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2009年5月26日

熟年紀行・旅サラダ

先日、久しぶりにお墓参りに行ってきました。
結婚してから、ずっと遠のいていた、生家のお墓参りです。
私が結婚をしたのは1994年ですので、それ以降に法事などでちらっと訪れたことはありましたが、お墓参りを目的にしていくのは本当に本当に久しぶりでした。
(懐かしがっている場合ではなく、ご先祖さま、ゴメンナサイですよね ^^;)


私の両親はどちらも静岡県の出身ですので、大阪から、いざ、駿河の国へ。
お墓周辺の駅がだいぶ変わったという話も聞いていたので、三重県に住んでいる両親に場所を再確認したところ、祖母の米寿祝もかねて、両親と一緒にお墓参りに行くことになったのでした。
すでに高齢の両親、最近では電車での移動が多くなってきたそうですが、この日はおじいちゃん(父のことです)が車を出してくれることになりました。
最寄り駅で待ち合わせ、いざ、いざ~♪
久しぶりの名古屋の市街を走り、東名高速道路に……と思いを馳せる間もなく、私は車の中で眠りこけていました。


気づくと、父の実家のある某市に到着。
早速、お墓参りです。
毎月、1日と15日には父親の生家が訪れるそうで、私が行ったときにも、数日前の花が残っていました。
父の生家は商売をしていて、祖父から伯父(父の兄)、そしてその息子へと受け継がれ、現在はわたしにとっての従弟が跡を継いでいます。
お墓はずっと前に訪れたときと変わりなく、同じ場所で同じように静かにそこにいて、じっと見守ってくれているようでした。
私が訪れていない間も、私の知らないところで、こうしてお墓を守ってくれていた人たちがいてくれて、変わらない毎日を過ごせていたのだ、と深く感じ入り、感謝の気持ちで墓前に手を合わせたのでした。
毎日を過ごせていることに感謝をして、お墓参りを終了。


その後、親が連絡をしていたとのことで父の生家に行きますが、実に何年ぶりでしょうか。
駅前の整備に伴い、場所を移動したお店は新築で広く、二世帯用に大変身していました。
出迎えてくれたのは、店番をしていた伯父、伯母、そして配達から戻った従弟。
お互いすっかり年をとったことを感じましたが、子供のころには、私の弟と従弟を子分のように従えて遊びにいったことが思い出されたりもして、懐かしさでいっぱいでした。
お昼を一緒にとって見送ってくれたのですが、その瞬間、私は不意に、「はっ」としたのでした。
誰も何も言わなかったのに、その見送ってくれる姿に、彼らはずっと、私のことを心配して、祈っていてくれていたのだということを、私ははっきりと感じたのです。
数年前に離婚してから、なんとなく足が遠のき、一度も訪れることがありませんでした。
それでも何も言わず、「よう着たね~」といってごちそうを振舞ってくれた伯父と伯母。
にこにこ笑って迎えてくれた従弟。
たったそれだけのことと、見送る姿から、伝わるものってあるのですね。
その思いを、想像や推測ではなく、確信として実感したのでした。


もちろん、その思いは両親も同じだったのでしょう。
定年退職してからますます出不精になった父が、車で静岡まで来るなんてまずありえないことですから、母も驚いていました。
そんなことを思いながら、両親と一緒に私の名づけ神社にお参りしました。
私の名前はもともと姓名判断で大吉ですが、40歳以降によりよい運勢らしいので、それを狙ったわけではありませんが、しっかりと感謝のお参りをしてきました。
今回のお参りは、すべて、現在与えられているものに対するお礼が目的でしたので、感謝のみ、捧げてきました。


