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2003年6月24日

●ホッとできる時間、作っていますか?

僕は日常の中での「ホッとする時間」が好きで、とても大切にしています。
いつもホッとできるモノ、場所を探しているようなものかもしれません。
相当こだわりますね。
もちろん、自分なりに、なんですけど音楽から、場所、雰囲気、周りの人達の様子など。

そして、そんな時間を誰と一緒に過ごすのか?というのも大切なアイテムです。
よく一人でバーなどに飲みに行かれる方もいらっしゃいますが、僕自身はこの方一度も経験したことはありません。
たぶん、極端な寂しがり屋だからかな。
奥さんが体調が良くなくて実家に帰ってしまったときだって、めちゃくちゃ寂しくなってますもの。

だから、妻や友人たちと過ごす時間というのはね、本当に好きなんですよ。(いつも言ってますけど)
楽しい雰囲気の中で食事をしたり、お酒を飲んだりしながら、おしゃべりするのは、本当に素敵なものです。

あとやっぱり好きなお酒を飲む時間というのも、とてもホッとできます。
自宅にもお気に入りのお酒をキープして、ジャズをかけながら妻と晩酌する時間は心がすーっと落ち着いて、一日の疲れが本当に癒される場面です。

僕自身はビールを除けば、量よりも質的飲み方をする方です。
(だいぶ、大人になりました(笑))
スコッチが特に好きなんですけど、多くてもダブルで2、3杯で満足できますから、派手に騒ぐというよりは、グラスを片手にぼーっとしながら風景や音楽に心と耳を奪われたり、楽しく語らいます。

そんな居心地のいい店を探すのも趣味の一つなんですけど、この前、江坂で気になるバーを見つけて、仲間と行ってきました。
もうね、店に入った途端からちょっと興奮してしまいまして、メニューを見てさらに興奮度が高まって、ちょっとうるさいお客さんになってしまってました。
以前から飲んでみたいお酒があって、それを比較的安く飲めるんです。
(ホテルのバーとかにも置いてあるんですけど、1ショット2500円とか書いてあって、おいおい・・・でしたもん。ダブルで頼んだら5000円ですよ。)
それに東京の親友に紹介されて、はまってしまったベルギービールもたくさん置いてあって。
店の雰囲気も落ち着いていて、とても気に入ってしまいました。
だから、それ以来、何度か通ってます。

大阪でも梅田とか心斎橋、足を伸ばして神戸や京都でも、街中に行けばいい店はたくさんあるんです。
でも、地元でお気に入りのバーを見つける、というのはなかなか至難の業でしたから、感激もひとしおです。
(昔はあったんですけど、無くなってしまったんですよ(涙))

あと似て非なる場所ですが、オープンカフェも好きで落ち着いた時間を過ごせますね。
木目のテーブルと椅子があると言うことありません。
よく「今日の管理人」でも昼休みにカフェのテラス席で云々・・・という話をしていますけど、暑くても寒くても外の空気を感じながら周りの景色をぼーっと見ながらコーヒーを飲むとね、本当にいい気持ちになってきます。

この休日も妻とショコラの散歩に出掛けて、お気に入りのカフェでサンドイッチをつまみながらぽけーっとしてました。
天気はあまり良くなかったけれど、二人と一匹は大変ご満悦でした。

それから、やはり・・・というか、シティホテルのカフェやバーなどもホッとできる時間を提供してくれます。
ちょっと値段は高いので、贅沢に飲み散らかすことは出来ないのですが、コーヒーがお代わり自由だったりして、ついつい居座ってしまいますね。
優雅な雰囲気が溢れていたり、調度品が目を楽しませてくれたり、生演奏があったり、とても落ち着きます。

この前東京に行った時に、そんなホテルのカフェで今度発売される本の打ち合わせをしたんです。
そういう雰囲気の中で仕事をするのも結構夢だったので、それだけで「いやー、なんか一流のビジネスマンとか作家みたいやあ」といたく感激したものです。

何だか僕のホッとできる時間というのは、飲み物系ばっかりですねえ(笑)
食べ物にはあんまり拘らないかもしれません。
どっちかというと、食べ物は質より量かな、まだまだ。

