下さいます。

憎くみたくて憎んでいるわけではないのです。
腹を立てたくて、怒っているのではないのです。
本当は、違う言葉を伝えて受け取ってもらいたいのに、受け取ってもらえないから、伝えたくても「いまさら」「どうして私が」と思って言いだせないから、憎んで腹を立ててしまうのです。

でも、もしも明日が最後の日だったら、今言っていることを、そのまま言わない人が多いのです。
「腹が立つ!腹がたつけど愛してる」とか「憎い!憎いけど、感謝している」とか、そんな言葉になります。

腹が立つのに愛しているとか、憎いのに感謝しているなんて矛盾しているかもしれません。
でも、私たち人間は矛盾した気持ちをいくつもかかえています。
それでもいいのだと思います。

私は昔、白か黒かハッキリさせないとダメなひとでした。
憎いなら憎い、感謝するなら感謝すると、どちらかに統一して矛盾してはいけないのだと思っていたのですが、憎くても感謝することはあるのです。
腹が立っていても愛していることもあるのです。
どちらか一方に統一してから、伝えなくてはいけないわけではありません。
どちらを本当に伝えたいかが大切なのです。

今、問題や悩みがある人は、その問題や悩みには少なからず誰か人が関わっていることでしょう。
その人に、明日が最後だったらなんと伝えるかを、少し考えてみてもいいかもしれません。
本当に伝えたいことを伝えるのは、勇気が要ります。
なんと思われるだろう?受け取ってもらえないかもしれない・・・
いろんな思いがあふれてきて普段は口に出せないかもしれません。
でも、明日が最後の日だったとしたら、きっと勇気も出るでしょう。
色々な抵抗は消えてしまうでしょう。

ぜひ、考えてみて下さい。
そして、勇気を持って伝えてみて下さい。
きっと何かが変わると思いますよ。


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