« 2008年7月 | メイン | 2008年9月 »

2008年8月26日

●好きなものは好き!

先日、朝から人間ドックを受けに大阪の梅田へ出かけました
人間ドックが、スムーズに終わったので
久しぶりに映画でも見て帰ろうと
「崖の上のぽにょ」を見てきました。

ジブリの映画は大好きでして、ほとんどの作品を見ています。
今回のぽにょも、以前にテレビで、メイキングの番組を
見ていたこともあり
とっても、ワクワクしながら見に行ってきました。

内容は、見られていない方々もおられると思いますので
詳しくは、お話出来ないのですが・・・・

ぽにょの純粋さにやられてしまい・・・
開始10分にて、号泣。

おそらく、そんなに泣いてる人は、私ぐらいのはずです(苦笑)
と言っても、映画の内容自体はとってもシンプルで
それほど、涙を流すようなシーンも見つからないのですが
私の琴線に触れたのが「好きなものは好き!」って言う
ぽにょの純粋さだったり

素直に表現して、素直に自分を出していく在り方だったりが
とっても、私の中の何かに触れたようでした。

好きなものを、素直に好きと言うことって、
とっても難しいと感じます

たとえば・・・
好きな人へ好きって告白するのは、心臓が飛び出るほど怖いし
好きな人の近くへ寄っているだけで、なんだか居心地が悪かったり
本当は大好きなのに、恥ずかしくて大嫌いって言ってしまったり

人だけでなくて、自分の大好きな夢ややりたいことなどでも、
なんらかの事情でそれを追いかけること、出来なくなってしまった。
だから、諦めるにはとっても辛いから・・・
それだったら、最初から価値のないものなんだと
思い込もうとしたり
大嫌いなものにしてしまったり。
イソップ童話のすっぱいぶどうのキツネさんのように・・・

私達はいつの頃からか、自分の中にある「大好き」って気持ちを
悪いことにしてしまったり、嫌いなものにしてしまったり
もってはいけないことにしていまったり、諦めてしまったり
ごまかして、見ないようにしながら、
必死で生きているのかもしれません。

大好きなものを大好きだって感じることが出来たら
大好きなことに、思い切り力を発揮することができたら
大好きな人に、思う存分に「好き」って言うことが出来たら
それだけで、人間は、かなり自由に幸福に生きていけるのに
って、思います。

そう言う私自身も、なかなか自分の好きに許可を出すことが
出来ずに生きてきた人でしたから。
ちょっとづつ、好きを取りもどしてきた分だけ
これを取りもどせた幸せと、好きを好きっていえる幸せを
感じずにはいれないのだと思います
だから、この、ぽにょの純粋な「好き」って気持ちに
やられてしまったんだろうなぁ~って思います。

好きなものを食べる。好きなところへ行く。
好きな人と一緒に遊んで。好きなことをする。
そうして、大好きな人に好きって言う。

とってもシンプルなんだけど、とっても難しいことです。

でも・・・小さい頃には、みんなが持ってた
「好きは好き」の気持ち
本当は、難しくなくて、取りもどすだけなのかもしれません。

そんな事を考えた映画でした。
ご興味のある方は、是非、ごらんになってみてくださいね。



投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (1)

2008年8月19日

●木村家、赤ちゃんとトマトに育てられて少し大人になる。

木村家には、今、我ら夫婦を虜にするものが2つあります。

まずは、奥さんのおなかにやってきた赤ちゃん。

少しずつおなかが大きくなってきました。
お風呂に入っている時と寝る前に、奥さんのおなかをなでくりまわしながら「起きてるの~?」「今何してるの~?」と様子をうかがうのが日課となっています。
もちろん当然のことながら、聞いてみても何の返事も返ってきません(笑)
それでも懲りずに毎日なでくりまわしながら、「パパでしゅよー♪」と、自身の存在をアピールし、「元気でしゅか~?」と、返事の返ってこない問いかけを繰り返しています。

そしてもう一つ、我ら夫婦を虜にしているのが、ベランダで栽培しているトマト。

奥さんは緑が好きで、前からベランダでハーブなどを育てていたのですが、僕は奥さんほど興味がなく、「生えてるな」「咲いてるな」程度しか気に留めることはありませんでした。