次に、そのまま母親の生家を訪れます。
久しぶりに会う伯母(母の兄嫁)が、お墓のお花を用意してくれていました。
伯父夫婦には私と同じ年の従姉がいて、しょっちゅう遊びにいってはお世話になっていて、そのためでしょうか、思い入れのある様子で迎えてくれました。
ずいぶんお世話になったのですから、こちらとしては返そうと思うのですが、不思議ですね、そんなことよりも、さらに愛情を注いでくれることが喜びであるかのように、与えようとしてくれているのが分かります。
そんなものかもしれませんが、本当にありがたいと思ったひとときでした。


祖母と一緒にお墓参りに出発。
祖母は米寿を迎えましたが足腰は丈夫で、祖父の墓に着くと、誰よりも率先してちゃっちゃっとぐるりを掃いていました。
祖父母の年齢差は親子ほどもあり、祖父は明治生まれの気丈なひとだったようで、当然、祖母は結婚に反対されたようですが、若くして子供を生み、波乱の人生を生きてきた祖母にとってはいろんな思いがあるのだと思います。
墓前を掃除している祖母は、いつものおっとりした姿からは程遠くキビキビとして、いつになくイキイキとしていました。
今は亡き祖父のために、できることがあるというのが、祖母にとっての至上の喜びなのですね。
祖母の愛情の深さを、改めて実感したのでした。


その後は、祖母と一緒に、焼津の海が一望できる旅館に。
気分は「旅サラダ」、ですが平均年齢65歳の旅です。
私としては、この平均年齢よりも、自分の年に8歳足すと、私が生まれたときの祖母の年になるということの方がショッキング~です。
あな、おそろし~~。
旅館に着くと、最上階の部屋から海を一望、温泉から富士山を拝み、懐石料理に舌鼓、さらには酒のみやんちゃ父娘でカラオケ三昧。
それ、ワカチコ、ワカチコ。
二人でカラオケルームを占拠し、熱唱につぐ、熱唱。
誰も聴いてね~よ~。^^;
でも、そんなの関係ねぇ~。(古)
やんや、やんや。
血のつながりを否定できないと思った、アホな父娘でした(笑)。


次の日は、祖母を送り届けると、母の弟である叔父が定年を迎えたということで、まだ働いている叔母に代わって家事をしていました。
今までは全く家事をしなかったけど、やってみると楽しいもんだねえ、とキッチンはいつになくきっちり整理され、叔父の主夫ぶりがうかがえます。
母の家系はこだわり派の学者一族で、何をするにも研究熱心ですから、家事ですらいろいろと研究している様子でした。
叔父の眼は優しく、私を見て昔を懐かしんでいる、といった風情でした。
私が生まれたとき、確か叔父はまだ学生のはずですし、当時はトイレも汲み取り式でした。
それでも、見渡せば近所の公園にあった遊具はそのままで、祖母と一緒にすべった滑り台も当時のままでした。
祖母の娘時代の話に耳を傾け、いにしえの過ぎし日もゆかしく、馳せる思いは去りぬ。
こうして、我々は旅路を後にしたのでした。


長いことご無沙汰しているご先祖さまへの感謝の旅でした。
眼に見えないご先祖さまに代わって、眼に見える形で親戚衆が私に教えてくれているような旅でもありました。
自分の知らないところで、自分の知らないものに守られて生きているということを、がっつり思い知らされたのでした。


後日、私からの米寿祝いを大切に使い、一緒に渡した手紙を何度も読み返していると書かれた祖母からの手紙が来ました。
長い年月をかけて祖母から受け取ったものに比べれば、私が祖母に贈ったものなんて、本当にささいなものだと思います。
それにもう高齢なので、眼もだいぶ疲れ気味だと思うので、単に喜んでくれたらいいと思っていたのですが、何度も手紙を読み返し、当たり前のように手紙を書いてくれて、やっぱり祖母の愛情は深いのでした。
娘時代をしのばせるような、愛らしい言葉遣いの祖母からの手紙。
本当に最後の最後の瞬間まで、与えることが喜びであり、彼女にとっては当たり前のことのように思っていることが、手紙をくれるという行為から伝わるような気がしたのでした。


