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1999年9月21日

今日は死ぬのにとてもよい日だ

”今日は死ぬのにとてもよい日だ”

これは、ナンシー・ウッドという人の詩です。

彼女の詩は、ネイティブ・アメリカンの「生死感」を伝えています。

(ま、私も雑誌で知った程度なので、偉そうには語れないけどね。^^;)

一見、「はぁ???」ってなるようなこの一遍の詩が、なぜだか、私から離れません。なので、みなさんにも紹介しますね。


  今日は死ぬのにとてもよい日だ。

  あらゆる生あるものが私と共に仲良くしている。

  あらゆる声が私の内で声をそろえて歌っている。

  すべての美しいものがやってきて私の目のなかで憩っている。

  すべての悪い考えは私から出ていってしまった。

  今日は死ぬのにとてもよい日だ。

  私の土地は平穏で私を取り巻いている。

  私の畑にはもう最後の鋤を入れ終えた。

  わが家は笑い声で満ちている。

  子どもたちが帰ってきた。

  うん、今日は死ぬのにとてもよい日だ。

最近、知り合いが増えた分だけ、残念な事に、「お葬式」の機会も増えました。

自分の父親が死ぬまでは、全くと言っていい程無縁だったし、「人の生き死に」について、考える事もありませんでした。ある意味、”大人”になった訳です。

”人は誰でもいつかは死ぬ。

 それまでの「生」の質をどれだけ良いものにするのか ”

「パッチ・アダムス」という映画の中で、こんな感じのセリフがあったんです。

これも、私から離れない言葉の一つです。

世界中見渡してみれば、今日の、今の一瞬にさえ、どこかで誰かは死んでる訳で、でも、今日も「私は生きている。」

父親が自殺してしまったあの日から「そっか、私は”生かされてる”んや」と、思うようになりました。

何気なく、ボ~、っと過ごしてしまった今日でさえ、大事な一日だったんだ。

って。

・・・でもね、な~んか、しんどいし、重たかったんです。

”生かされてる”ってのは。

(ま、思いっきり「受動的」だしね。)

んじゃ、”生きる”ってなんなんや???

ど~いう事やねん!ナルイヒロミ~!!!ってなってました、ここ最近<^^;)

北端さんから、「ナルイちゃん、”ちょっと一息”にまた書いてみない?」ってチャンスを貰えてから、漠然と「”生きる事”にしたいな~。だってナルイヒロミの今のテーマ、まんまやから。」っと思ってはいたものの、さっぱり浮かばず、「なんなんや???」は、深まるばかり(^^)

そりゃもう、大変ですよ。(>_<)

でもね、フッっと思い出したのが、最初に書いた、ナンシー・ウッドの詩でした。

「あ~、コレだ。こう言う事やったんや~。」って感じました。

そりゃ~、どうりで、(本当に)一回しか目を通していないこの詩が、頭から離れない訳ですよね???

最初、私はこの詩を”死に方”だと考えてたんです。

でも、違ってた。

「今日は死ぬのにいい日だ」なんて思える、”最高の日”を送りたいと私は思います。満たされた、平穏な日々を送りたいと思います。

そういう”生き方”をしたい!っと思います。

同じ、”生きてる”のならね。

今回は、ちょっと哲学チックな、ナルイヒロミでした(^^)

投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (0)