僕がそんなだから、カウンセリングの場面でも、頑張っていらっしゃる方にはそんなホッとできる時間を作るように提案したりします。
好きな場所、好きなこと、落ち着ける雰囲気。
「1泊くらい温泉に行って来られたらどうですか?」なんて言ったりします。
初回無料の電話カウンセリングなどで、そう僕に伝えられた方も少なくないのでは?って思います。
面談や電話でお会いする人、本当に頑張っていらっしゃる方が本当に多いですものね。
自然と口をついて出てきてしまいます。
僕が温泉好きで、疲れが癒えて、元気をもらえる場所なので尚更お薦めしてしまうんですけど、効果の程もかなりあるようです。

だからこそ、カウンセリングでお会いする際には、できるだけそんな雰囲気を提供したいって考えています。
心がホッとしていると、日常の中で溜まってきた疲れや痛みも解放され、また、新たな自分への変化も受け入れやすくなります。
厳しい時には厳しい僕ですけれど、日常で本当に頑張っている方にはそうした心をマッサージするようなアプローチを心がけています。

だから「ここに来ると、ホッとするというか、落ち着けるんですよね」とおっしゃってくださるお客様が時々いらっしゃってくださるんですけど、「それは最高の褒め言葉ですね。ありがとうございます」って間髪入れずに答えてしまいます。

僕達は誰でも安心感とか平和な気持ちがとても大好きですよね。
こうした感情は心の中に溜まったネガティブなものをキレイに流してくれる効果があります。
そうすると元気になったり、やる気が出てきたり、心に溜まっていた鬱々とした気分が晴れてきたり。
それが無いと、常に心は戦闘モードになったりしますから、心が本当に乾いてしまいます。
お肌だけじゃなくて、心にも潤いが大切ですものね。

心がホッとできると、その心のスペースに色んなアイデアやインスピレーションが入ってくるようになります。
将来のビジョンが沸いて出てきたり、気力が充実してくるのを感じることが出来るようになるものです。
また、今の悩みや問題へのアプローチも浮かんできたりするんですね。
気持ちの整理なども無理なく出来るようになることもあります。

我が家はカフェでも開かん勢いで奥様が頑張っていて、かなり居心地の良い空間を作ってくれているので、家でも落ち着いた時間を作り出せるのがありがたいところです。

僕自身もそうした空間の中でカウンセリングや講座のネタとか、今後のビジョンなどをぼーっとしながら思い描いているわけです。

こういうホッとできる時間や空間というのは、本当に自分の感覚だけが頼りですからね。皆さんも自分の感性でホッとできる時間や場所を自分のために作ってあげて下さいね。
これは「自分のために」ですから、誰に遠慮したり、気を使う必要もありません。
自分の感覚を頼りに、色々と巡り歩いてもいいですね。
悩んだり、行き詰ってから探してもなかなか見つからないものですから、余裕のある内に「困った時にはここに行くぞリスト」を作ってみてもいいでしょう。


※そういうわけで、皆さんから「このカフェ、お薦めだよ」という情報をいただけると本当に嬉しいので、良かったら教えてくださいね。場所にも寄りますが、きっといずれ奥様と出かけると思いますので。

根本裕幸

投稿者 csadmin : 10:20

2003年6月20日

◇バカンス2

確か去年の今頃です。
カウンセリングサービスのホームページで『バカンス』というエッセイを
書きました

 そのエッセイは、電源を入れたテレビにはゴールデンウィーク中バカンスを
楽しむ人たちが映っているのをみて、僕もバカンスがしたくなったという
内容でした。去年の今頃は
「え〜な・・・・・」
「・・・・・・・え〜な、え〜な」と
TVを見ながら窓こしのトランペットを眺める少年状態になっていました。

そして今年・・・・
TVを見てると
「ハワイ、ワイに聞き」とごっついおじさんがにこやかにダジャレを言って
いるCMが流れていました。
それを見た僕は、
「え〜な・・・・・」
「・・・・・・・え〜な、え〜な」とすっかり窓こしのトランペット少年状態
 去年と全く同じパターンじゃないですか(笑)