私は学生のころ、入学などで親戚筋からお祝いをもらっても、すべて両親のところで止められていました。
私のところにお祝いはもちろん、もらったという話すら聞いたことがなかったんですね。
だからお祝いをもらったことも知らなかったし、お礼の手紙を出すこともなかったんです。
(この是非については、ここでは述べませんが)
当然、愛されているなんて感じられませんでした。
それでも、大人になって分かるのは、彼らの思いは、今までずっとあったということ。
思いは、そのときに伝わらなくても、時間を経て、必要なときに、必ず伝わるのだとも思うのです。


受け取り手に準備ができたら、与える者が現れるといいます。
今回のお墓参りは、与えられている普段の生活に感謝をするために赴いたのですが、それが私にとっての受け取る準備だったようです。
今回の旅行は、会ったひとたちを通じて、私に大切なことを示唆し、与えてくれたような気がします。


私のつたない「熟年紀行・旅サラダ」をお読みいただきまして、
最後まで、読んでいただいてありがとうございました。
感謝、感謝の巡礼でした。


トシだな~。



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2009年5月19日

無実であるということ

友人家族に誘われ、三つの家族でプロ野球の試合を見に行った。
中日ドラゴンズと読売ジャイアンツの試合で、この対戦カードの野球を観に行くの
は、高校生の時以来、実に25年ぶりのことになる。
久しぶりに球場で試合を見ながら、25年前のことを思い出していた。
その試合で忘れられない出来事があったからだ。

25年前の球場で僕が座っていた座席は、ドラゴンズファンを中心に、ジャイアン
ツの応援をしている観客がちらほら混ざっている場所だった。
少し離れたところに、熱心なドラゴンズファンのサラリーマンの仲間達がおり、前
のほうには、ジャイアンツの応援グッズを持った小学生くらいの少年の姿があった。
そしてその少年のもう少し前に、ジャイアンツの応援ユニホームを着た、ちょっと
怖い雰囲気のやんちゃな感じの青年が座っていた。
もちろん、サラリーマン達と少年とやんちゃそうなあんちゃんは、今日はじめて出
あう他人である。

球場では、ドラゴンズが優勢になれば、ドラゴンズファンは大きな歓声を出して盛
り上がり、ジャイアンツが活躍すればジャイアンツファンが声を上げる。
試合が進むにつれ、僕の視野からは、ドラゴンズの応援をするサラリーマンと、ジ
ャイアンツを応援する少年とやんちゃな感じのあんちゃんの対照的な反応がはっ
きり見えてきた。

試合はドラゴンズが有利に進んでいた。
ジャイアンツファンの少年が寂しそうに立っているのを、やんちゃな感じのあんち
ゃんが気づいたようだった。
攻守交代の間にトイレに立った彼は、少年の横を通りかかった時に、優しく頭をな
でて、励ましているのが目に入った。
同時に、周囲で最も目立っていたドラファンのサラリーマンの一軍を睨みつけてい
たのが印象的だった。
僕の視界からは見えても、サラリーマン達からは、少年もあんちゃんも見えていな
いようだった。

そうこうしているうちに、試合は進んで行き、いくつかのドラマがあって球場はど
んどん盛り上がり、ジャイアンツファンとドラゴンズファンは一喜一憂を繰り返し
ながら試合は終盤に向かって行った。

ついに、ドラゴンズが試合を決定付けるような大きなチャンスを得た。
僕の周囲も、一球一球に大きく歓声がわく。
その度にサラリーマンの一軍も大歓声で盛り上がる。
その度に、ジャイアンツを応援する少年は、体をこわばらせ元気がなくなっていっ
た。
そして、その度に、やんちゃそうなお兄ちゃんもまた後ろを振り返った。
少年には温かく、サラリーマン達には憎しみをこめて。

