カウンセリングサービス・無料相談コーナー

ご相談事例集(バックナンバー)

タイトル一覧へ戻る

タイトル
許すということ
相談者名
みずき
はじめまして。
このサイトでいろんなことをまなばせていただきましたが、どうしても分からないことがあるんです。
それは「許す」ということです。
「許す」ということは、「相手がどういうことをしてもいいと思うこと」なのでしょうか?
たとえば相手が私を傷つける行動をしたとします。
後になって「そんなこともあったね〜」といえるくらい、感情ごとその出来事を忘れることが「許す」ということなのでしょうか?
それとも、「相手がこういうことをしてしまうのは、きっとこういう理由があるからだ。だとしたら私を傷つけるようなことをしても仕方がないんだ」という考え方に変えることでしょうか?情状酌量の余地があるというか・・・。
後者はなんだか、「そういう風な考え方をするしかないのはかわいそう」とか、哀れみとか、同情とか、そんな気持ちがあるような気がするのですが・・・。
相手に傷つけられたことを、「仕方ないな」「そんなこともあったかな」という感じに思っていたとしても、同じ事をされるとまた同じように傷ついてしまいます。それは許していないということなのでしょうか?

私は旦那とのちょっとした喧嘩で、ものすごく傷ついたというか、ショックだったことがありました。でもそれはよく考えたら、私の求めてるものと旦那の求めてるものが違うのかもしれない、と思い、旦那の求めている(だろう)ことを、私が納得したとき、「あぁ、しょうがないのかもしれない」と思えるようになったんです。これは許したということなのでしょうか??

ちょっと話は違いますが、もう一つ・・・
旦那は感情を自分で感じていないようなのです。「今どんな気持ち?」「そのときどういう風に思ったの?」という質問には「は?別に。なにもない」といいます。感情がないというのはありえないと思っているので、きっと感じないように、見ないようにしているのだと思うのですが、どうしてなのでしょう?自分の感情を見つけられないなんてちょっと悲しい気がするので、どうにか自分の感情くらいは素直に感じられるようになって欲しいのですが、本人がそうしようという気がない限り私にはなにもできないのでしょうか?教えてください。
カウンセラー
田村厚志
みずきさん、こんにちは。
田村ともうします。

よろしくお願いいたします。


> このサイトでいろんなことをまなばせていただきましたが、

お役に立ててよかったです。

> どうしても分からないことがあるんです。
> それは「許す」ということです。
> 「許す」ということは、「相手がどういうことをしてもいいと思うこと」
> なのでしょうか?

それは多分、違います。


> たとえば相手が私を傷つける行動をしたとします。
> 後になって「そんなこともあったね〜」といえるくらい、感情ごとその出来事
> を忘れることが「許す」ということなのでしょうか?
> それとも、「相手がこういうことをしてしまうのは、きっとこういう理由が
> あるからだ。だとしたら私を傷つけるようなことをしても仕方がないんだ」
> という考え方に変えることでしょうか?情状酌量の余地があるというか・・・。
> 後者はなんだか、「そういう風な考え方をするしかないのはかわいそう」とか、
> 哀れみとか、同情とか、そんな気持ちがあるような気がするのですが・・・。
> 相手に傷つけられたことを、「仕方ないな」「そんなこともあったかな」と
> いう感じに思っていたとしても、同じ事をされるとまた同じように傷ついて
> しまいます。それは許していないということなのでしょうか?

ここでみずきさんがおっしゃられているのは、「許し」というよりも、
「理解」という部分だと思います。

相手を理解すること、それはもちろん、許すということにつながりますが、
理解できたからといって、許せるわけではないと思います。

みずきさんが「傷ついた〜」と感じるのは事実なわけですし、また、
傷つけられて腹が立たない人を僕は知りません。

この例で、自分の中で、「傷つけられた相手」への怒りがわいて、
収まらないのだとしたら、それは、自分自身が自分を許していない
という見方も出来ます。

なぜなら、心理学講座でもあるのをご存知かもしれませんが、僕たちは、
自分を責めていない部分で非難や中傷を受けても傷つかないからです。

つまりは、「傷ついた〜」という感覚は、「痛いところを疲れて悔しい」
という感情であるという見方も出来るわけですね。

だとすると、この場合、自分を傷つけた相手というのは、ある意味、自分で
自分を許していない、自分を責めている部分を教えてくれているメッセンジャー
と見ることも出来るということです。

その傷つけた相手に対する感情をみるよりも(腹立つものは腹立つわけですから)
自分を責めている部分を探して、今まで責めていた自分の中の何かを許し、認め、
慈しんであげることにより、よく言われる、「自分を許す」というプロセスが
ひとつ完了できるわけです。

そのプロセスを終えた後なら、多くの場合は、同じ言葉では、簡単には傷つか
なくなりますね。


> 私は旦那とのちょっとした喧嘩で、ものすごく傷ついたというか、
> ショックだったことがありました。でもそれはよく考えたら、私の求めてる
> ものと旦那の求めてるものが違うのかもしれない、と思い、旦那の求めている
> (だろう)ことを、私が納得したとき、「あぁ、しょうがないのかもしれない」
> と思えるようになったんです。これは許したということなのでしょうか??

これは、多分、
「相手を認め、許す」
という、先の例とは違う形の許しだと思います。

これは、手放しのプロセスが一緒にくっつきますから、ちょっと切ない
感じも一緒にあったかもしれませんね。


> ちょっと話は違いますが、もう一つ・・・
> 旦那は感情を自分で感じていないようなのです。「今どんな気持ち?」
>「そのときどういう風に思ったの?」という質問には「は?別に。なにもない」
> といいます。感情がないというのはありえないと思っているので、きっと感
> じないように、見ないようにしているのだと思うのですが、どうしてなのでしょう?

男性は特に、感情を感じるのが苦手ですから、女性よりも、感情表現が
苦手です。
男性の場合は、感じていたとしても、それがどんな感情なのか、自分でよくわか
っていないことが、一般的には多いようです。

>自分の感情を見つけられないなんてちょっと悲しい気がするので、どうに
>か自分の感情くらいは素直に感じられるようになって欲しいのですが、
>本人がそうしようという気がない限り私にはなにもできないのでしょうか?
>教えてください。

だんなさんが、それでいいと思っていらっしゃるなら、それがだんなさんの
望みなわけですから、なにもできないというよりは、しないほうが懸命です。

ただ、だからといって、悲観する必要はありません。

僕が日ごろ思うことは、感情というのは別に悪いものばかりではありません。
楽しい、うれしい、わくわくする、好きだ、愛している、これらも全部感情です。

表現がなかったとしても、だんなさんが、そういう感情を感じることが出来る
なら、それほど気にする必要はないと思いますよ。
そうでないなら、確かに悲しいことではありますが。。。。

みずきさんの参考になっていれば、幸いです。

では、ご相談ありがとうございました。
.

●タイトル一覧へ戻る●

●カウンセリングサービスのトップページへ戻る●