 でも今年違うのは、彼女に旅行をプレゼントしたいと思ったこと。
6月は彼女の誕生日なので、誕生日プレゼントに日頃の感謝を込めて、
旅行をプレゼントしようと思いました。

今の楽しみは、彼女をどこに連れて行ってあげようかなということ、
旅行本を買い込み彼女が喜びそうなところを探している時の
僕の顔はムフフフ・・・状態になっています。

旅行前のこういう時って、心はすでに旅行モードになっていて
楽しめることができるんですよね。

海外ではSARS騒ぎで恐いところもあるので、
安全な場所に旅行に行ってこようと思います。

旅行先で彼女の喜ぶ顔がみれたら最高です。
これが今年の僕のご褒美になりそうです。


by 原裕輝

投稿者 csadmin : 10:17

2003年6月17日

●プチ幸せを探せ

 日常生活の中ちょっとした幸せを感じることってありますね。
僕はちょっとした幸せのことを最近流行りの小さいことを
「プチ」とよぶ言葉を使ってプチ幸せと言葉を変えてよんでいます。

 ほんの些細なことなんだけど小さな幸せを感じたり、
他人にとっては馬鹿らしいことでも本人にとっては小さな幸せを感じる
ことってあると思うんですね。
でも、あまりにも小さい幸せなんで見逃すことも・・・

 見逃すぐらい小さな幸せだから、もしかしたら今まで見逃してきた
ことがいっぱいあるかも?という疑問が僕の中で浮んだんですね。
じゃあ、見逃してきたことがいっぱいあるとしたら・・・
もしかすると意識して探せばいっぱいプチ幸せが見つかるかも・・・と
思ったんですね。
そして、意識してプチ幸せを探してみることにしました。

 このプチ幸せを探すのが僕のマイブーム。
僕のお気に入りのプチ幸せは彼女とテレビを見ることなんですね。
今までも、彼女とテレビを見ることはもちろんあったんですが、
プチ幸せを見逃してしまっていたんですね。
プチ幸せを探そうとして意識したときにテレビを見る時に彼女が隣に
いて、隣に座る彼女のぬくもりを感じならテレビをみているのが、
幸せに思えてきました。

 テレビをみていること自体は今までとまったく変わらないわけですが、
ただテレビを見ているだけと、幸せだと感じるかでは、
お得度が違いますよね。
 
 彼女や友人がコンビニに行く時に
「コンビニ行くけどついでになにか欲しいものある?」と聞いてくれる
時があります。
ここにもプチ幸せを見つけました。
聞いてくれている、気にしてくれているというプチ幸せを発見しました。
コンビニに行く“ついでに”と聞いてくれていると思うとこのプチ幸せは
見逃してしまうと思うのですが、
僕の“ために”聞いてくれていると思うと、思いやりを感じることが
できます。プチ幸せを感じます。

 プチ幸せについてのエッセイを書いていたので、彼女や友人に、
プチ幸せを感じる瞬間を聞いてみました。

 彼女がプチ幸せを感じた瞬間は、どんなことかというと・・・
彼女と僕は今一緒に暮らしています。
一緒に暮らすにあたって彼女の実家にある荷物を全部持ってきている
わけではなく、実家に衣類など置いてきているものも沢山あるんですね。

 そんな彼女の母親から実家に置いてきた衣類を送ってきてくれました。
衣類を送ってくれたことにプチ幸せ・・・ではなくて、
その衣類のポケットの中から50円がでてきたそうです。
彼女はその時プチ幸せを感じたそうです。
確かにプチ幸せって感じがします。

 友人は、今まであまり親しくない人と親しくなれた時にプチ幸せを
感じるそうです。
その友人は男の子なのですが、
つい最近は、美人の女の子と親しくなれたので特に幸せだったらしいです。

 ほんの些細なことなんですが、皆さんの周りにもプチ幸せって
いっぱいあると思うんですね。
 物の見方、捉え方、考え方を少し工夫するだけで、
プチ幸せはたくさん見つけれます。
例えば、このエッセイで書いたコンビニの話なんかもその一つです。
“ついで”と思うとプチ幸せは見逃してしまいますが、
“僕の為に”と少し考え方を変えるだけでプチ幸せを発見できます。
発見できれば同じ日常でも幸せと感じないのが、幸せと感じれるので
すごくお得だと思います。