何がきっかけになったかは覚えていない。
突然、そのお兄ちゃんは立ち上がり、盛り上がっているサラリーマン達のところへ
突進して、その中の一人を殴った。
周囲は一時騒然となった。

僕はその一部始終を見ながら、とても複雑で悲しい気持ちになったのを強く覚えて
いる。

どんな理由があっても、暴力を振るうことは許されることではない。
その時、高校生だった僕も、そのことだけははっきり思っていた。

そして、その上で、思ったのだ。
罪はどこにあるのだろう、と。

今、思えば。
あの時の僕は、サラリーマン達、少年、あんちゃん、それぞれが感じていた感情を、
すべて感じていたように思う。
だからこそ、どうしようもない、行き場のない思いを抱いていたのだと思う。

こうしたことは、世の中にはどこにでもある。
野球の応援という小さな場所から、世界のどこかで必ず起こっている戦争まで。
その時、関わっている人々は、それぞれそれなりの理由で行動を起こしていて、だ
からこそ誰が悪いという事もない。
いっそ、はっきりした悪人がいてくれたらすっきりするのに。
誰もが悪くないのに、こうした争いが起こるのなら、それをなくす方法なんてどこ
にあるのだろう。
その頃から、ずっと僕はそんなことを考えていたような気がする。

そうした答えのない問いに、ひとつの光明が差したと感じたのは心理学を学び始め
た時だった。

心理学には「投影」という言葉がある。
簡単にいってしまえば、相手や状況の中に見えるものは、自分の中にあるものであ
り、他人は自分の心を写し出す鏡である、というものの見方だ。
誰かのことを嫌なやつと思えば、それは同じ嫌な部分を自分も持っているから嫌だ
と感じる。
誰かのことをとても優しいと思えば、それは同じ優しい部分を自分も持っているか
ら優しいと感じる。
人の中に見えるものは、自らが考えている自分自身の姿である、という見方は、僕
にとっては衝撃だった。

人の中に見えるものが、自分自身について考えていることだとしたら、他人へ下し
ている様々な判断を変える事ができれば、自分の心の中を変える事につながる。
人間とはいつもいつも、他人を批判しながらも、実は、その分、自分を批判し罪深
いと考えているのだ。

どんな嫌なことがあっても、相手にもしかたのない事情があったのかもしれないと
いう思いでみることができれば、その度に、自分自身を許し、そのことで自分を楽
にし、自ら自分を縛っている様々な制限を取っていって、自分を自由にしてくれる。
こうしたものの見方は、人間関係を円滑にしていくのに役に立つということを知っ
た。

繰り返しになるが、どんな理由でも暴力は許されるものではない。

ただ、どこかで、そんな暴力を目にしたとき、それを憎むのではなく、自分の中に
もそれはあることだと認識して、自分の中にある罪を許そうと思ってみる。
だれかの無実を認めることが、自分自身を無実にし、自由にしていくのだとしたら。
それを世界中の人が実践できたら、この世の中から争いがなくなるのではないか。
そう思うようになったのだ。

25年ぶりの中日・巨人戦を見ながら、そんなことを考えていた。

それは夢物語なのかもしれない。
けれど、かつてジョン・レノンが歌ったように、僕はそれを信じてみたい。

ただ、信じてみたい。

あらためて、そのことを思った一日だった。

この日の試合は中日が負けてしまったけれども、子どもたちはそんなことはおかま
いなしに、この日のイベントを満喫していた。
僕は、両チームをそれぞれ応援していた人たちどちらにもエールを贈りながら、帰
途についた。


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2009年5月12日

涙の成分~~プロラクチンが多いんですって!?~~

 先日、別れた夫の家に久しぶりに行きました。とは言っても、もと夫に会うことはなく、まだ残っていた荷物を取りに行ったのですが。

 家を出る準備を始めたのが、1996年の終わりごろ。家を出たのが、97年の春。1年半くらいの時間が私には必要で・・・、つまり、もと夫からの連絡を実は待ちながら、業を煮やし離婚の調停を始めたのが、98年8月。あれよあれよ、と離婚が決定したのが、その年の12月16日。