ところが、この夏初挑戦のトマトに、ガッツリとハートを鷲掴みにされてしまったのです。

初めは、言われるままに土を耕して肥料を混ぜ、そこに苗を植えただけで、特別なる思い入れは全くといっていいほど無かったのです。
せいぜい「売っているトマトを買ってくるのと、苗やら肥料やらを買って育てる手間とを考えると、どちらが安くつくのだろう?」程度でした。

ところが、そのトマトの苗が、朝見た時と夕方見た時で大きさが違うくらい、それはもうグングン育っていくんですね。
そのうちに花をつけ、小さな小さな実を付ける頃には、朝起きた時には「元気かな?」と様子を見に行き、昼は「元気に育っているかな?」と思いを巡らせ、夜には「こんなに大きくなったのかー!」と感激するほどに情が移り、「トマ吉(とまきち)」という名前を付けるほどのかわいがりようです。

元々緑が好きな奥さんは僕以上の入れ込み様で、少しでも時間があれば、トマ吉の側で目を細めてトマ吉を眺めています。
トマ吉だけでは寂しいだろうからと、レタスのレタ吉の栽培も始めました。
僕のごはんを炊くのを忘れることはあっても、トマ吉に水をやるのを忘れたことはありません。

夫婦そろって、トマトの鉢に向かって「トマ吉ー」と呼びかけています。
トマトの実に向かって「甘~くな~れ~」と語りかけています。
もちろん当然のことながら、何の返事も返ってきません(笑)

おなかの赤ちゃんもベランダのトマトも、我ら夫婦に何かをしてくれるわけではありません。

それでも、愛しいのです。

話しかけても、返事は返ってきません。
それでも、かわいいのです。

もちろん、何かしてほしいわけでもなければ、返事が欲しいわけでもありません。
求めていることをあえて言うならば、存在してくれることと、元気に育ってくれること。
これだけで、我ら夫婦は満たされています。

夫婦の間では、やってほしいことや欲しい返事がもらえないと腹が立ちますが(笑)、赤ちゃんやトマ吉に対しては腹が立ちません。

そこには、依存と期待がないからなんでしょうね。

与えることに徹する、しかも、それを苦痛なくできる。
相手が受け取っているのかどうかが関係なくなる。
存在していてもらいたいものがただ存在していてくれるだけで、こんなにも喜べる。

我ら夫婦は、赤ちゃんとトマ吉のおかげで、少し大人になれたようです。
どうやら、育ててもらっているのは、我ら夫婦の方のようですね(笑)

依存と期待を手放すことで感じられる新たな世界を垣間見せてくれている、赤ちゃんとトマ吉に感謝感謝です。
元気に育ってくれてありがとね!



投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (1)

2008年8月12日

●暑さで思う~禁止すると腹が立つ~

CO2を出さない為に・・・ではなく、単純に電気代節約の為に、エアコン使用を極力我慢している大門です。
毎日暑い!とにかく暑い!
この状態で、エアコン使用を我慢しているということは、当然暑さに耐えているわけです。
そして暑さに耐えている時に、自分で自分に禁止しているのは、「暑い!」と口に出して言うことです。
言うと、暑いのが我慢できなくなる気がするのです。

ところが、我が家に生息している、私以外の生物は、エアコンを使いたいわけです。
そうすると、いかにエアコンを使いたいかを、私にアピールしてくるのです。

『暑い!』『あっついなぁ~』『暑くてたまらんなぁ~』
連発です・・・

人間は、自分が禁止していることを、目の前で言われたりやられたりすると、無性にムカついてくるものなのです。
『暑い』と口に出すことを、自分に禁止している私に向かって、『暑い!』『あっついなぁ~』『暑くてたまらんなぁ~』を連発するとどうなるか?

ええいっ!ムカつくっ!