皆さんもプチ幸せ探し試してみてくださいね。

皆さんが幸せに囲まれますように。

原 裕輝

投稿者 csadmin : 10:17

2003年6月10日

●NEWS

 ニュースと言う言葉の由来はNorth(北)East(東)West(西)South(南)の頭文字なんだそうです。「New(新しい)」に引っ掛けたのでしょうか。よくできたネーミングですよね。
 
 新聞を開いても、テレビやラジオから、パソコンやさらには携帯電話からも今やどんなところからでもリアルタイムでのニュースが手に入ると言っても過言ではないでしょうね。ほんとに便利な世の中になったものです。考えてみれば21世紀ですから、私に近い世代の方は、子供時代に21世紀の空想画などを図工や美術の授業で描いたような記憶のある人は少なくないのではないでしょうか。あのころは21世紀をとてつもない未来だと思っていましたよね。

 空飛ぶ自動車やタイムマシーンはまだないけれど、ロボットはかなり優秀なものができているらしいですし(医療現場などでも活躍しているらしいですよね)、バイオテクノロジーの世界ではSFにしか登場しなかったクローンが誕生?という話題もありました。宇宙旅行に出かけた人もいます。そうそう。スペースシャトルの悲劇もまだ記憶に新しいものですが、飛行士たちの命はどんな風に今後の研究に生かされていくのでしょうか。

そんなことを思ってふと、「犠牲」と言う言葉が気になりました。心理学的な使い方もする言葉なんですが、少し考えてみようと思いました。

 犠牲、と言う言葉、実にいろんな形で使います。事故や戦争の犠牲者、誰かの犠牲になる、社会のひずみの犠牲・・・辞書で引いてみました、まずは漢字の意味から。「犠」も「牲」もともに生贄(いけにえ)を表す文字だそうです。手近な辞書(新明解国語辞典(三省堂)です。)によるとこうあります。
① ある目的のために、その人の生命やかけがえのないものを提供すること。
② 「犠牲者」の略
 そして「犠牲者」を引くとこうです。
  ①何かが成功した陰で、そのために命を落としたり一生を台無しにしたりした人。
③ 俗に、不測の事故・災難による死者の称。
 さらに「犠牲的」となると
① 自分を犠牲にしてやまない様子。
とこうなります。
  
 何かを犠牲にして、自分の意志を貫いたり、誰か(何か)のために尽くす。こういったことが美徳だと言うことを少なくとも私は子供時代に誰かから聞いたように思います。具体的に誰だったかと言うと、両親だったのか、一緒に住んでいた明治生まれのおばあちゃんだったのか、何かのお話だったのかサダカではありませんが、確かに記憶にはあります。そうですね、うちの父は特攻隊に憧れ飛行機乗りになりたかった人ですから、父が言うとはなしに伝えていたことなのかもしれません。
 
 もちろん私は見たわけでも直接聴いたわけでもないのですが、知覧から不帰のフライトをしていく青年の話はいくつもありました。この事の是非についてを今ここでいうつもりはないのです。この青年たちの心の中でどんなことが起こっていたのかなって・・・思いました。
 
 なぜ言い伝えられているのかわからないのですが(だって当の本人は帰ってこないのですから)、彼らはその仕事を終えるときに「お母さんっ!!」と叫ぶのだそうです。他のどの言葉でもなく、です。妻や恋人がいる人ならその名を呼ぶのかもしれません。自分にとって一番大切な人の名を呼んでこの世を去って行くと言う。
 
 この話に昔はある種のロマンを感じていたように思います。今は、と言うとただただ切ないなあ、生きたかったよなあって思うんです。自分の人生を本当に生きていたのだろうか、と。
 