 家を出ようとしてから、丸2年もあったのに、そしてそれからも10年以上の時間が経っているのに、まだ置いているものがありました。それは、結婚前に私が集めていたレコード(なんと、LPですよ!!)や書籍、そして・・・もと夫が結婚してから買ってくれたもの・・・何着かの洋服やバッグ、もと夫がどこかにしまいこんだままになっていた、母が持たせてくれたお雛様、私の子供時代のアルバムなど。

 離婚当初は、私はまだフルタイムで仕事をしていたし、息子たちは小学生・中学生。さらに、心理学の勉強を始めたところ。色んな意味で私の方に余裕がなかったこともあるのだけど、今から思うと、もと夫の方は、もっともっと準備が出来てなかったんだ、と思います。

 いずれにせよ、そんな全てを精算しなければいけないことが、いつかは来るわけで。とは言うものの、捨ててくれているとずっと思っていたのもあるんですが・・・、今回もと夫の事情で、共に住んでいたマンションを引き払うことになったのです。

 なので、残っている荷物を、この手でばっさりと・・・と、息子を伴い、家を留守にしてもらって荷物を取りにいきました。取りに行く、というより完全撤収という感じ。

 でも何で、ずっと置いたままにしていたんだろう、お互いに。私は、どうぞ捨ててください、と思っていたし、どこか、他力本願だったんですね、お互いに。

 あの住み慣れた部屋に入った時に出てきた、そこに滞留していた当時の感情・・・悲しくて、苦しくて、絶望的で。色んなところを見るのが嫌で。もと夫にお願いしてもなかなかしてもらえなかったことには、事情もあるし、それ以上に苦しかったのは、向き合ってもらえなかったこと。
 
 ドアを開けたら、そんな感情が一気に胸に飛び込んできたようで、涙が止まらなくなってしまいました。一緒に来ていた次男は見ないふり、してくれたけど。

 一生懸命だったな、私。まだまだやれることはあったかもしれないけれど、力尽きていたな。最後の力で、子供たちと話をして、家を出る決意をしたんだった。

 子供たちと暮らす中で、父親不在の人生にはしたくなかったので、いつでも会えるように、と思ってきたし、現に今も3人で出かけたり、次男に至っては毎週会いに行っているんですが、ほんと、すごいヤツだ、と私は思います!

 私がどうしても家を出なければいけなくらいに、追い詰められていた「オトナの事情」については、今年に入りようやく全て、話せるようになったのですが、彼らなりの人生哲学を以って、成長してくれたのは、それでももと夫がいてくれたからでもあって・・・。

 なんてことが頭の中にぐるぐると廻り出し、ワークショップ以外でこんなに泣いたことは久しぶりではないか、というくらいに涙が。

 ああ。泣いてなかったな。離婚に際しては。それまでは、いっぱい一人で泣いてきたけど。トイレの中、お風呂の中、夜中のバルコニー、お布団の中、一人になれる場所を見つけては。

 散々涙を流したら、ほんまにすっきりしたんです。涙って、流すことに意味があるって何かに書いてあったか聞いた気がするよな~、と取り戻しも早い、昨今の私。

 で、持ち帰っていなかった本の中に、発見したのが、「NHK サイエンススペシャル 驚異の小宇宙・人体2 脳と心」の全巻(NHK出版)、いわゆるオトナ買いしてあったもの。