イライラして、腹が立って、とても平和とは言えない精神状態になります。

『禁止するからムカつくのだ』『ならば、禁止せずに口に出してしまえばいいではないか』『暑い!』『暑いっ!!』『暑いーーーーーーー!!!』
とうとう口に出してしまったわけですが、口に出すと暑いのが我慢できなくなると感じていたのに、我慢できなくなるわけでなく、エアコンをできるだけ使用せずに暑さを乗り切るにはどうしたらいいのか?と、考えはじめたではありませんかっ!

あらっ、私ってば結構できるのね♪

庭に打ち水をしたり、冷たい水で絞ったタオルを首に巻いたり、窓から熱が入らないように工夫しつつ、風は通るようにと頑張ったり・・・
色々やっておりますが、どうしても無理!となれば、エアコンを使用しております。

禁止してしまうと、そこからは我慢あるのみになってしまいますので、禁止するのではなく『私は○○なのよね~』と口に出して言ってみると、『では、どうすればいいのか?』を考え始めることができるのです。

禁止していると、『エアコンなんて、なくなってしまえっ!』『暑いという奴が憎らしい!』という気分になってくるのですが、禁止せずに口に出して自分の気持ちを表現すると、『エアコンってありがたいものなのね』『そりゃ暑いよな』と思えるようになり、心の平和がやってくるのです。
そんなこんなで、暑さと戦うのではなく、暑さと共存する方法を考え始めた大門です。

みなさんも、自分に禁止していることは何か?を、一度探してみるといいかもしれませんよ。我慢する以外に何か道が開けるかもしれません。


大門昌代のプロフィールへ>>>

投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (0)

2008年8月 5日

●お医者様への感謝Ⅱ~ホスピスで~

もう、10年位前のことになりますが、祖母が最期の時をホスピスで過ごしました。

祖母は、家族の中で、ただ一人、すべてを受容してくれるような人でした。
小さい頃、庭の草木に触れさせてくれたのも、料理のお手伝いをさせてくれながら手作りの智恵を教えてくれたのも祖母でした。
私にとっては、気持ちの中で拠り所になってくれるような人でしたが、実家を出て20年も経つと、ほとんど話をすることもなくなっていました。
自己主張することのない祖母は、会うたびにただ微笑んでいて、帰りがけに何か食べ物を持たせてくれ、いつも「さよなら。」と言いました。
今思えば祖母は『もう自立してしまった孫に、今さら何をする必要もないだろう。』と、静かに私を手放していたのかなあと感じたりします。それがまた私には有難かったのかもしれません。

でも私の心の中では、何でも受容してしまう祖母に、家族みんなで犠牲を強いている申し訳なさを感じていました。
祖母が治る見込みのない癌にかかっていると知らされても、当時の私は介護をしようとするわけでもなく、どう接していいのかわからずに戸惑い、さらには、そんな自分を情けなく感じていました。

祖母がホスピスに入った時、ちょうどお盆でしたので、帰省して、初めてそのホスピスに祖母を見舞いました。
郊外の大きな病院の最上階にあるホスピスの明るい窓からは、完成間近の瀬戸大橋が見えました。
「あれが瀬戸大橋やで。」などと風景を説明する父に、祖母は「家はどっちや?」と聞きました。普段からあまりにも執着心のない祖母だったので、その言葉もさらりと聞き流してしまいましたが、きっと住み慣れた家や、その周りの音や風景の中に居たかったのでしょう。ホスピスのような恵まれた環境で最後の時を過ごせたのも、とても幸せなことだったろうと思いますが。

それから秋になり、秋が深まるにつれて、祖母は弱っていきました。電話でそんな様子を聞くと、お別れの時がせまるのを感じ、当時の私はどうしていいのか、ますます分からなくなっていきました。重たい葛藤で身動きが取れなくなり、祖母を見舞うために帰省することが出来なくなりました。
『こんな私が見舞っても、役にも立たない。邪魔になるし恥ずかしい。おばあちゃんとは気持ちが通じてるんだから、何も言わなくても分かってくれる。何もしなくても思いは伝わる。行く必要はない。どうせ話しもできないんだから。』
そんな言い訳が頭に渦巻きました。

とうとう、亡くなる1週間ほど前のこと、容態が変わったという連絡が来て、深夜の高速道路を急いで帰省しました。あまり寝ないまま、そのホスピスに駆けつけると、祖母の容態は持ち直しました。