 本当のロマンとは、冒険とは、自分自身の人生にコミット(こうやると決心して進むこと)することなんやないかなあ、と思う今日この頃です。


中村ともみ

投稿者 csadmin : 10:16

2003年6月 6日

◇違い

つい先日、2度目の東京出張から帰って来ました。

以前は、大阪生まれ大阪育ちの私にとって、東京はとっても遠い場所でした。
親戚筋も関東方面には誰もいなかったせいもあり、今までは縁がない場所
だったんです。

今回は、2度目にしてすっかり慣れてきた感がありましたが、先月初めて
東京に行った時は色んな違いを感じて、とても新鮮な驚きがありました。

人生で3度目のとっても久々の東京で、まずはやはり言葉の違いが新鮮でした。
電車の中や道行く人々の言葉はまるで、ドラマを見ているように感じました。

あと驚いたのは、横断歩道で皆ちゃんと信号待ちをしていることです。
大阪では赤信号でも車が通ってなければ渡ったり、信号が青に変わる一瞬前
にすでに一歩、歩き出していることが多いんですね。
皆青信号に変わるまで待っている姿は、あくせくしていないな〜という感じが
しました。

都内の高層ホテルに泊まっている時に感心したのは、街並みを見渡すと緑が
とても多いことです。それはちょっとうらやましい事でした。

その一方で、大阪から出て暮らしたことのない私は、逆に大阪の良さも
客観視することができました。
知らない人にも気さくに声を掛けてくれるおばちゃん達や、会話をすると必ず
オチをつけてしまう大阪人の愛嬌などなど・・。

1回目に行った時はまるで外国(異文化)を見るような目で、東京を見ていた
ところがありましたが、今回はすっかりそんな隔たりが私の中でなくなって
いました。

元々ちょこっと旅行で訪れた先でも、そこの言葉が移ってしまうような私です
が案の定、所々東京弁(!?)が移って、関西弁と語尾だけが東京弁になった
ような変なミックス言葉になって帰ってきてしまいました・・・。

それくらい私の中で東京が近くなってうれしく感じる今日この頃です。

これからも毎月東京へ伺うことになりましたので、皆さんのお薦めスポットや
お気に入りのショップ、バー、レストランなどがあったら、ぜひぜひ、
教えて下さいね。

by 根本理加

投稿者 csadmin : 10:15

2003年6月 3日

●夫婦について

「あんたら、よくそんだけ一緒にいて飽きひんなあ」
友人が時折こんなことを言います。
そのたびにちょっと意外な感じがして、周りから見たら、不思議だったり、疑問だったりするのだろうか?と思うものです。
仕事でも、電話カウンセリングやこうして記事を書いているときは別々に過ごしますけど、面談になればほとんど一緒ですし、遊びに行くのも、飲みに行くのも一緒にいます。
だから、時々僕一人でいると、一緒にいる仲間や友達から、
「今日、理加ちゃんはどうしたん?」
と聞かれます。
妻も同じ。

趣味や嗜好が良く似てる、というのは確かにあります。
付き合い始めの頃、お互いの好きなものを色々と列挙したことがあるんです。
そのほとんどが似通っていたのでびっくりしたものです。
もちろんすべてが一緒ってわけではないし、細かいところは結構違っていたりもします。

例えば、僕らはお寺や神社が好きなのでよく出かけるんですけど、理加は京都の雅な風情が好きで、僕はどちらかと雄大さや荘厳さが好きですね。
だから、どちらかというと僕好みの寺社が多い奈良へ出かけるときには、予め理加が好きそうなショップやカフェをチェックしておくようにしています。

カフェでのんびりお茶をするのは夫婦共々大好きなので、出かける先のガイドブックで良さげなカフェを見つけたときは大喜びです。
でも、カフェでオーダーするのは僕がコーヒーが多くて、理加はミルクティがほとんどとこれまた違ってきたりします。

僕からすると「一緒にいることが前提」なんですね。
仕事にしても、プライベートにしても。
だから、サラリーマンをしていたときは、僕が会社に行って、理加は家にいるわけだけど、ちょっと違和感があったのも事実です。