 おおっ!!これ、持ってたんやぁ!!捨てずにずっと置いてくれていた、もと夫に感謝。いろんなことがあったけど、こう言うことは認めてくれていたな、って思って。

 そんなことをしていたら、ここに転居してきた時はまだお腹にいた次男が、
「お母さん、これっ!」
 と嬉しそうに見せてくれたのが、保育所の修了アルバム。

 自分で描いた絵を表紙に装丁して貰い、当時の写真が貼ってあり、中には5年前に夭逝した幼馴染の顔もあるもので、ずっとずっと見つけたかったらしいのです。

「これ、探しててん!!やっと見つけたっ!!」

 彼の20年の人生の中で、保育所での時間がそんなに大切だと私には気づかなかったなぁ。でも確かに、中学校の卒業式に、私がカメラを持っている前に、保育所仲間が(亡くなった子を入れると6人いたのですが)集まってきて・・・男の子も女の子も関係なく・・・満面の笑顔でピースをしてまた散らばっていったこと、思い出しました。

 亡くなった友達の通夜に参列した次男は(私は泣き過ぎて行けず)、叩いたら起きてくれそうな顔してた・・・としょげて帰ってきて、さらに学年全体で葬儀に参列した夜は、一晩眠れずにいたらしく、・・・翌朝息子が出かけたものと思って出勤した私に、先生から電話がかかり、大慌てで探したら、部屋で寝ていたことがありました。

 次男は、通夜・葬儀共に泣けなかったらしいのです。泣いたら崩れてしまう、と思ったのか・・・。長男は、泣いたらええのに、って言っていたな。
 
 撤収する荷物を片付けながら、そんなことを考えていたのですが、帰ってから「人体の小宇宙」のうちの1冊を手に取り見てみたら、「人はなぜ愛するか 感情」という第4巻。

 そうなのよ、何で人は誰かをすごく好きになるのか、自分にも起こることではあるんやけど、誰か上手に説明してくれへんかなぁ~と思っていたところ。

 その中でも、涙の成分を調べた人がいるらしく、涙の成分についてほんのちょっと触れてありまして。

 その結果・・・プロラクチンという女性に多いホルモン、脳内物質エンドルフィンの「仲間」・ロイシン・エンケファリン、そしてマンガンが多く含有されていることがわかったと書いてありました。

 この番組や本が出たのが、15年ほど前なので、今はさらに解明されているのかもしれないのですが、要は、男性より女性の方がよく泣く、ということ、エンドルフィン(とその「仲間」)の作用にはストレスや不安などの緩和があること、マンガンは神経伝達物質の統合をコントロールしているので過剰になると異常行動の出現があること・・・。

 そういったことから推察するに、涙を流す(いわゆるエモーショナル・ティア)ことは、ストレスに対処するために必要で重要な生理的作用である、と。

 感情を抑え、涙をこらえることは身体にも心にも良くないこと、って言うのは体験的に知っているのですが、化学的な分析結果を見ると、納得せざるを得ないなあ、って思ってしまいました。

 そこで。

 男子たるもの、人様の前で泣くな、と教えられてきた男性諸氏。
職場で泣くなんてっ!!って後輩を叱っているお姉さま方(はい、かつての私ですっ)。

 いい涙を流しましょう。そしてさっぱりしたら、堂々と次へ進みましょう!

 泣くことは、恥ずかしいことじゃありません。化学物質以外に、もっともっとたくさんのものが含まれているんです。思い出や、優しさや、愛情や・・・誰かの気持ちを感じてあげられる、柔らかな感性や。

 涙を大切にしましょう。誰かのために流した涙。自分のために流された涙。どんな宝石よりも、美しい、と私は思うのですが、皆さんはどうお感じになりますか?