看護士さんや担当医の先生は、今まで殆ど姿を見せることがなかった、この近親者が誰でどういう状況なのか、会話から全てを察したようでした。
遠い信州に住んでいる孫で、前夜仕事を終えた後、車で飛んで来たらしいこと、祖母の病状や看護の仕方について、あまり知らないらしいこと、もしかしたら心にゆとりがなくて自分を責めていたことも伝わっていたかもしれませんね。そして、休み明けには仕事に戻るため、車で信州まで帰っていくらしいこと。

看護士さんたちは、ちょっと毅然としたような態度で、祖母がひどく痛みを感じるので体に触れない方がいいことなどを伝えてくれました。親しみを込めて触れることが、今の病状の中では痛みとして感じられてしまうという冷徹な事実が分かりました。そして、看護のシステムや家族の待機の仕方についても教えてくださいました。

間もなく、担当医の先生から私一人が呼ばれました。いったい何だろうとびくびくしながら付いて行くと、あの瀬戸大橋が見える、きれいな大きな窓のある休憩コーナーに案内してくださいました。そこの椅子に腰掛けて丁寧に説明を始めてくださいました。
祖母の病状について、これまでに父や母がどのように一生懸命かかわってきているか、病院がやっていること。
そして、私に出来ることと、しなくてもいいことについて。これは、私が無理をして交通事故を起こしたりしないようにさせるための配慮だったのでしょう。
「お耳だけは最後までよく聞こえていますから、病室ではそのつもりでお話をしてくださいね。」という注意も印象的でした。この言葉には、もうこれから祖母の気持ちを確かめる会話が出来なくなっていって、祖母がその気持ちを一人抱いたまま旅立つとしても、最後まで穏やかでいてほしいと願う、担当医の先生の真心が込められていたように感じます。

このホスピスでは、祖母の身体や心にとどまらず、家族と、家族それぞれの生活から心理に至るまで、祖母を取り巻き、祖母に影響を与えるものの全体をとらえて、その全体が祖母の死を温かく穏やかに受け入れてゆけるように、見守り支えて下さっていることが分かりました。

私は、感銘を受けながら、担当医の先生が話してくださったようにホスピスのスタッフや看護を続けている両親を信頼しようと思い、一度信州に戻りました。

それから1週間ほどして、深夜に父から電話が入りました。祖母の呼吸がかなり荒いというのです。「すぐ帰る。」と言うと、担当医の先生から、信州の孫は呼び寄せなくてもいいだろうと言われたと伝えられました。
祖母は、その2時間ほど後に亡くなりました。
のちに気付いたのですが、担当医の先生は、その時刻に私を呼べば、深夜の高速道路で無茶をして飛ばして事故を起こす可能性があると考えられたのではないでしょうか。どんなに急いでも間に合わないことが分かっていたのかも知れません。あるいは、持ち直すとしたら毎週のように呼び寄せて疲労させるのは望ましくないと思われたのかもしれません。
いずれにしても、深い配慮だったのだろうと思います。

これは両親から聞いた話なのですが、午前2時頃、祖母が亡くなったとき、一度自宅に帰られていた担当医の先生は、すぐに病室に戻って来てくださり、
「長い間、ご苦労様でした。」
と、人生の労苦や癌の痛みを労うように、そして93年の永い人生を生き抜いた一人の人間への尊厳を込めるかのように、遺体に話しかけてくださったのだそうです。
早朝の病院を、車で出て行く祖母のうしろで、その先生は、深々とお辞儀をして見送ってくださったといいます。
母が、しみじみとその時の一部始終を語りました。見てはいなかった私の瞼の奥にも、まるで見ていたかのように、いつまでもその光景が焼きついているように感じられます。

永い間守り育ててくれた祖母と、どうお別れしたらいいのか全く分からなかった私に、この担当医の先生とホスピスの皆さんが見せてくださったのは、こんなふうな、命と人生と死と向き合う姿でした。
今でもまだまだ未熟な、私なりにではありましたが、想い起こし、ここに綴らせていただきました。

お読みいただき、ありがとうございました。


投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (0)