僕の両親は自営で商売をしていて、いつも一緒にいるようなイメージが強かったんですね。
だから、自然と僕にとっては「夫婦は一緒にいるもの」という思いで育ちました。
今からは想像できない人も多いだろうけど、小学校の頃はスポーツ少年だったんです。
地元のチームに入ってソフトボールをしてましたけど、その試合の時には夫婦揃って応援に来てくれたこともありました。
夕方になると早めに仕事を切り上げてきた両親(この辺が自営の強みですね)と庭で夕涼みをしながら晩御飯を食べることもありましたし、家族旅行も毎年のように出かけてました。

まあ、今から思えば、それも親父が結構好きにやっていて、母親がそれを受け入れているスタイルだったんだろうと思います。
だから、母親が親父について行けなくなったときに喧嘩が多くなって、結果的に離婚してしまったんだろうと今は思ってます。

そんな両親の影響もあって、僕の中にある「一緒にいて当たり前」という概念が確立されていったんでしょう。
だから、一緒にいることを前提にして、その細かいメソッドを考えていくことが癖のようになっています。
それは仲の良い友達と一緒に出かけるときに、その友達のことを考えて行動するのと多分同じです。

因みに元々理加はカウンセラーになりたいけど自信がないってタイプだったので、一緒に仕事がしたいが故に、僕があのテこのテを使って一緒にカウンセラーをやれるようにしてきたのも事実です。
彼女にその才能があるってことは僕自身見極めてましたしね。
後は「辞めたい〜」「やる気がない〜」と時折駄々捏ねるのをどうなだめすかしてその気にさせるか?ということを色々考えて実行してました。
まあ、女の子をどう口説こうか?というのはかつて実践でトレーニングしましたので、その成果かもしれないです。
(そういう意味では、理加はなかなか落とすのが難しい女でしたけど(笑))

違いはあって当然のものだから、それをどんな風に吸収してお互いに楽しめるようになるんだろう?というのが僕の基本的な考え方なんだろうと思います。
好きな人と一緒にいて、楽しめなかったらやっぱり寂しいし、辛いですからね。
相手にばかり合わせてしまったら犠牲になってしまうでしょうし、自分の好きなことばかりしていたら相手はつまらなくなってしまうかもしれません。
二人が一緒でいられるようにその微妙なバランスを取っていくのが僕にとっては当たり前のことと思っているのかもしれないです。

「じゃあ、やっぱり我慢することとか多いんでしょ?」と聞かれることもあります。
実は僕自身、我慢できない性質なんですね。
理加に「裕幸は本当に待つことが出来ない人だねえ」と言われるくらい“いらち”な性質なので。
じゃあ、理加は我慢してることいっぱいあるのか?というと、理加はもともと我慢しぃなのですが、僕と付き合うようになってから、だんだん許容範囲が狭くなったようで、やっぱり我慢ばっかりは出来なくなってきてるようです。

でも、時にはそれが必要になるときはやっぱりありますよ、もちろん。
でも、それは欲しいものがあるときに、他のものを我慢してお金を貯めようとするのと同じように、一緒にいると楽しくて、面白くて、それを手に入れるためのものだから、それほど苦痛に感じないことが多いですね。
だから、それは“我慢”とは言わずに“忍耐”というのかもしれません。

もちろん、その我慢も限界があるのでその時は喧嘩になります。
最近は減りましたけど、怒鳴り合いや力に訴えることもかつてはありました。
夜中に家を飛び出したり、外で喧嘩して街中を逃げる理加を追いかけたり。

そんな不満が溜まりに溜まって離婚寸前まで行ったこともありました。
でも、そういう危機を乗り越えるには周りの援助が欠かせないものなんですが、幸い僕らの友達はこの「いつも一緒」の行動パターンのお陰でほとんど共通してますから、そこで随分と助けられたものです。
それに加えて、一緒にいることでより太い絆が出来ていたこともあるでしょう。

何年か後にはぜんぜん違うこと言うてるかもしれないし、関係も変わっているかもしれないけれど、今のところは「どうしたら一緒にいられるんだろう?」ということを考えながら過ごして行くんだろうと思います。
もっと楽しめるように、もっと絆の太い夫婦になれるように。


根本裕幸

投稿者 csadmin : 10:14