 そしてまた今日も、美しい涙に出逢える仕事に、感謝。

※(NHK出版 「NHK サイエンス スペシャル 驚異の小宇宙・人体2(ローマ数字の2)脳と心 人はなぜ愛するか 感情 4」 を参考にさせていただきました。)



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2009年5月 5日

与えるということ

最近、「与える」と言うことについて、よく考えます。
誰かのために何かをする。そうして、それが自分の喜びである
相手のために、自分が何を貢献できるのか?
またまた、大きくは、会社のために、社会のために
自分が何を貢献できるのか?そうして行動をしていきます。
でも、そこには、無理が無くて喜びがあるのです。
もちろん目指すことがあれば、その為の四苦八苦やら
その為の、紆余曲折はあるのだけど、それが苦にはならない。

何が出来るんだろう?何かやれることがあるはずだ。
どうやったらいいのかな?もっと試してみよう。
こんな風な気持ちが心の中に溢れかえっていきます

与えるという事は、とても楽しいことなんです。

でも、実は、私にとって、この「与える」と言うことは
長らくとっても難しい課題でした。

「与える」と言うことと、「犠牲」「補償行為」との違いが
よく解りませんでした。

犠牲と言うのは、誰かのために、一生懸命やっているのだけど
それは、自分の喜びでは無くて、我慢があったり、自分自身は
受け取ることが無いという行為になります。

補償行為と言うのは、始めに罪悪感があって、申し訳ないとか
埋め合わせをするために行なうので、喜びではなく
やらせてもらえて、やっとホットできるような・・・
そんな感じだったり。

どちらも「受けとらない」と言うことになります
どちらも。実は相手のためではなく、自分の心の痛みを
埋めるために行なっていることになるのです


しかしながら、「行動」であらわしている部分は同じでも
心の持ちようで、与えることだったり、犠牲になったり
補償行為になったりする事も大いにあると思います。

たとえば・・・子どもを育てている場面などでは
しょちゅう、揺れ動いていた私がいました。

同じ「子どものご飯を作る」と言う状況であったとしても
子どもが喜ぶ顔を見たくて、子どもの好物をメニューに加えたり
少しでも健康で元気に毎日を過ごしてほしくて、
栄養のバランスを考えたり。
食事の後に、ビタミンが摂れるようにと果物を用意したり
それが、とってもワクワクしながら行なうことが出来る日もあれば

毎日の事となってしまって、ただ、なんとなく仕方がないから
やってるってこともあったり。手作りのものを作ってやらないと
悪い母親になった気分がして、作ったり。コンビニでお弁当を
買ってくることに、とっても罪悪感を感じてしまうから
仕方がないから作ろうと想って頑張ってみたり。

そんな事がたくさんありました。

どれもこれも、人間ですから、持ってしまう感覚だったり
感情だったりします。
良いとか悪いとかでは無くて、そんな事もあってOKなのだけど
「与える」って状態で居たほうが、子どもも私もとっても「楽」
なんですよね。

たとえば・・・・「今日のご飯は、イマイチやわ~」と言われても
与えるって感じの状態だったら。
「そう?味加減?どうしたらええと想う?」と聞いてみたり
今度は、こんな風にしてみようかな~と工夫が生まれます。

でも、作らねばならない!と想い作った料理で「イマイチ~」って
言われると「なに~!こっちも頑張って作ったのに!!!」と
怒りに変換をしてしまう・・・・なんて事もありました。

日常のこんなほんのササイな事でも、そうでしたから
仕事や社会とのかかわりとか、色んな場面でこの揺れる感覚は
本当にたくさんありました。

でも、意識を「与えること」にクセをつけていくと
だんだんと上手になり出来るようになってきたなぁ~と想います。

また、反対に、一生懸命与えれば与えるほど、こちらも
元気になってきたり、反対にこっちが癒されたりすることが
とっても多くなりました。

与えると言う行為は、自分の内側から出て、相手を見る
関心を持つ。相手に興味を持つ。そうして愛する。
自分の力を信頼する。今を生きる行為になります。

今、目の前のこの人が大切だ。
今、目の前のこの人のために、何が出来るのか?
考えてみる。そうして聞いてみる。行動してみる。
是非、取り組んでみてくださいね。

上手に出来る事が目的ではありません(~o~)
目的は、お互いが幸せになることなのですから



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